2011年01月07日(金)20時33分
「東国」のアクセントに拘ってみる
年明け最初の稽古です。
場所は、川崎区にある京浜協同劇団の稽古場。

「全日本リアリズム演劇会議」か、歴史を感じますねえ。
僕の名前が抜けていたチラシですが、それも修正してくださいました。
しかし「順不同」ってなんなのでしょう。決してデジタルでランダムな処理をしたわけでもなさそうですし、後から付け加えた僕の名前が最後というのが、ランダムでない証拠。まあ「順不同」というのは、並べた順に特段の意味はありませんから気にしないでくださいという意味なのでしょうからいいんですけれど、これだけの人数の最後に並べられると、いくら「順不同」と但書があっても、なんとなくこそばゆい感じがするのです。真ん中あたりにそっと紛れ込まして頂ければ心穏やかだったのに、なんて。
新しいチラシでは最後なのですが、実際の舞台ではどうやら最初に声を発することになるらしい。役名は「旅僧(たびそう)」。いわば能におけるワキ。ストーリーテラーに話すきっかけを与え、それから始まる物語では聞き手という役どころです。
芝居は旅僧の名乗りから始まります。そして主人公稲毛三郎重成の妻である綾子の化身の蝶に誘われ広福寺にたどり着く。そこで、ひとりの老女に出会います。その老女は、かつて重成の侍女頭であった八重。この八重がこの芝居のストーリーテラーで、目の前の旅僧に昔を語って聞かせるという形で舞台の前半は進んでいくのです。
つまり、本筋だけなら旅僧なんていなくても十分成立するのですが、しかしそのスパイスみたいな存在によって、芝居は二重三重の構造となって深さが増すというわけ。古の平安を現代に繋ぐ役割といっては言い過ぎでしょうか。しかし、スパイスは好みの別れるところ、なんとも責任重大であります。

さて、配役が100%決まっての初稽古、まずは頭から読み方や発音、アクセント(日本語の場合はイントネーションと言ったほうが適切かもしれませんが)などのチェックです。「鼻濁音が乱れていますねえ」という演出ふじたあさや氏の指摘。軽いジャブですな。
しかし、沖縄の言葉やその歴史を学び初めてから、僕は鼻濁音についての印象がすっかり変わってしまいました。特に最近、唄三線で古典を習うようになって、意識しないと出てしまう鼻濁音を、逆に封印する練習ばかりしているのです。鼻濁音を一切使わないというのもなかなか難しいのです。
でも、今回は平安の時代劇をやろうとしているわけですから、鼻濁音を「正しく」使うことは、必要なことなのでしょう。ただ、あたかも役者はいつでも「正しい鼻濁音」を使わなければならないと言い切ってしまうような表現は、それは違うのではないかと思うようになりました。
今までもM.A.P.after5や「社長とは呼ばないで」などで、鼻濁音について色々と書いてきました。そのいくつかをどうかお読みください。
⇒沖縄語の音韻講座、プロローグ(1)
⇒日本語の二大美点?
こんなことを言うから僕はまた敵を作るわけなのですが、性分なので仕方がありません。
仕方ないついでにもうひとつ言っちゃうことにします。
旅僧の「名乗り」は次のような台詞です。
「これは、諸国一見の僧です。このほど鎌倉に参り、寺社をめぐり、いくさの跡を尋ねての帰り道、足を伸ばして、東国の、鎌倉殿ゆかりの寺々に参ろうと思いまする。」
僕はこの中の「東国(とうごく)」のアクセントを( ̄___)と読んだのです。しかしこれに対して、ある超有名劇団のベテラン俳優さんからこんな御指摘を頂きました。「東国」を( ̄___)と読んでは「唐の国」に聞こえる。(_ ̄ ̄ ̄)が正しいのではないか。
ありがたき御教授、まず僕は、素直に受け入れて読み直することにしました。しかし何故かしっくりこない。
僕が「東国」を( ̄___)と読んだのには、それなりのワケがあって、僕の固い脳みそが、その「ワケ」をリセットできずにいるらしいのです。
「東国」を( ̄___)と読んで「唐の国」に聞こえるか否かはともかくとして、「東国」という言葉を実生活で使うことがあったとしたら、確かにおっしゃられる通り、僕も間違いなく(_ ̄ ̄ ̄)と発音します。にもかかわらず、この芝居において「東国」を( ̄___)と読みたいと思ったのは何故なのか。
その大きな要因として、この芝居の冒頭の「名乗り」を、「様式的」にしなければならないということがありました。
といって、能や狂言そのままに演ずるわけでもない。いったいどのように「様式的であること」を表現すればいいのか、まだまだ決めることはできません。そこでまず僕は、一音一音を浄瑠璃のように粒立てて語ってみること、そしてそれに加えて、「東国」を( ̄___)と読んでみることで、古典的な様式の「感じ」を付加することが出来るのではないかと思ったのです。
そう思ったのは感覚でしかありません。しかしその感覚は、僕のいくつかの知識やこれまでの経験によって、僕自身にはそれなりに根拠がありました。
日本語のアクセント(イントネーション※以後アクセントに統一)は、大雑把に言えば東と西の系統に大別され、いわゆる「標準語」はもちろん関東系、特段の地域性を芝居に持たせないのならば、たいがいそれ準じます。まして今回の芝居は東京に近い川崎の郷土劇なのですから、「標準語」のルールに従うのは当然でしょう。
しかし、古くは日本において関西のアクセントしかなかったという説を聞いたことがあります。少なくとも、古典的な芸能の多くは、京都あたりで成立したようです。「東国」を( ̄___)と発音するのが関西系のアクセントであるかどうか、その正確な知識は持ち合わせていないのですが、古典芸能のアクセントが、いわゆる標準語のアクセントとちょくちょくこれに類した差異を示すという感覚が僕にはあります。
そこで、(_ ̄ ̄ ̄)と発音するのが現代ではしっくりくる言葉を、あえて( ̄___)と発音することによって、一種の古典的な雰囲気が表現できるかもしれない、これが、僕がこのアクセントを選択した「ワケ」です。
そうした「理屈」が独り善がりなものであれば、勿論とっとと捨て去るべきですが、さて。
今から30年以上前のこと、「宗論」を演じたことがあります。しかしそれは狂言でも落語でもなく、台詞つきの日舞でした。

指導してくださったのは名古屋の花柳流の重鎮、花柳芳五三郎師の御曹司である花柳伊三郎さんです。その冒頭にこんな台詞がありました。

「まかりいでたる者は、都、東国の僧でござる。この度、思いたって……」
これが伝統的な台詞、文言であるのかどうかは不案内なのですが、少なくとも狂言の名乗りではありません。狂言の名乗りなら「このあたりの者でござる」というだけ、名乗らないのが狂言の名乗りで、こんな風に素性を明かしてしまう名乗りは狂言にはありません。
もしかすると、伊三郎さんの実験的創作であったのかもしれませんが。
この時、この「東国」を( ̄___)と伊三郎さんの口伝で語った微かな記憶が僕にはあるのです。とはいえ、名古屋出身の伊三郎さんですから、それだけの原因で( ̄___)と発音されたのかもしれません。だとすれば、これもいつまでもこだわるような話しではありませんが、確かにその時の経験によって、ひとつの感覚が植えつけられたということも事実のようです。
それから数年後こと、ひょんなことから、僕は講釈師の小金井芦州の弟子となり、今はなき本牧亭で前座を務めるような短い一時期がありました。
⇒28年の時を隔てて【小金井芦州のこと】
僕は芦州からよく「訛ってやがるなあ」と言われました。子供の頃3年ほど京都に住んでいましたが、これでも山の手生まれの山の手育ちです。訛っている自覚は全くないのですが、どうやら標準語と江戸弁の講談とでは、その発音もアクセントも似て非なるものだったようです。
講談には台本があります。しかし、修行はもちろん全て口伝です。

最後の講釈師と言われた名人との一対一の稽古、それは貴重な時間でした。そしてこの経験においても、「東国」を( ̄___)と発音する「感覚」は、むしろ補強されたというふうに、今思い起こしてみると感じるのです。
最近、落語を演ずる機会がありました。三笑亭夢丸さんの新江戸噺のひとつ、「紅い手」という怪談噺を朗読するという企画です。
その「紅い手」の中に、「中仙道」という言葉が出てきました。普通に語れば「なかせんどう」は(_ ̄ ̄___)です。それが山の手で育った僕の感覚です。しかし、夢丸さんからお借りしたテープでは、師匠は( ̄_____)と語っていらっしゃいました。落語は個々自由な芸ではありますが、言葉の発音やアクセントなどの基本は口伝です。何度かその通りになぞっているうちに、なるほどこの方が、落語にはしっくりくると感じられ始めたのです。終演後、文芸評論家の大友浩さんとお話をさせて頂きました。その際、大友さんも中仙道をやはり( ̄_____)とおっしゃられたのを聞いて、なるほどとあらためて納得したのでした。
後で調べて分かったことなのですが、中仙道を( ̄_____)というアクセントは、少し古い言い方であるらしいのです。東海道もやはり古くは( ̄_____)といっていたらしい。そういえば小金井芦州の「芦州(ろしゅう)」も、若い人たちは(_ ̄ ̄先生)と言っていましたが、年配の方々は( ̄__さん)と呼んでいらっしゃいました。
因みに、僕の手元にあるNHK編の『アクセント事典』(昭和41年発行)には、「中仙道」も「東海道」も、そして「東国」も、ふたつのアクセントが併記されているということを付け加えておきましょう。しかし全て二字目上がりのほうが先の表示ではありますが。

さてここで、ご存知の方も多いでしょうが、山田耕筰氏が作曲した「赤とんぼ」の歌詞の「あかとんぼ」のイントネーションについてお話しようと思いました。しかし、先にご紹介した大友浩さんが、それについて僕などよりはるかに深い薀蓄を書いていらっしゃるサイトを見つけたので、そのリンクを貼り付けておくことにします。是非お読みください。
⇒http://www.honza.jp/author/5/otomo_hiroshi…
(※但し『アクセント事典』では「あかとんぼ」は(_ ̄ ̄__)の記述しかなく、落語では常識という( ̄____)の記載はありません。)
さて、では「東国」をどうするか、いまだ結論は出ていないのです。しかしです。僕は始めに「『東国』を( ̄___)と読んで『唐の国』に聞こえるか否かはともかくとして」と書きました。しかし、舞台の上でお客様に言葉を伝えるのが仕事の役者たるもの、発した言葉が正確な意味で伝わるかどうかは、「ともかくとして」しまうようなことではないはずです。その意味では、僕のアクセントについて御指摘くださった大先輩のお言葉には、しっかりと耳を傾けなければならないのだろうと思います。
ということで(というか、にも関わらず、というか)、色々な方に聞いてみることにしたのです。そしてまずは身近な方々に聞いてみることにしました。それから、今後も引き続き聞いてみようと思っているのです。粘着気質の役者の試み。それらは《続き》でご覧あれ……
場所は、川崎区にある京浜協同劇団の稽古場。
「全日本リアリズム演劇会議」か、歴史を感じますねえ。

しかし「順不同」ってなんなのでしょう。決してデジタルでランダムな処理をしたわけでもなさそうですし、後から付け加えた僕の名前が最後というのが、ランダムでない証拠。まあ「順不同」というのは、並べた順に特段の意味はありませんから気にしないでくださいという意味なのでしょうからいいんですけれど、これだけの人数の最後に並べられると、いくら「順不同」と但書があっても、なんとなくこそばゆい感じがするのです。真ん中あたりにそっと紛れ込まして頂ければ心穏やかだったのに、なんて。
新しいチラシでは最後なのですが、実際の舞台ではどうやら最初に声を発することになるらしい。役名は「旅僧(たびそう)」。いわば能におけるワキ。ストーリーテラーに話すきっかけを与え、それから始まる物語では聞き手という役どころです。
芝居は旅僧の名乗りから始まります。そして主人公稲毛三郎重成の妻である綾子の化身の蝶に誘われ広福寺にたどり着く。そこで、ひとりの老女に出会います。その老女は、かつて重成の侍女頭であった八重。この八重がこの芝居のストーリーテラーで、目の前の旅僧に昔を語って聞かせるという形で舞台の前半は進んでいくのです。
つまり、本筋だけなら旅僧なんていなくても十分成立するのですが、しかしそのスパイスみたいな存在によって、芝居は二重三重の構造となって深さが増すというわけ。古の平安を現代に繋ぐ役割といっては言い過ぎでしょうか。しかし、スパイスは好みの別れるところ、なんとも責任重大であります。
さて、配役が100%決まっての初稽古、まずは頭から読み方や発音、アクセント(日本語の場合はイントネーションと言ったほうが適切かもしれませんが)などのチェックです。「鼻濁音が乱れていますねえ」という演出ふじたあさや氏の指摘。軽いジャブですな。
しかし、沖縄の言葉やその歴史を学び初めてから、僕は鼻濁音についての印象がすっかり変わってしまいました。特に最近、唄三線で古典を習うようになって、意識しないと出てしまう鼻濁音を、逆に封印する練習ばかりしているのです。鼻濁音を一切使わないというのもなかなか難しいのです。
でも、今回は平安の時代劇をやろうとしているわけですから、鼻濁音を「正しく」使うことは、必要なことなのでしょう。ただ、あたかも役者はいつでも「正しい鼻濁音」を使わなければならないと言い切ってしまうような表現は、それは違うのではないかと思うようになりました。
今までもM.A.P.after5や「社長とは呼ばないで」などで、鼻濁音について色々と書いてきました。そのいくつかをどうかお読みください。
⇒沖縄語の音韻講座、プロローグ(1)
⇒日本語の二大美点?
こんなことを言うから僕はまた敵を作るわけなのですが、性分なので仕方がありません。
仕方ないついでにもうひとつ言っちゃうことにします。
旅僧の「名乗り」は次のような台詞です。
「これは、諸国一見の僧です。このほど鎌倉に参り、寺社をめぐり、いくさの跡を尋ねての帰り道、足を伸ばして、東国の、鎌倉殿ゆかりの寺々に参ろうと思いまする。」
僕はこの中の「東国(とうごく)」のアクセントを( ̄___)と読んだのです。しかしこれに対して、ある超有名劇団のベテラン俳優さんからこんな御指摘を頂きました。「東国」を( ̄___)と読んでは「唐の国」に聞こえる。(_ ̄ ̄ ̄)が正しいのではないか。
ありがたき御教授、まず僕は、素直に受け入れて読み直することにしました。しかし何故かしっくりこない。
僕が「東国」を( ̄___)と読んだのには、それなりのワケがあって、僕の固い脳みそが、その「ワケ」をリセットできずにいるらしいのです。
「東国」を( ̄___)と読んで「唐の国」に聞こえるか否かはともかくとして、「東国」という言葉を実生活で使うことがあったとしたら、確かにおっしゃられる通り、僕も間違いなく(_ ̄ ̄ ̄)と発音します。にもかかわらず、この芝居において「東国」を( ̄___)と読みたいと思ったのは何故なのか。
その大きな要因として、この芝居の冒頭の「名乗り」を、「様式的」にしなければならないということがありました。
といって、能や狂言そのままに演ずるわけでもない。いったいどのように「様式的であること」を表現すればいいのか、まだまだ決めることはできません。そこでまず僕は、一音一音を浄瑠璃のように粒立てて語ってみること、そしてそれに加えて、「東国」を( ̄___)と読んでみることで、古典的な様式の「感じ」を付加することが出来るのではないかと思ったのです。
そう思ったのは感覚でしかありません。しかしその感覚は、僕のいくつかの知識やこれまでの経験によって、僕自身にはそれなりに根拠がありました。
日本語のアクセント(イントネーション※以後アクセントに統一)は、大雑把に言えば東と西の系統に大別され、いわゆる「標準語」はもちろん関東系、特段の地域性を芝居に持たせないのならば、たいがいそれ準じます。まして今回の芝居は東京に近い川崎の郷土劇なのですから、「標準語」のルールに従うのは当然でしょう。
しかし、古くは日本において関西のアクセントしかなかったという説を聞いたことがあります。少なくとも、古典的な芸能の多くは、京都あたりで成立したようです。「東国」を( ̄___)と発音するのが関西系のアクセントであるかどうか、その正確な知識は持ち合わせていないのですが、古典芸能のアクセントが、いわゆる標準語のアクセントとちょくちょくこれに類した差異を示すという感覚が僕にはあります。
そこで、(_ ̄ ̄ ̄)と発音するのが現代ではしっくりくる言葉を、あえて( ̄___)と発音することによって、一種の古典的な雰囲気が表現できるかもしれない、これが、僕がこのアクセントを選択した「ワケ」です。
そうした「理屈」が独り善がりなものであれば、勿論とっとと捨て去るべきですが、さて。
今から30年以上前のこと、「宗論」を演じたことがあります。しかしそれは狂言でも落語でもなく、台詞つきの日舞でした。
指導してくださったのは名古屋の花柳流の重鎮、花柳芳五三郎師の御曹司である花柳伊三郎さんです。その冒頭にこんな台詞がありました。
「まかりいでたる者は、都、東国の僧でござる。この度、思いたって……」
これが伝統的な台詞、文言であるのかどうかは不案内なのですが、少なくとも狂言の名乗りではありません。狂言の名乗りなら「このあたりの者でござる」というだけ、名乗らないのが狂言の名乗りで、こんな風に素性を明かしてしまう名乗りは狂言にはありません。
もしかすると、伊三郎さんの実験的創作であったのかもしれませんが。
この時、この「東国」を( ̄___)と伊三郎さんの口伝で語った微かな記憶が僕にはあるのです。とはいえ、名古屋出身の伊三郎さんですから、それだけの原因で( ̄___)と発音されたのかもしれません。だとすれば、これもいつまでもこだわるような話しではありませんが、確かにその時の経験によって、ひとつの感覚が植えつけられたということも事実のようです。
それから数年後こと、ひょんなことから、僕は講釈師の小金井芦州の弟子となり、今はなき本牧亭で前座を務めるような短い一時期がありました。
⇒28年の時を隔てて【小金井芦州のこと】
僕は芦州からよく「訛ってやがるなあ」と言われました。子供の頃3年ほど京都に住んでいましたが、これでも山の手生まれの山の手育ちです。訛っている自覚は全くないのですが、どうやら標準語と江戸弁の講談とでは、その発音もアクセントも似て非なるものだったようです。
講談には台本があります。しかし、修行はもちろん全て口伝です。
最後の講釈師と言われた名人との一対一の稽古、それは貴重な時間でした。そしてこの経験においても、「東国」を( ̄___)と発音する「感覚」は、むしろ補強されたというふうに、今思い起こしてみると感じるのです。
最近、落語を演ずる機会がありました。三笑亭夢丸さんの新江戸噺のひとつ、「紅い手」という怪談噺を朗読するという企画です。
その「紅い手」の中に、「中仙道」という言葉が出てきました。普通に語れば「なかせんどう」は(_ ̄ ̄___)です。それが山の手で育った僕の感覚です。しかし、夢丸さんからお借りしたテープでは、師匠は( ̄_____)と語っていらっしゃいました。落語は個々自由な芸ではありますが、言葉の発音やアクセントなどの基本は口伝です。何度かその通りになぞっているうちに、なるほどこの方が、落語にはしっくりくると感じられ始めたのです。終演後、文芸評論家の大友浩さんとお話をさせて頂きました。その際、大友さんも中仙道をやはり( ̄_____)とおっしゃられたのを聞いて、なるほどとあらためて納得したのでした。
後で調べて分かったことなのですが、中仙道を( ̄_____)というアクセントは、少し古い言い方であるらしいのです。東海道もやはり古くは( ̄_____)といっていたらしい。そういえば小金井芦州の「芦州(ろしゅう)」も、若い人たちは(_ ̄ ̄先生)と言っていましたが、年配の方々は( ̄__さん)と呼んでいらっしゃいました。
因みに、僕の手元にあるNHK編の『アクセント事典』(昭和41年発行)には、「中仙道」も「東海道」も、そして「東国」も、ふたつのアクセントが併記されているということを付け加えておきましょう。しかし全て二字目上がりのほうが先の表示ではありますが。
さてここで、ご存知の方も多いでしょうが、山田耕筰氏が作曲した「赤とんぼ」の歌詞の「あかとんぼ」のイントネーションについてお話しようと思いました。しかし、先にご紹介した大友浩さんが、それについて僕などよりはるかに深い薀蓄を書いていらっしゃるサイトを見つけたので、そのリンクを貼り付けておくことにします。是非お読みください。
⇒http://www.honza.jp/author/5/otomo_hiroshi…
(※但し『アクセント事典』では「あかとんぼ」は(_ ̄ ̄__)の記述しかなく、落語では常識という( ̄____)の記載はありません。)
さて、では「東国」をどうするか、いまだ結論は出ていないのです。しかしです。僕は始めに「『東国』を( ̄___)と読んで『唐の国』に聞こえるか否かはともかくとして」と書きました。しかし、舞台の上でお客様に言葉を伝えるのが仕事の役者たるもの、発した言葉が正確な意味で伝わるかどうかは、「ともかくとして」しまうようなことではないはずです。その意味では、僕のアクセントについて御指摘くださった大先輩のお言葉には、しっかりと耳を傾けなければならないのだろうと思います。
(文責:高山正樹)
ということで(というか、にも関わらず、というか)、色々な方に聞いてみることにしたのです。そしてまずは身近な方々に聞いてみることにしました。それから、今後も引き続き聞いてみようと思っているのです。粘着気質の役者の試み。それらは《続き》でご覧あれ……
【色々な人に聞いてみました】
Q1:「東国」をどう読みますか
観世桂男さん(観世秀夫氏の御長男で劇作家。でも能の世界には入らなかった方)
A:(_ ̄ ̄ ̄)ですかねえ。でもそれじゃあ「投獄」に聞こえちゃうなあ。身近にもアクセント事典以上に詳しい人はいません。
楠定憲さん(香川県出身の劇団あとむ副代表)
A:わからん。イントネーションは苦手だから。
吉川秀樹さん(元三十人会の役者さんで狂言師三宅右近のお弟子さん)
A:狂言に「東国」なんて言葉出てきたことはない。でももし出てくれば(_ ̄ ̄ ̄)だろうな。
宇夫方路さん(もう25年くらい前に狂言を習っていた)
A:わからないけど、でも(_ ̄ ̄ ̄)だと「投獄」みたいだから、やっぱり( ̄___)かな。
Q2:「東国( ̄___)」と聞いてなんだと思いますか。
楠定憲さん
A:少なくとも唐の国とは思わない。
大島純さん(岡山県出身のチェリスト)
A:僕は「唐の国」が思い浮かびました。
宇夫方路さん
A:まあ東の国かな。唐の国とは思わない。
【高山正樹の感覚】
先に「東国」を普通に読めば(_ ̄ ̄ ̄)だと言いました。しかし単語単独で「とうごく(_ ̄ ̄ ̄)」と聞いたとしたら、「東国」より「投獄」を思い浮かべるでしょう。逆に( ̄___)と聞いて「唐国」とは全く思いません。「とう( ̄_)」だけなら「唐の国」を思い起こしますが、「とうごく( ̄___)」なら、一瞬「?」と思っても「東国」以外にないと判断すると思うのです。つまり、僕の記憶装置の中に「とうごく( ̄___)」と発音する語彙が「東国」以外には存在しないのです。今まで唐という国を指す言葉として、「唐」でも「唐の国」でもない「唐国」という言葉に出会った経験がないのです。
しかし、吉川さんの御意見は新鮮かつ予想通りでもありました。というのは、今まで狂言について、古典芸能でありながら、現代的な言葉を使うことに少しも抵抗がない芸能であるということを、何度も目の当たりにしてきた経験があるからなのです。
どうやら僕は、「様式」にこだわりすぎているのではないだろうか。
「東国」を(_ ̄ ̄ ̄)と読むのが普通ならば、ごちゃごちゃ言わずに、そう語ればいいのではないか。
でも、もう少し皆さんのご意見も伺って、考えてみたいと思っています。
めんどくさくて、使いにくい役者ですなあ。
Q1:「東国」をどう読みますか
観世桂男さん(観世秀夫氏の御長男で劇作家。でも能の世界には入らなかった方)
A:(_ ̄ ̄ ̄)ですかねえ。でもそれじゃあ「投獄」に聞こえちゃうなあ。身近にもアクセント事典以上に詳しい人はいません。
楠定憲さん(香川県出身の劇団あとむ副代表)
A:わからん。イントネーションは苦手だから。
吉川秀樹さん(元三十人会の役者さんで狂言師三宅右近のお弟子さん)
A:狂言に「東国」なんて言葉出てきたことはない。でももし出てくれば(_ ̄ ̄ ̄)だろうな。
宇夫方路さん(もう25年くらい前に狂言を習っていた)
A:わからないけど、でも(_ ̄ ̄ ̄)だと「投獄」みたいだから、やっぱり( ̄___)かな。
Q2:「東国( ̄___)」と聞いてなんだと思いますか。
楠定憲さん
A:少なくとも唐の国とは思わない。
大島純さん(岡山県出身のチェリスト)
A:僕は「唐の国」が思い浮かびました。
宇夫方路さん
A:まあ東の国かな。唐の国とは思わない。
【高山正樹の感覚】
先に「東国」を普通に読めば(_ ̄ ̄ ̄)だと言いました。しかし単語単独で「とうごく(_ ̄ ̄ ̄)」と聞いたとしたら、「東国」より「投獄」を思い浮かべるでしょう。逆に( ̄___)と聞いて「唐国」とは全く思いません。「とう( ̄_)」だけなら「唐の国」を思い起こしますが、「とうごく( ̄___)」なら、一瞬「?」と思っても「東国」以外にないと判断すると思うのです。つまり、僕の記憶装置の中に「とうごく( ̄___)」と発音する語彙が「東国」以外には存在しないのです。今まで唐という国を指す言葉として、「唐」でも「唐の国」でもない「唐国」という言葉に出会った経験がないのです。
しかし、吉川さんの御意見は新鮮かつ予想通りでもありました。というのは、今まで狂言について、古典芸能でありながら、現代的な言葉を使うことに少しも抵抗がない芸能であるということを、何度も目の当たりにしてきた経験があるからなのです。
どうやら僕は、「様式」にこだわりすぎているのではないだろうか。
「東国」を(_ ̄ ̄ ̄)と読むのが普通ならば、ごちゃごちゃ言わずに、そう語ればいいのではないか。
でも、もう少し皆さんのご意見も伺って、考えてみたいと思っています。
めんどくさくて、使いにくい役者ですなあ。
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http://lince.jp/hito/kawasa...
だって、あさやさんがさあ……