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古鎌倉街道の中道の支道

二本担いでいくのはちょっと無理だな。
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詰日が刻印されていないほうが古いのかもしれないが……
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詰日が表示されているほうにしよう。じゃないと、古いことがわからないからね。
記録がないと、誰も信じない。
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2005年9月1日か。泡盛は瓶熟成するからね。5年ものの酒(クースー)だ。ずっと本部の暗い戸棚の中に置いてあったから、きっといい状態で熟しているに違いない。

喜多見の事務所で少し仕事をして、自転車で阿佐ヶ谷に向かう。と、すぐに雪が降ってきた。失敗したかな。
北上して国道20号(甲州街道)に出る。新宿方面に走り、上北沢から左に曲がるのだが、そこにこんな看板があった。地図調査用語で言えば交差点名板である。
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後で調べたら、鎌倉街道の中道の支道らしい。この南は、世田谷区を突っ切って、祖師ヶ谷大蔵から喜多見の南側を回るようにして登戸へと続いている。機会があれば、地図でも携えて歩いてみるか。

石橋山の合戦に破れ安房国に逃れていた源頼朝が、やがて味方を増やして武蔵を窺う。いよいよ畠山重忠らを味方につけ、武蔵の国を通って鎌倉入りする。記録には残っていないが、稲毛三郎重成も、従兄弟の重忠と共にその中にいたに違いない。その折に通った道がここだという説もあるらしいが真偽は定かでない。

ここから1km足らずのところに神田川が流れていて、架かる橋の名が鎌倉橋であった。
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当時の古い道筋と今のこの商店街とは位置が違うのかもしれないが、歴史などというものを学ぶと、なんでもないこんな道からも、古(いにしえ)の匂いを感じようとしている素直な自分がいて不思議だ。
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時の支配者が残した記録から抹消された真実……

鎌倉道は途中から東へ、中野の方角へ抜けていく。ボクはそれと分かれてまっすぐに北へ向かう。

今日はこれから、阿佐ヶ谷でMHKの会合なのである。
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tag: 「枡形城落日の舞い」   

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