2010年11月03日(水)22時31分
中村圭志と石垣仁の賭けの行方【パンクラスディファ有明大会】
今日の試合のプログラム。

ええと……

あれ、そうか、総合格闘技のプログラムって、メインイベントから降順に並べてあるんだ。ボクシングのクラシカルなスタイルとは逆だ。
さて……

ジャクソン中村の名前を探すのだが……
ん?

第2試合、坂口道場の中村圭志。あの真面目な中村君じゃないか。そうか、一年間のブランクで、練習生扱いになってしまったって、石垣仁が言ってたっけ。
僕の席から前の方一帯は、“中む食堂”のお客様なのだろうか、中村くんの応援団が陣取っていた。
・・・・・。
そして、目的の試合は終わってしまった。中村くんがこちらの方に向かって、笑顔で合掌して、頭を下げている。彼がリングを去ると、この試合を目当てにやってきたみんなは、ロビーで中村くんに会うためにワサワサ席を立って行った。
僕は、ふと、写真を撮っていないことに気がついて、ゴソゴソとデジカメを取り出した。すでにあとの祭りだが。

僕は、試合を見続けていた。そして、プロってなんなのだろうと、また考えていた。
石垣仁がロビーから戻ってきた。
「負けちゃいましたね」
「5,000円、儲かったじゃない」
「もう、今、貰いましたよ」
血も涙もない奴である。
「中村くん、これで引退?」
「いや、このままじゃやめられないって。ハナシがどんどん変わるんす」
総合格闘技では、前座のような試合でも、各選手の入場ごとにそれぞれ違う曲が大音響で流される。戦後間もなくの落語家の出囃子とおんなじだ。今やそれが伝統みたいに言われるけれど、できたのはそんな古い話じゃない。
著作権料は払っているのかな、なんてくだらないことを考えた。ジャスラックがどんなにおかしくても、著作権料はきちっと支払う、それはプロの興行としてこの社会にきちんとした位置を確保するためには必要なことだ。しかし、そうなるときっと詰まらなくなる。魅力ある興行や芸能は、いつだって観客と共に権威と対峙する存在でなければならないはずだと、僕はいまだに信じているところがある。
お客さんや選手の雰囲気を含めて、総合格闘技はやんちゃである。それに比べて、ボクシングの、特に選手たちは、ずっとストイックだ。
僕は、プロってなんなのだろうと、やっぱりずっと考えていた。
中村君が観客席にやってきた。
「高山さんすか」
そんな意外な顔をするなって。来るといったら来る。
「ありがとうございます。すんません、負けちゃいました」
「写真撮ろう。ブログ用。」
……と、客席の暗がりでセルフスナップショット。

撮りましょうかと助け舟を出してくれた方がいて、フラッシュ炊いてもう一枚。

「今日は飲むの?」
「飲みます」
「大丈夫なの、ボクシングで、試合後飲んだら致命的なダメージを受ける」
「頭、やられてませんから、大丈夫です」
「そうか」
第1部の5試合と、メインの第6試合まで見たところで休憩となった。そこで僕は帰ることにした。
ロビーは、試合の終わった選手、取材プレス、お客さんでごった返している。
中村くんと記念撮影しているお客さんたちの脇をすり抜けて、「あした本番だからさ、帰るね」と、僕は仁くんにだけ声を掛けた。
「帰るんすか、ちょっと待ってください」と、彼はお客さんたちに囲まれている中村君を呼びにいこうとする。
「いいから、いいから」という僕の制止も聞かない。すると中村君は、その時一緒に写真を撮ろうとしていた若い連中にちょっと待ってと手で合図をして、僕のところまで飛んできてくれた。
「ありがとうございました」
ここで僕が彼を引き止めては申し訳ない。ウンとだけ頷いて、とっとと退散した。確かに彼のお客さんの中では、もしかするとこの僕が最年長だったのかもしれない。そんな彼らの礼儀正しさに、少しばかり感心してうれしくなった。
会場を出て、今の自分の気分に合う絵が欲しくて、デジカメを出した。

しかし、なんだかどいつもこいつもしっくりこない。

あの橋は、どこのなに橋だろう。東京はすっかり見知らぬ街になってしまった。
ゆりかもめは空いていた。窓から外を撮ってみたりしたが、車内の明るさと外の暗さで鏡のようになった窓からでは、上手く撮影できるはずもない。
同じ車輌には僕の他に一人だけ女性が乗っていて、ふいに短か過ぎる黒いミニスカートの裾を引っ張った。その仕草が、僕の前の窓の鏡に映ったのだ。なるほど。僕はおかしくて笑いかけたが、ここで笑ってはますます変態おじさんに間違われてしまう。といって、すぐにカメラを片付けても、そっと車輌を移動しても、もう手遅れだ。彼女の脳にインプットされた記憶データは変えられない。これも運命、僕は一切の思考を停止して目を閉じて、死んだフリをした。

ええと……

あれ、そうか、総合格闘技のプログラムって、メインイベントから降順に並べてあるんだ。ボクシングのクラシカルなスタイルとは逆だ。
さて……

ジャクソン中村の名前を探すのだが……
ん?

第2試合、坂口道場の中村圭志。あの真面目な中村君じゃないか。そうか、一年間のブランクで、練習生扱いになってしまったって、石垣仁が言ってたっけ。
僕の席から前の方一帯は、“中む食堂”のお客様なのだろうか、中村くんの応援団が陣取っていた。
・・・・・。
そして、目的の試合は終わってしまった。中村くんがこちらの方に向かって、笑顔で合掌して、頭を下げている。彼がリングを去ると、この試合を目当てにやってきたみんなは、ロビーで中村くんに会うためにワサワサ席を立って行った。
僕は、ふと、写真を撮っていないことに気がついて、ゴソゴソとデジカメを取り出した。すでにあとの祭りだが。
僕は、試合を見続けていた。そして、プロってなんなのだろうと、また考えていた。
石垣仁がロビーから戻ってきた。
「負けちゃいましたね」
「5,000円、儲かったじゃない」
「もう、今、貰いましたよ」
血も涙もない奴である。
「中村くん、これで引退?」
「いや、このままじゃやめられないって。ハナシがどんどん変わるんす」
総合格闘技では、前座のような試合でも、各選手の入場ごとにそれぞれ違う曲が大音響で流される。戦後間もなくの落語家の出囃子とおんなじだ。今やそれが伝統みたいに言われるけれど、できたのはそんな古い話じゃない。
著作権料は払っているのかな、なんてくだらないことを考えた。ジャスラックがどんなにおかしくても、著作権料はきちっと支払う、それはプロの興行としてこの社会にきちんとした位置を確保するためには必要なことだ。しかし、そうなるときっと詰まらなくなる。魅力ある興行や芸能は、いつだって観客と共に権威と対峙する存在でなければならないはずだと、僕はいまだに信じているところがある。
お客さんや選手の雰囲気を含めて、総合格闘技はやんちゃである。それに比べて、ボクシングの、特に選手たちは、ずっとストイックだ。
僕は、プロってなんなのだろうと、やっぱりずっと考えていた。
中村君が観客席にやってきた。
「高山さんすか」
そんな意外な顔をするなって。来るといったら来る。
「ありがとうございます。すんません、負けちゃいました」
「写真撮ろう。ブログ用。」
……と、客席の暗がりでセルフスナップショット。
撮りましょうかと助け舟を出してくれた方がいて、フラッシュ炊いてもう一枚。
「今日は飲むの?」
「飲みます」
「大丈夫なの、ボクシングで、試合後飲んだら致命的なダメージを受ける」
「頭、やられてませんから、大丈夫です」
「そうか」
第1部の5試合と、メインの第6試合まで見たところで休憩となった。そこで僕は帰ることにした。
ロビーは、試合の終わった選手、取材プレス、お客さんでごった返している。
中村くんと記念撮影しているお客さんたちの脇をすり抜けて、「あした本番だからさ、帰るね」と、僕は仁くんにだけ声を掛けた。
「帰るんすか、ちょっと待ってください」と、彼はお客さんたちに囲まれている中村君を呼びにいこうとする。
「いいから、いいから」という僕の制止も聞かない。すると中村君は、その時一緒に写真を撮ろうとしていた若い連中にちょっと待ってと手で合図をして、僕のところまで飛んできてくれた。
「ありがとうございました」
ここで僕が彼を引き止めては申し訳ない。ウンとだけ頷いて、とっとと退散した。確かに彼のお客さんの中では、もしかするとこの僕が最年長だったのかもしれない。そんな彼らの礼儀正しさに、少しばかり感心してうれしくなった。
会場を出て、今の自分の気分に合う絵が欲しくて、デジカメを出した。
しかし、なんだかどいつもこいつもしっくりこない。
あの橋は、どこのなに橋だろう。東京はすっかり見知らぬ街になってしまった。
ゆりかもめは空いていた。窓から外を撮ってみたりしたが、車内の明るさと外の暗さで鏡のようになった窓からでは、上手く撮影できるはずもない。
同じ車輌には僕の他に一人だけ女性が乗っていて、ふいに短か過ぎる黒いミニスカートの裾を引っ張った。その仕草が、僕の前の窓の鏡に映ったのだ。なるほど。僕はおかしくて笑いかけたが、ここで笑ってはますます変態おじさんに間違われてしまう。といって、すぐにカメラを片付けても、そっと車輌を移動しても、もう手遅れだ。彼女の脳にインプットされた記憶データは変えられない。これも運命、僕は一切の思考を停止して目を閉じて、死んだフリをした。
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