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“串かん”の暖簾をくぐる時

※1月25日の記事です。
《1月24日24時05分》
二軒目は“串かん”。
“串かん”のお通し
若かりし頃、芝居や政治や哲学について、友と語る時は、いつだってこういう飲み屋で飲んだ、てな話を、一昨年に書いたっけ。そのことを今日あらためて思ったのだ。
 ⇒2009年9月28日の記事
最近はトンとなくなったが、友人と深く語るために酒を飲み肴を食いたいと思う時は、焼きトンをツマミに安酒をあおることのできる店に行く。客は混んでいるに限る。そして座敷がいい。そんな店が喜多見にあるかと問われれば、今のところ“串かん”くらいしか思い浮かばない。

この日、“串かん”で語ったことは、山猫合奏団のブログに書いた。
 ⇒http://lince.jp/lince/nyaas/sinka…

例えば行きつけの店だと、ついついマスターとの軽口で時を埋めることになる。喜多見にはそんな店が多い。今夜もきっと、若者たちがそれぞれお気に入りの店で、そうした時間を過ごしている。M.A.P.after5としても、そんなお店は記事にしやすい。

“串かん”のオヤジさんとだって、カウンターに何度か座れば、やがて常連さんのように親しくなれるだろう。しかし、“串かん”で飲む時は、いつもたいがい連れと話しをしたくて行くものだから、必ず奥の座敷で飲むことになる。

そういうスペースが、喜多見の他の居酒屋にないわけではない。だが、マスターと親し過ぎてしまったり、雰囲気がおしゃれ過ぎたり、肴が美味過ぎたり、そうすると、話は決して深化しない。

例えば、美味い肴が売りの店なら、話の中心はどうしたって料理のことになる。居酒屋情報がお目当てのブログ読者は、そんな料理の話題を欲しがっているらしいが、今日の僕らは、肴を食いたいわけではない。
“串かん”の肴が不味いと言っているのではない。気持ちよく話しをするのに、不味い肴は水を差す。だが、どうだ美味いだろうなどと、出しゃばられても困るというだけだ。

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このレバ刺しも美味かった。“ばりき家”に比べてどうかって? さて、それは憶えていない。なぜなら、話に夢中だったから。

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深まる話の糸を切らないために、「焼きとり」はうまいカシラがいい。それと、ありがちな軟骨があればいい。例えば“鳥研”の肉は、主役になってしたい話を止めてしまう。

まだ青臭かった頃、まるで夜が永久に続くかのように話しに耽った。だが、もうそんなことはなくなってしまった。きっと、いろんなことが邪魔をしている。
気持ちよく話しを切り上げた大人の僕らが店を出ると“串かん”の看板の明りがそっと消えた。
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今日のような時間を過ごしたいと思った時は、僕たちはまた“串かん”の暖簾をくぐるだろう。はたしてこの感覚、伝わるかなあ。
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tag: 喜多見_居酒屋.串かん 

Comment

No:1002|
この日、夜が明けた25日、財布のないことに気がついた。夕方まで待ってまず串かんに電話を掛けたが「無い」という答え。その後、駅前の交番に届けたりもしたが、出てくるわけもなく、もうすっかりあきらめていた。
No:1003|
この後だいぶ経ってから、もしかしたら3月に入るころだったか、サミットの前で串かんのマスターに呼び止められました。
「あぁ、良かった、会えてよかった!あれ、あったのあったの」
と。。。何のことか気がつくまで数秒かかりました。
忘れ物がないかと電話をしたときに座敷を見たときには何も見えなかったけれど、掃除をしようと座布団をあげたらその下にあったそうです。
連絡先がわからなくて、店の子にも見かけたら声をかけてと言っておいたのだけれど、なかなか会えなくて、ずっと気になっていたんだそうです。
マスター、ありがとうございました

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