2011年03月21日(月)23時35分
今日の“かりゆし寄席”は中止《チャリティーコンサートのことについて》
《3月21日(月・祝)》
祝日か……。
東北地方太平洋沖地震発生から10日目……
去年のかりゆし寄席は3月14日、場所は下北沢だった。
⇒http://lince.jp/hito/kariyusiyose.html
今年は文京区のBXホール。

ちょいと行きずらいが、やるならなんとか都合をつけるつもりだった。
しかし、やっぱり中止になった。
「かりゆし」という言葉はめでたい時に使うことばだからダメなのかな。まあきっと、そんなことを云々するよりもなによりも、余震が頻発している状態で、またいつ停電して電車が止るかということが問題なんだろうな、きっと。
でも「かりゆし」については、少し落ち着いてから追記しようと思っている。
※それから3年半、一日たりとも落ち着く日がない。もう「かりゆし」について書きたいことも忘れてしまった。もうきっと、追記などしない。(2014年7月16日)
祝日か……。
東北地方太平洋沖地震発生から10日目……
去年のかりゆし寄席は3月14日、場所は下北沢だった。
⇒http://lince.jp/hito/kariyusiyose.html
今年は文京区のBXホール。

ちょいと行きずらいが、やるならなんとか都合をつけるつもりだった。
しかし、やっぱり中止になった。
「かりゆし」という言葉はめでたい時に使うことばだからダメなのかな。まあきっと、そんなことを云々するよりもなによりも、余震が頻発している状態で、またいつ停電して電車が止るかということが問題なんだろうな、きっと。
でも「かりゆし」については、少し落ち着いてから追記しようと思っている。
※それから3年半、一日たりとも落ち着く日がない。もう「かりゆし」について書きたいことも忘れてしまった。もうきっと、追記などしない。(2014年7月16日)
【チャリティーコンサートについて】
先日、国弘泉さんから山猫合奏団へ、福祉施設で行われるチャリティーコンサート参加のオファーがあった。国弘さんはその施設で、ボランティアでピアノを教えていらっしゃる。
去年のしんゆり芸術祭に国弘さんは来てくださった。とても感動して、そのことを思い出してすぐ連絡して来られたようだ。大変ありがたいことだが、少し、浮き足立たれているなあと感じた。
僕は窓口の宇夫方女史に次のように指示した。
「まず、先方に山猫合奏団の通常の売値をお知らせすること、つまり、山猫合奏団が参加するということは、その額を寄付するのと同じ、我々が参加すれば、その金額分寄付が増える見込みがあるというのなら協力も吝かではないが、と伝えて欲しい」
地震以来、多くの音楽家が仕事キャンセルの波に呑まれている。山猫合奏団のメンバーも例外ではない。今の状態がこのまま続けば、近々生活が逼迫する。
地震以前のはなしだが、病院や老人ホームや養護施設や、そういうところではよくロビーコンサートが行わていた。その多くがアマチュアのボランティアによるものである。それ自体は決して悪いことではない。しかし、それに慣れきった施設の担当者たちの中には、施設で音楽をするのは無償が当たり前と思い込んでいる人たちが多くいる。そして子どもやお年寄りは、「本もの」から遠ざけられていく。
それとチャリティーコンサートとは別だろう、確かにそうなのだが、お金を集めることが第一義のコンサート、僕らが出なくても集まる金額が同じだというのなら、参加するのは自己満足でしかない。そんな暇があれば、その時間どこかで働いて稼いで、その半額を寄付するほうが余程いいのではないか。
僕にはとりあえず会社の仕事がある。しかし他のメンバーは音楽や芝居だけで生計を立てているのだ。妙なヒロイズムで、メンバーを招集することなど僕にできるわけがない。
この未曾有の事態を前にして、我々は経済をも含めてまず自らの足元を固めることも必要なのだと思う。余裕のあるものは寄付もいいだろう。だが、一時の気負いで、自分の生活をも脅かしてしまうような行動は慎めといいたい。独り善がりな思いで、結果自分も間接的な被災者になってしまってはどうにもならない。
この日、国弘泉さんが、施設に勤めておられるご主人とともにM.A.P.の事務所にいらっしゃった。深く考えず勢いで出演を打診してしまったことを、わざわざ謝罪に来てくださったのである。恐縮である。
「決してお断りしたわけではありません。ただこちらの事情もお伝えして、その上できちんとお話しを伺いたかったのです」と、僕はお話しした。
おふたりが関わっている施設は、もともと戦災孤児を引き受けるためにできた児童擁護施設で、そういう意味ではもうその役割は終えたのだが、その後虐待や離婚などで、親はいるが一緒に住めない子どもたちを受け入れているのだそうである。
施設の子どもたちは今まで援助を受ける側だった。でもこの震災で、自分たちよりももっと恵まれない人々がいる、その人たちのために何かをする、そういう経験を彼らにさせてやりたい、僕は胸が熱くなった。
地震が起こったのは金曜日午後2時46分、学校は休みではなかった。まだまだニュースにはなっていないが、たくさんの震災孤児ができてしまったに違いないのだ。東京から200人の保母さん保父さんが既に現地に送り込まれたそうである。
そうか、そうなんだ。親を亡くしてしまった子供たちに対して、彼らが大人になるまで、誰かが「愛しているよ」というメッセージを送り続けていかなければならないのだ。今浮き足立って、テンション上げて、そしてあっという間に疲れてしまうようではいけないのだ。いまこそゆっくり落ち着いて、これから10年20年、地に足をつけて立ち向かっていかなければいけないことがあるのだと、あらためて思い知った。
神奈川県で、被災した子どもをホームステイとして受け入れることのできる家庭を募集していた。僕はすぐに申し込もうと思った。しかし、様々な情報を考慮すれば、首都圏も危険地域になる可能性もある。そうならないことがはっきりするまで、申し込みは控えることにした。
また妊婦や乳児のいる家族を受け入れる家庭を探しているところもあった。それに応じたのは、自分の家族にも妊婦や乳児のいる家庭が殆どらしい。ミルクも離乳食も、かかりつけの小児科医も、思いを共有できる人が傍にいるのがどれほど心強いか。老夫婦の家庭ではそうはいかない。自分が最も有効に手助けできることを考える、これだ。
「どうですか、今度のチャリティーコンサート、これから20年、継続して震災孤児を手助けしていく始まりにしませんか。集まったお金もそこに特化して使う。たとえば基金にしてもいい。そして国弘さんの施設が、これまでの経験を生かして、震災孤児支援の東京での拠点になればいい。コンサートも2回3回、20回30回と続けていかれたらいい。そうなれば、山猫合奏団はずっとそれに協力していきます」
はたしてそう簡単に僕の提案が実現できるかどうか、でも国弘さん御夫妻は、きっと前向きに考えてくださることだろう。
「でも僕たちも生きていかなければならないから、次回のコンサートからは、ギャラ半分くらいはくださいね。もちろん半分は寄付しますから」
【この日、FBに投稿したこと】
(14:07)
雨の所為か、日野市のガイガーカウンタがちょいと高い数値で推移。小さな子どもがいる人は心配だろうなあ。この歳になればこの程度の放射能は気にならないが、息子のことを思うと考えてしまう。もう成人なのだから、ここに住み続けるも移り住むも彼の自由だが、現実的には経済力のない息子に移り住む選択肢はない。僕は残るが、カミサンと息子には、カミサンの実家の沖縄か、娘のいる京都か、いつでも出発できるように荷物をまとめておけと言ってある。僕がココに残るのは会社の代表としての責任、家族に移り住む選択肢を準備するのは親の責任。
⇒http://park30.wakwak.com/~weather/geiger…
たぶんガイガーカウンタの数値は本当だろう。ただガイガーカウンタではプルトニウムは検出されないらしい。といえば不安になるが、出所が同じなのだからプルトニウムもガイガーカウンタの数値に比例すると考えるのが常識的ってことか。ともかく、何が本当で何がガセネタなのか。
⇒https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts…
先日、国弘泉さんから山猫合奏団へ、福祉施設で行われるチャリティーコンサート参加のオファーがあった。国弘さんはその施設で、ボランティアでピアノを教えていらっしゃる。
去年のしんゆり芸術祭に国弘さんは来てくださった。とても感動して、そのことを思い出してすぐ連絡して来られたようだ。大変ありがたいことだが、少し、浮き足立たれているなあと感じた。
僕は窓口の宇夫方女史に次のように指示した。
「まず、先方に山猫合奏団の通常の売値をお知らせすること、つまり、山猫合奏団が参加するということは、その額を寄付するのと同じ、我々が参加すれば、その金額分寄付が増える見込みがあるというのなら協力も吝かではないが、と伝えて欲しい」
地震以来、多くの音楽家が仕事キャンセルの波に呑まれている。山猫合奏団のメンバーも例外ではない。今の状態がこのまま続けば、近々生活が逼迫する。
地震以前のはなしだが、病院や老人ホームや養護施設や、そういうところではよくロビーコンサートが行わていた。その多くがアマチュアのボランティアによるものである。それ自体は決して悪いことではない。しかし、それに慣れきった施設の担当者たちの中には、施設で音楽をするのは無償が当たり前と思い込んでいる人たちが多くいる。そして子どもやお年寄りは、「本もの」から遠ざけられていく。
それとチャリティーコンサートとは別だろう、確かにそうなのだが、お金を集めることが第一義のコンサート、僕らが出なくても集まる金額が同じだというのなら、参加するのは自己満足でしかない。そんな暇があれば、その時間どこかで働いて稼いで、その半額を寄付するほうが余程いいのではないか。
僕にはとりあえず会社の仕事がある。しかし他のメンバーは音楽や芝居だけで生計を立てているのだ。妙なヒロイズムで、メンバーを招集することなど僕にできるわけがない。
この未曾有の事態を前にして、我々は経済をも含めてまず自らの足元を固めることも必要なのだと思う。余裕のあるものは寄付もいいだろう。だが、一時の気負いで、自分の生活をも脅かしてしまうような行動は慎めといいたい。独り善がりな思いで、結果自分も間接的な被災者になってしまってはどうにもならない。
この日、国弘泉さんが、施設に勤めておられるご主人とともにM.A.P.の事務所にいらっしゃった。深く考えず勢いで出演を打診してしまったことを、わざわざ謝罪に来てくださったのである。恐縮である。
「決してお断りしたわけではありません。ただこちらの事情もお伝えして、その上できちんとお話しを伺いたかったのです」と、僕はお話しした。
おふたりが関わっている施設は、もともと戦災孤児を引き受けるためにできた児童擁護施設で、そういう意味ではもうその役割は終えたのだが、その後虐待や離婚などで、親はいるが一緒に住めない子どもたちを受け入れているのだそうである。
施設の子どもたちは今まで援助を受ける側だった。でもこの震災で、自分たちよりももっと恵まれない人々がいる、その人たちのために何かをする、そういう経験を彼らにさせてやりたい、僕は胸が熱くなった。
地震が起こったのは金曜日午後2時46分、学校は休みではなかった。まだまだニュースにはなっていないが、たくさんの震災孤児ができてしまったに違いないのだ。東京から200人の保母さん保父さんが既に現地に送り込まれたそうである。
そうか、そうなんだ。親を亡くしてしまった子供たちに対して、彼らが大人になるまで、誰かが「愛しているよ」というメッセージを送り続けていかなければならないのだ。今浮き足立って、テンション上げて、そしてあっという間に疲れてしまうようではいけないのだ。いまこそゆっくり落ち着いて、これから10年20年、地に足をつけて立ち向かっていかなければいけないことがあるのだと、あらためて思い知った。
神奈川県で、被災した子どもをホームステイとして受け入れることのできる家庭を募集していた。僕はすぐに申し込もうと思った。しかし、様々な情報を考慮すれば、首都圏も危険地域になる可能性もある。そうならないことがはっきりするまで、申し込みは控えることにした。
また妊婦や乳児のいる家族を受け入れる家庭を探しているところもあった。それに応じたのは、自分の家族にも妊婦や乳児のいる家庭が殆どらしい。ミルクも離乳食も、かかりつけの小児科医も、思いを共有できる人が傍にいるのがどれほど心強いか。老夫婦の家庭ではそうはいかない。自分が最も有効に手助けできることを考える、これだ。
「どうですか、今度のチャリティーコンサート、これから20年、継続して震災孤児を手助けしていく始まりにしませんか。集まったお金もそこに特化して使う。たとえば基金にしてもいい。そして国弘さんの施設が、これまでの経験を生かして、震災孤児支援の東京での拠点になればいい。コンサートも2回3回、20回30回と続けていかれたらいい。そうなれば、山猫合奏団はずっとそれに協力していきます」
はたしてそう簡単に僕の提案が実現できるかどうか、でも国弘さん御夫妻は、きっと前向きに考えてくださることだろう。
「でも僕たちも生きていかなければならないから、次回のコンサートからは、ギャラ半分くらいはくださいね。もちろん半分は寄付しますから」
【この日、FBに投稿したこと】
(14:07)
雨の所為か、日野市のガイガーカウンタがちょいと高い数値で推移。小さな子どもがいる人は心配だろうなあ。この歳になればこの程度の放射能は気にならないが、息子のことを思うと考えてしまう。もう成人なのだから、ここに住み続けるも移り住むも彼の自由だが、現実的には経済力のない息子に移り住む選択肢はない。僕は残るが、カミサンと息子には、カミサンの実家の沖縄か、娘のいる京都か、いつでも出発できるように荷物をまとめておけと言ってある。僕がココに残るのは会社の代表としての責任、家族に移り住む選択肢を準備するのは親の責任。
⇒http://park30.wakwak.com/~weather/geiger…
たぶんガイガーカウンタの数値は本当だろう。ただガイガーカウンタではプルトニウムは検出されないらしい。といえば不安になるが、出所が同じなのだからプルトニウムもガイガーカウンタの数値に比例すると考えるのが常識的ってことか。ともかく、何が本当で何がガセネタなのか。
⇒https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts…
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Comment
今まで観たことのない未知のパフォーマンスに大変感動致しました。
ちなみに募金の方は、まず受付で、当初考えていた金額を。次に、休憩時、前半の子どもたちの真剣な姿に感心し、追加の募金を。そして、終了後、山猫合奏団様の本物のパフォーマンスに感動し、この程度の募金では申し訳ないと思い追加の募金を致しました。
変な申し方をすれば、山猫合奏団様の思惑通り、皆様のパフォーマンスに対して、予定外の出費をしてしまいました。
帰りには財布は空っぽでした。(もともと数千円しか入っていませんでしたが。。。)
他にも演目がお有りとのこと、今度は是非、山猫合奏団様の通常のコンサートに伺いたいと思っています。長文、大変失礼致しました。
ありがとうございました。
でも、涙はとめどなく流れ、とてつもない無力感に襲われています。理由はよくわからないのです。ただ、どうやら僕が親であるかららしい。
天真爛漫に笑う子供たちに語りかける生の言葉を、今の僕は持ちあわせていません。
できることはただ、演じ、そして奏でることのみ……
5月1日、新百合ヶ丘で、心よりお越しをお待ち申し上げております
足柄茶の汚染もこの日の雨が原因ではないか。
今問題になっている首都圏のホットスポットもこの日出来たのかもしれない。
結果的に公演を中止にして正解だったのかもしれないなんて、なんだか腹立たしい。
10年後20年後、この国はどうなっているんだろう。子供が不憫で仕方がない。でも精一杯、子供たちを信じることにします。