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朝の妄想・昼間の現実

《10月4日(火)》
大震災から207日目……
本部のベランダ。今年の2月13日以来である。
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その間、殆ど富士山は姿を現さなかった。キーンと音がするような空気。水分が目に見えるわけなどないが、湿度の少ない空気は、しっかり見ただけで分かるものだ。ずっと東京あたりで暮らしてきた。アウトドアとは無縁な俺だが、それでもこの程度の感受性は持っている。やっぱり子供の頃の経験が大きいのだと思う。

決して目に見えないものによって穢されてしまった自然。怯える人間たちは、自然との正常な関係を放棄した。
「これからの子供はどうなっちまうんだろう」
「それは親の考えによるさ」

自然の中で自然と共に生きる、それを良しとする考えがずっと嫌いだった。自然を征服できるなどと勘違いしたことは一度もないが、自然に抗って絶望的な思索を続けることが、人間となってしまった存在の運命なのだと思っていた。

妙な屁理屈に聞こえるかもしれないが、欲望深き人間が、原発のようなものを生み出してしまうことは、至極自然なことだと思っていたのだ。だからこそ人間は、そういう人間の自然さに抗い続けなければならないのだと信じていた。
「若い頃のことさ」

「自然との共生」なんて言っている人間に、原発を作りたいと思う人間を止める力などありはしない。なぜなら、どちらもただ自分の思いのママに生きようとしているだけなのだから。どちらも自分が邪魔されない限り、相手の生き方に干渉などしないだろう。

「人間如何に生くべきか」、大きなお世話だと、誰もがそう思っていたのではないか。
しかし今や、ある者は「オレの行き方の邪魔をした」と対岸の者を責め立て、対岸の者たちは「大きなお世話だ」とこちらに向かって罵っている。

被災地の人たちのために、という、良き人々の一群。
「怪しいものだ」
「なぜ?」
「沖縄に向ける眼差しを持たぬ者たち」
「沖縄を絶対化するのはやめること。彼らも『フクシマ』を知って変わるだろう」
「福島を『フクシマ』と呼ぶことに嫌悪する偽善者たちが、『オキナワ』に対する眼差しを獲得することはない。彼らは、被曝して命を失った原発作業者から目を背けたがっている」
「お前は何者なのさ」
「息子の、父だ」
俺は、富士に一度も心動かされたことはない。実に分かりにくい喩えだが。

事務所。

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もう、終わりかな。
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外は0.07μSv。
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中は0.05μSv。
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薬が切れた。
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どうやら僕の腎臓が悲鳴を上げているらしい。

現実はややこしいハナシだから、後ほどゆっくりと。

【この日呟いたこと……】

16:20
そういえば最近ポックリ病って聞かなくなった。あれは核実験時代の放射能の所為で、だから低線量被曝は危ないみたいなハナシも最近チラホラ。これからまたポックリ病が増えるぞと。しかし、あのころ中年の人たちはよくこう言っていた、「ポックリ死ぬのがいい。ポックリ死ねたら幸せだ」って。

16:24
三線弾いて、「かぎやで風」歌ってたら眠くなってきて、思わずウトウトした。歌聴いて眠ってしまうことはしょっちゅうだが、楽器弾きながら唄歌いながら寝たのははじめてだ。三線の古典、おそるべし!

16:25
もしかしたらポックリ死ぬ寸前だったのかもしれない。




例えばチェルノブイリ事故の後、日本では心筋梗塞による突然死が頻発したという話も聞く。それが放射能の影響だったのかどうか。チェルノブイリの放射能が減少していくと、突然死もなくなっていったというのだが、ちっとも憶えちゃいない。

妄想もまた……
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tag: 富士山  MAP事務所の線量  ゴーヤー栽培.2011 

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