2011年02月17日(木)22時19分
古の歴史の真実
山猫合奏団の合わせ。
相変わらずの白石准の勘違い。

それを写している俺も阿呆だな。
今日も立ち稽古。少し気になって、がさごそとリュックからカメラを取り出した。
鎌倉の時代に行灯、どうもミスマッチなのである。行灯は江戸の匂いがする。時代劇の室内の灯は行灯という簡単な勘違い、とりあえず稽古での代用品、そうであって欲しい。
鎌倉ならきっと灯台ではないか。
⇒「灯台下暗し」のはなし
いや、貴族の住む京の屋敷ならいざ知らず、東国武士の館には灯台すらなかったかもしれない。
江戸になって行灯が普及しても、庶民にとって植物油は高嶺の花で、替わりに魚の油をつかっていたという。しかし稲毛の里では、アブラナ科の“のらぼう”が採れたというから、もしかすると稲毛三郎は、贅沢に油を燃やしていたという解釈も、この芝居の背景としてはおもしろいかもしれないが、それでもやっぱり行灯は似合わない。
ただ、鎌倉の時代から“のらぼう”を栽培していたと川崎市では言っているのだが、1700年代のジャバナの種が“のらぼう”の起源だという説もあるわけで。
要するに、それほどにも確定的なことが分からない時代の芝居をやっているのだということは、きちっと抑えておかなければならないのだろう。道具にしろ所作にしろ、そして言葉にしろ、江戸あたりの親しい時代と混同する勘違いには十分に気をつけることだ。現代から100年少し遡ればもうちょんまげの時代だが、江戸と鎌倉との間には500年以上もの時の隔たりがある。
一昨日の稽古の帰り、「なんだか気に入らない」と思ったのも、どうやらそのあたりに原因がある。遠い古の人びとの心を、現代の感覚で容易に理解できるところまで引き寄せて解釈しようとした勘違い。
相模川の橋供養からの帰途、頼朝は平家一門の亡霊に出会って落馬し、そのまま怨霊の祟りで死んだという類のハナシを、現代の歴史家がまともに取り上げるはずもない。だが僕は、平家の怨霊など存在するわけが無いという現代の常識を疑ってみたいと思うのだ。怨霊が頼朝を殺したという当時の民衆の常識を素直に受け入れてみるとどうなるのか。
それにしても橋供養の日に事件が起こったとは、なんとも象徴的である。川は現世と異界との境界(三途の川しかり)であり、橋は二つの世界を結ぶものだと考えられていた。だから橋の上は、昔からあの世の住人の出現しやすい場所だとされてきたのだ。辻や村境、峠も同様である。そうしたところに、道祖神や地蔵が多くあるが、それらを前近代の遺物として顧みないのが歴史家の仕事ならなんとも詰まらない。
怨霊は、確かにいたのである。問題はその棲家である。
頼朝は北条の謀略によって殺された。また、頼朝を殺したのは、平家の怨霊であった。そのどちらも歴史の真実である。いったいどういうことなのか。
簡単なことではないか。つまり、平家の怨霊は北条時政の心の中に棲んでいたということである。「頼朝は北条の謀略によって殺された」と「頼朝を殺したのは平家の怨霊であった」とは、同じことを別な視点で言ったに過ぎない。真実はひとつだった。それが「源平交代の呪縛」の意味であった。
心理学のハナシをしているのではない。時政の中の怨霊は、決して幻覚などではなく、自由に体外へ抜け出すことのできる実存であった。たとえそれが頼朝の眼前に現れたとしても、疑うことは何も無い。その不思議を信じてはいけない理由など、どこにもないのだ。たとえ水飲み病が頼朝死因の事実だとしても、歴史の真実は変わらない。
琵琶法師は平家の怨霊を鎮めるといいながら、その実、人びとの心の中に棲む霊魂に命を吹き込み続けてきたと言うべきであろう。盲僧は戦いに倒れた者たちを供養するどころか、琵琶を奏でる度にツワモノの怨念を再生産してきたのだ。現代風に解説するなら、人々が平家の記憶をいつまでもとどめておくように、ということになるのであろうが、そういう表現では、きっと怨霊の、つまりは歴史の実体を取り逃がすことになる。
いったい、この琵琶法師のシステムは、何故に必要だったのか、おぼろげに見えてきたものもあるのだが、それについては、今少し考えてから、書いてみよう。
ああ、現実に進行している市民劇の課題からすっかり遠く離れてしまったようだ。
たださ、稲毛三郎重成を現代に蘇らせる意味と方法を、徹底的に考え尽くす以外に、今回の市民劇には一般市民があまり参加していないというような表層的な批判を無効にする方途はないと思うのだ……、なんてね、そんな偉そうなこと、一兵卒の僕が言うことではない。
だから僕は、再び自分ひとりの妄想的ゲームに逃げ込むんだ。
そうしてもうひとつの課題。「源頼朝と稲毛三郎重成および畠山二郎重忠は歴史から自由であったのか」という僕の仮想的解釈に対する自分自身の疑義について、ゆっくりと考え始めようと思う……
稽古が終わって。
今回の演出助手、オフィスプロジェクトMの代表、劇作家の丸尾聡氏である。

間もなく、こんな舞台が始まる。
“死刑執行人”

3月9日(水)から15日(火)まで。中野“テアトルBONBON”にて。
チラシの裏の解説に、こんな一文があった。
「問わねばならない、見えてはならない存在を、国家と善き人が作り出してよいのかを」
少し意味合いは違うが、沖縄を考えるようになってから、「見えてはならない存在」に類したモノと出会い続けてきたように思う。僕が盲目の琵琶法師に拘るのも、そのことと無関係ではない。
そして、僕は書きたい沖縄の芝居が達磨のように書けなくなった。書けなくなって、25年間を悶々と過ごしてきた。そのことは、いずれ“社長とは呼ばないで”に書く。
⇒“社長とは呼ばないで”「沖縄のこと」のカテゴリ
丸尾氏は沖縄に関わるモノを書くことになったらしい。
この日、宇夫方女史は厚木と狛江で琉球舞踊を教えていた。
⇒http://mapryukyubuyou.ti-da…
相変わらずの白石准の勘違い。
それを写している俺も阿呆だな。
鎌倉の時代に行灯、どうもミスマッチなのである。行灯は江戸の匂いがする。時代劇の室内の灯は行灯という簡単な勘違い、とりあえず稽古での代用品、そうであって欲しい。
鎌倉ならきっと灯台ではないか。
⇒「灯台下暗し」のはなし
いや、貴族の住む京の屋敷ならいざ知らず、東国武士の館には灯台すらなかったかもしれない。
江戸になって行灯が普及しても、庶民にとって植物油は高嶺の花で、替わりに魚の油をつかっていたという。しかし稲毛の里では、アブラナ科の“のらぼう”が採れたというから、もしかすると稲毛三郎は、贅沢に油を燃やしていたという解釈も、この芝居の背景としてはおもしろいかもしれないが、それでもやっぱり行灯は似合わない。
ただ、鎌倉の時代から“のらぼう”を栽培していたと川崎市では言っているのだが、1700年代のジャバナの種が“のらぼう”の起源だという説もあるわけで。
要するに、それほどにも確定的なことが分からない時代の芝居をやっているのだということは、きちっと抑えておかなければならないのだろう。道具にしろ所作にしろ、そして言葉にしろ、江戸あたりの親しい時代と混同する勘違いには十分に気をつけることだ。現代から100年少し遡ればもうちょんまげの時代だが、江戸と鎌倉との間には500年以上もの時の隔たりがある。
一昨日の稽古の帰り、「なんだか気に入らない」と思ったのも、どうやらそのあたりに原因がある。遠い古の人びとの心を、現代の感覚で容易に理解できるところまで引き寄せて解釈しようとした勘違い。
相模川の橋供養からの帰途、頼朝は平家一門の亡霊に出会って落馬し、そのまま怨霊の祟りで死んだという類のハナシを、現代の歴史家がまともに取り上げるはずもない。だが僕は、平家の怨霊など存在するわけが無いという現代の常識を疑ってみたいと思うのだ。怨霊が頼朝を殺したという当時の民衆の常識を素直に受け入れてみるとどうなるのか。
それにしても橋供養の日に事件が起こったとは、なんとも象徴的である。川は現世と異界との境界(三途の川しかり)であり、橋は二つの世界を結ぶものだと考えられていた。だから橋の上は、昔からあの世の住人の出現しやすい場所だとされてきたのだ。辻や村境、峠も同様である。そうしたところに、道祖神や地蔵が多くあるが、それらを前近代の遺物として顧みないのが歴史家の仕事ならなんとも詰まらない。
怨霊は、確かにいたのである。問題はその棲家である。
頼朝は北条の謀略によって殺された。また、頼朝を殺したのは、平家の怨霊であった。そのどちらも歴史の真実である。いったいどういうことなのか。
簡単なことではないか。つまり、平家の怨霊は北条時政の心の中に棲んでいたということである。「頼朝は北条の謀略によって殺された」と「頼朝を殺したのは平家の怨霊であった」とは、同じことを別な視点で言ったに過ぎない。真実はひとつだった。それが「源平交代の呪縛」の意味であった。
心理学のハナシをしているのではない。時政の中の怨霊は、決して幻覚などではなく、自由に体外へ抜け出すことのできる実存であった。たとえそれが頼朝の眼前に現れたとしても、疑うことは何も無い。その不思議を信じてはいけない理由など、どこにもないのだ。たとえ水飲み病が頼朝死因の事実だとしても、歴史の真実は変わらない。
琵琶法師は平家の怨霊を鎮めるといいながら、その実、人びとの心の中に棲む霊魂に命を吹き込み続けてきたと言うべきであろう。盲僧は戦いに倒れた者たちを供養するどころか、琵琶を奏でる度にツワモノの怨念を再生産してきたのだ。現代風に解説するなら、人々が平家の記憶をいつまでもとどめておくように、ということになるのであろうが、そういう表現では、きっと怨霊の、つまりは歴史の実体を取り逃がすことになる。
いったい、この琵琶法師のシステムは、何故に必要だったのか、おぼろげに見えてきたものもあるのだが、それについては、今少し考えてから、書いてみよう。
ああ、現実に進行している市民劇の課題からすっかり遠く離れてしまったようだ。
たださ、稲毛三郎重成を現代に蘇らせる意味と方法を、徹底的に考え尽くす以外に、今回の市民劇には一般市民があまり参加していないというような表層的な批判を無効にする方途はないと思うのだ……、なんてね、そんな偉そうなこと、一兵卒の僕が言うことではない。
だから僕は、再び自分ひとりの妄想的ゲームに逃げ込むんだ。
そうしてもうひとつの課題。「源頼朝と稲毛三郎重成および畠山二郎重忠は歴史から自由であったのか」という僕の仮想的解釈に対する自分自身の疑義について、ゆっくりと考え始めようと思う……
稽古が終わって。
今回の演出助手、オフィスプロジェクトMの代表、劇作家の丸尾聡氏である。
間もなく、こんな舞台が始まる。
“死刑執行人”

3月9日(水)から15日(火)まで。中野“テアトルBONBON”にて。
チラシの裏の解説に、こんな一文があった。
「問わねばならない、見えてはならない存在を、国家と善き人が作り出してよいのかを」
少し意味合いは違うが、沖縄を考えるようになってから、「見えてはならない存在」に類したモノと出会い続けてきたように思う。僕が盲目の琵琶法師に拘るのも、そのことと無関係ではない。
そして、僕は書きたい沖縄の芝居が達磨のように書けなくなった。書けなくなって、25年間を悶々と過ごしてきた。そのことは、いずれ“社長とは呼ばないで”に書く。
⇒“社長とは呼ばないで”「沖縄のこと」のカテゴリ
丸尾氏は沖縄に関わるモノを書くことになったらしい。
この日、宇夫方女史は厚木と狛江で琉球舞踊を教えていた。
⇒http://mapryukyubuyou.ti-da…
稽古場を出る。もう10時に近い。鎌倉の時代なら、夜は漆黒の闇であった。日が暮れればそこかしこにあの世へ道が立ち現れた。鎌倉の人びとは、夜の向こうに蠢くモノノケたちの気配を感じていたに違いない。行灯では光が強過ぎるのである。
しかし今は現代である。居酒屋の扉を開けると煌々と明るい。
大勢である。
深いところに手が届かないもどかしさ。芝居に幻滅して、小説家になりたいと思い始めた頃の感覚。それについては多くは語るまい。

本日の役名紹介。夜だというのに、照明が眩し過ぎるというのか、サングラスを掛けているのが、重成の重臣・勝部を演じる丸尾聡氏。役者が足りないので、演出助手も出ざるを得ないといったところ。そして丸尾氏の手前の女性が重成の妻・綾子役のはんなさん。宝塚の出身で、今は日本舞踊家?彼女の踊りが今回の市民劇の「売り」らしい。今日の稽古場に、こんな小冊子が置いてあった。

鎌倉時代の舞いは、たぶん今の日舞とは似て非なるもの。仕舞いに近かったのではあるまいか。足の運びは琉球舞踊にも通じる。はんなさん、もしこの記事までたどり着くようなことがあったなら、琉舞とは両立できないと日舞をやめた宇夫方女史の書いた文章(といってもゴーストライターは僕だが)を、是非一度お読みあれ、と、前にも言ったが、またしつこく勧めてみる。
⇒「琉球新報“晴読雨読”本物だと信じる踊り」を読む
それから、こんな新聞記事のコピーも配られた。

はんなさんがちょこっと座っているのが写っている。あちこち宣伝に連れていかれて協力しているみたい。ご苦労さま。
それからもうひとり、役者ではないので役名はないが、一番右手前の女性は丸尾氏が連れてきた演出助手のそのまた助手のモスクワカヌさん。謎の女。ただ、彼女のブログによると、喜多見の鳥力中央研究所で、僕がまだ食べたことの無い、また今後も食べることはないであろう「ひよこ」を食したことがあるらしい。
⇒http://mosukuwakanu.blog122.fc2.com/blog…
ワカヌさんへ。喜多見の町が停電にならず、電力中央研究所の原発がどうかなっていなかったら、今度一緒に鳥研に行きましょ。僕は「ひよこ」は食べないけどさ……
本日のnew faceは1名。累計で25名となった。役名紹介は13+1名。
【おまけ】
国立歴史民俗博物館展示案内より。

王朝文化、平安の都、調度を配置した室内。
しかし、これは西国のこと。東国の武士集団は全く違う生活を営んでいた。彼らは武士でありながら普段は農民でもあったらしい。つまり、きっと朝早いから、暗くなれば寝ていたのではなかろうか。いずれにしろ、西国と東国を勘違いして取り違えることのないように。
しかし今は現代である。居酒屋の扉を開けると煌々と明るい。
大勢である。
深いところに手が届かないもどかしさ。芝居に幻滅して、小説家になりたいと思い始めた頃の感覚。それについては多くは語るまい。
本日の役名紹介。夜だというのに、照明が眩し過ぎるというのか、サングラスを掛けているのが、重成の重臣・勝部を演じる丸尾聡氏。役者が足りないので、演出助手も出ざるを得ないといったところ。そして丸尾氏の手前の女性が重成の妻・綾子役のはんなさん。宝塚の出身で、今は日本舞踊家?彼女の踊りが今回の市民劇の「売り」らしい。今日の稽古場に、こんな小冊子が置いてあった。
鎌倉時代の舞いは、たぶん今の日舞とは似て非なるもの。仕舞いに近かったのではあるまいか。足の運びは琉球舞踊にも通じる。はんなさん、もしこの記事までたどり着くようなことがあったなら、琉舞とは両立できないと日舞をやめた宇夫方女史の書いた文章(といってもゴーストライターは僕だが)を、是非一度お読みあれ、と、前にも言ったが、またしつこく勧めてみる。
⇒「琉球新報“晴読雨読”本物だと信じる踊り」を読む
それから、こんな新聞記事のコピーも配られた。

はんなさんがちょこっと座っているのが写っている。あちこち宣伝に連れていかれて協力しているみたい。ご苦労さま。
それからもうひとり、役者ではないので役名はないが、一番右手前の女性は丸尾氏が連れてきた演出助手のそのまた助手のモスクワカヌさん。謎の女。ただ、彼女のブログによると、喜多見の鳥力中央研究所で、僕がまだ食べたことの無い、また今後も食べることはないであろう「ひよこ」を食したことがあるらしい。
⇒http://mosukuwakanu.blog122.fc2.com/blog…
ワカヌさんへ。喜多見の町が停電にならず、電力中央研究所の原発がどうかなっていなかったら、今度一緒に鳥研に行きましょ。僕は「ひよこ」は食べないけどさ……
⇒[subcate.鳥力中央研究所]
(※この記事は、3月22日に追記改稿しました。)
(※この記事は、3月22日に追記改稿しました。)
本日のnew faceは1名。累計で25名となった。役名紹介は13+1名。
【おまけ】
国立歴史民俗博物館展示案内より。

王朝文化、平安の都、調度を配置した室内。
しかし、これは西国のこと。東国の武士集団は全く違う生活を営んでいた。彼らは武士でありながら普段は農民でもあったらしい。つまり、きっと朝早いから、暗くなれば寝ていたのではなかろうか。いずれにしろ、西国と東国を勘違いして取り違えることのないように。
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