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広福寺から桝形山を歩く

今朝の富士には雲が乗っかっていた。
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何故か桝形の城址に行ってみたくなった。
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多摩の横山まで歩いていくことにした。
「そういううちにここはもう生田の杜。あれに見ゆるは、桝形の城跡……」
旅の僧は鎌倉から歩いてきた。多摩川沿い、今の府中街道あたりを歩いてきたのなら東からアクセスすることになるのだが、南や西からの道もあったのかどうか。今日の小生は世田谷街道、つまり北側の津久井道から桝形城址へ向かう。

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この“くらやみ坂”を上り切れば桝形の城跡である。
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「このあたりに、桝形の城主・稲毛三郎殿と奥方を葬った御寺があると聞いたが……」
少し上がった右側に、広福寺はある。
広福寺の北の門。参道は少し一時の方向、つまり鬼門の方角に傾いている。正面に観音堂が見える。
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その門を入る。昨年の10月31日以来の再訪である。
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本堂は左側。
鐘越しに見た本堂 
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稲毛山廣福密寺とある。
承和年間(834〜848年)、慈覚大師円仁が開いた。その後荒れ寺になっていたが、1200年初頭、稲毛三郎重成が阿闍梨を招いて中興したと言われる。真言宗のお寺である。

御本尊は木造五智如来坐像。
1500年台の終わり、秀吉が天下を取った後、桃山の時代に作られた重成の坐像が祀られているのもこの本堂である。
本堂の反対側、つまり広福寺の東にはもうひとつ別の門がある。
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こちらは裏門なのだという。
しかし、本堂の正面にあるこの門が、方角からいっても本来の正門なのではないかとも思ったのだが、よく分からない。
再び境内に戻って観音堂への階段を上がる。
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「されば、稲毛三郎殿の奥津城は……」
「はい、あの奥に……」
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「奥方もともに葬られたとか……」
「お二方にふさわしく、比翼の塚でござりまする」
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手を合わせ、“くらやみ坂”を上って城跡へ向かう。
冬で木々に葉がないせいか、今日のこの坂は明るい。それでも、振り返れば、建物に遮られてもう広福寺は全く見えない。
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城跡まで、もう少し上らなければならない。
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そして……
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誰が書いたのか、四隅に東西南北の文字がある。
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今日は展望台に昇ってみることにした。
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エレベーターもあるのだが、もちろん健康ゲーム中の小生、階段を使う。
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いやはや、驚いた!
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こういう景色をご紹介するとなると、いいカメラが欲しくなる。ブログの横幅を拡げて、もっと大きなサイズの画像を貼り付けられるようにしたくなる。そうか、フォトなんとかみたいなサイトを利用してそこにリンクを貼ればいいのかな。
「どなたかお教えくだされ」
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いつも渡っている多摩川の橋も見えるではないか。
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そうか、ということは、あちらからもここが見えるわけだ。気がつかなかった。今度は向こうからこちらを撮影してみよう。

だんだんと曇が増えてきたが、富士山もまだ辛うじて見えた。
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新宿である。
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さらに右へ。
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スカイツリーが写っているのだが、お分かりになるであろうか。
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あ゛ー、いいカメラが欲しい。
ともかく、360°見渡せる絶景なのである。横浜も写したのだが残念ながらピンボケで使えない。

いつの間にか旅僧の静かな気分は何処へやら。いかんいかんと多摩の横山の連なりに目を凝らせば、よみうりランドが良く見える。
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しかし、すぐそこにあるはずの広福寺は、幾重もの木々の向こうに隠れている。
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灯台下暗し。そろそろ人生の半ばを大きく越えて、旅僧くん、少し遠くを見過ぎてはいないかと、自省している。
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tag: 富士山  「枡形城落日の舞い」   

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