2011年01月04日(火)22時52分
小川信夫先生のお宅へお年始に
昨夜は本部に泊まり。
そして朝。
12月4日の富士山。

そして今日の富士山。

富士山の手前に見える山並みは丹沢にしては少し近過ぎる。もう少し近距離の神奈川の山地であろうか。富士山は11月の半ばからもう真っ白で、以降どの日の画像の富士山も同じ様子だが、手前の立ち木の葉の繁り方が違う。
ここは8階である。狛江市の町並み、その先に多摩川が流れ、その向こう岸が川崎市多摩区、よみうりランドの高台も見える。
「桝形城・落日の舞い」に、こんな稲毛三郎重成の台詞がある。
「多摩川沿いに多摩の横山に並んだ稲毛一族の山城は、すべて鎌倉の北の守りだ。」
その「多摩の横山」あたりまで見渡せているはずだ。山といっても100mもない丘である。標高83.9mの桝形山は左の方、さらに低いところにある小沢城址は、画像中央から少し右といったところだろうか。
その横山の麓あたりでは、今でも“のらぼう(野良坊と書くとか)”という野菜が作られているらしい。僕は今度の台本で初めてそんな名産のあることを知った。家の連中にも教えてやろうと話してみたのだが、「知ってるよ」と、あっさりした無感動の返答が帰ってきた。年中ではないが、“のらぼう”は近くのスーパーでも売られているという。子供が通っていた小学校の給食には、ちょくちょく食材として使われていたらしい。なんのことはない、“のらぼう”を知らなかったのは、子供の運動会に一度も顔を出したことのない父親だけであった。
その小学校の校歌を作詞されたのが、「桝形城・落日の舞い」の作者である小川信夫先生。子供たちは、例えば沖縄で初めて芥川賞を受賞した沖縄文学界の第一人者、大城立裕先生と親父が仕事をしていても、「ふーん」てなもんだが、自分の小学校の校歌を作詞した先生に会ったと言ったら「すごい」ときた。
昨年暮れ、その小川先生からお誘いを受けていた。そこで今日、お年賀に伺った。「桝形城・落日の舞い」の制作を担当されている関昭三さんもいらっしゃった。関さんは川崎市民劇場の代表、その前身は、かの京浜労演で、関さんはその創設から携わっていらっしゃる。
1967年の山本安英の会「夕鶴」から始まる川崎の市民演劇鑑賞会のおおよそ300回の上演記録を眺めれば、日本の新劇の歴史そのものを見るようだ。
……文化座「炎の人」、劇団東演「どん底」、文学座「女の一生」、俳優座「人形の家」、東京芸術座「蟹工船」、三十人会「日本の教育1960」、東京演劇アンサンブル「ガリレオガリレイの生涯」、劇団仲間「森は生きている」、民藝「奏山木の木の下で」、テアトル・エコー「11ぴきのねこ」、青年座「からゆきさん」、劇団四季「エクウス」、文化座「サンダカン八番娼館」、前進座「さんしょう太夫」、五月舎「薮原検校」、フォーリーズ「おれたちは天使じゃない」、自由劇場「上海バンスキング」、文化座「おりき」、こまつ座「國語元年」、青年座「ブンナよ木からおりてこい」、知人会「薮原検校」、劇団昴「アルジャーノンに花束を」……
しかし、それよりも前、京浜工業地帯の労働者に演劇という文化の種を蒔こうとした時代の話が興味深かった。だいたい「労演」にしても「労音」にしても、政党的な匂いをどうしても拭い去ることができない。振り返れば、それが演劇にとって「正しいあり方」であったのかどうか、決していい印象ばかりではない。とはいえ、演劇に刺激を受けた労働者によって日本を変えるという野望が、大きなエネルギーを持っていたことだけは確かだ。だが、関昭三さんが半世紀もの間、演劇鑑賞会の仕事を続けてこられたのは、そんな大層な理由とは少し違うところにあったようだ。演劇に携わる人たちが、実に楽しそうに生き生きとしていた。その魅力が、きっと関さんをこの世界に繋ぎとめた。そうだからこそ、回りの人たちも関さんを信頼して支えてこられたのかもしれない。そんなお人柄が今の関さんからにじみ出ている。
「川崎の労働者」と聞けば、僕はどうしても「沖縄」を思い起さずにはいられない。京浜労演はその立ち上げの頃、沖縄から出稼ぎに来ていた労働者の人々との関わりもあったのかどうか、でも、この日はそこまでお聞きすることはできなかった。いずれお伺いする機会があればとも思っているのだが。
左から、関昭三さん、岩崎明さん(小川先生の古いお知り合い)、そして小川信夫先生ご夫妻である。

そして朝。
12月4日の富士山。
そして今日の富士山。
富士山の手前に見える山並みは丹沢にしては少し近過ぎる。もう少し近距離の神奈川の山地であろうか。富士山は11月の半ばからもう真っ白で、以降どの日の画像の富士山も同じ様子だが、手前の立ち木の葉の繁り方が違う。
ここは8階である。狛江市の町並み、その先に多摩川が流れ、その向こう岸が川崎市多摩区、よみうりランドの高台も見える。
「桝形城・落日の舞い」に、こんな稲毛三郎重成の台詞がある。
「多摩川沿いに多摩の横山に並んだ稲毛一族の山城は、すべて鎌倉の北の守りだ。」
その「多摩の横山」あたりまで見渡せているはずだ。山といっても100mもない丘である。標高83.9mの桝形山は左の方、さらに低いところにある小沢城址は、画像中央から少し右といったところだろうか。
その横山の麓あたりでは、今でも“のらぼう(野良坊と書くとか)”という野菜が作られているらしい。僕は今度の台本で初めてそんな名産のあることを知った。家の連中にも教えてやろうと話してみたのだが、「知ってるよ」と、あっさりした無感動の返答が帰ってきた。年中ではないが、“のらぼう”は近くのスーパーでも売られているという。子供が通っていた小学校の給食には、ちょくちょく食材として使われていたらしい。なんのことはない、“のらぼう”を知らなかったのは、子供の運動会に一度も顔を出したことのない父親だけであった。
その小学校の校歌を作詞されたのが、「桝形城・落日の舞い」の作者である小川信夫先生。子供たちは、例えば沖縄で初めて芥川賞を受賞した沖縄文学界の第一人者、大城立裕先生と親父が仕事をしていても、「ふーん」てなもんだが、自分の小学校の校歌を作詞した先生に会ったと言ったら「すごい」ときた。
昨年暮れ、その小川先生からお誘いを受けていた。そこで今日、お年賀に伺った。「桝形城・落日の舞い」の制作を担当されている関昭三さんもいらっしゃった。関さんは川崎市民劇場の代表、その前身は、かの京浜労演で、関さんはその創設から携わっていらっしゃる。
1967年の山本安英の会「夕鶴」から始まる川崎の市民演劇鑑賞会のおおよそ300回の上演記録を眺めれば、日本の新劇の歴史そのものを見るようだ。
……文化座「炎の人」、劇団東演「どん底」、文学座「女の一生」、俳優座「人形の家」、東京芸術座「蟹工船」、三十人会「日本の教育1960」、東京演劇アンサンブル「ガリレオガリレイの生涯」、劇団仲間「森は生きている」、民藝「奏山木の木の下で」、テアトル・エコー「11ぴきのねこ」、青年座「からゆきさん」、劇団四季「エクウス」、文化座「サンダカン八番娼館」、前進座「さんしょう太夫」、五月舎「薮原検校」、フォーリーズ「おれたちは天使じゃない」、自由劇場「上海バンスキング」、文化座「おりき」、こまつ座「國語元年」、青年座「ブンナよ木からおりてこい」、知人会「薮原検校」、劇団昴「アルジャーノンに花束を」……
しかし、それよりも前、京浜工業地帯の労働者に演劇という文化の種を蒔こうとした時代の話が興味深かった。だいたい「労演」にしても「労音」にしても、政党的な匂いをどうしても拭い去ることができない。振り返れば、それが演劇にとって「正しいあり方」であったのかどうか、決していい印象ばかりではない。とはいえ、演劇に刺激を受けた労働者によって日本を変えるという野望が、大きなエネルギーを持っていたことだけは確かだ。だが、関昭三さんが半世紀もの間、演劇鑑賞会の仕事を続けてこられたのは、そんな大層な理由とは少し違うところにあったようだ。演劇に携わる人たちが、実に楽しそうに生き生きとしていた。その魅力が、きっと関さんをこの世界に繋ぎとめた。そうだからこそ、回りの人たちも関さんを信頼して支えてこられたのかもしれない。そんなお人柄が今の関さんからにじみ出ている。
「川崎の労働者」と聞けば、僕はどうしても「沖縄」を思い起さずにはいられない。京浜労演はその立ち上げの頃、沖縄から出稼ぎに来ていた労働者の人々との関わりもあったのかどうか、でも、この日はそこまでお聞きすることはできなかった。いずれお伺いする機会があればとも思っているのだが。
左から、関昭三さん、岩崎明さん(小川先生の古いお知り合い)、そして小川信夫先生ご夫妻である。
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