風穴を開けたがっている

大震災から550日目……

ツイッターでは政治を呟かない。そう決めていたはずだった。だがそうはいかなくなってきた。決して本意ではない。だから反省して、今日は一切キナ臭い話は呟かないことにした。

gajumui

「沖縄では厳しく芸を磨くという修行が成り立たない。お客様に合わせて楽しくパフォーマンス出来る方が評価される。でもその方がもともとの芸能の精神ではなかろうか」と、緒方修さんが「燦々オキナワ」という本で書いていますけど…。
09-12 20:45


どうも別の意味でキナ臭いか。致し方ない。こんな性格なのである。

一日考え続けていた。呟かないとは決めたものの、声を上げなければならぬ今日の状況には変わりない、そんな思いは考えれば考えるほど募ってくる。しかし書斎で大声を出してもどうにもならない。

もともとfacebookがよく分からない。ただ知り合いへの公演案内に関しては便利である。
僕のfacebookの「友人」の殆どは、肩の凝らない近況報告をしている。僕も最初それに倣ってみたが続かなかった。それでだんだんとfacebookは殆ど使わなくなっていた。
この国はどうしちまったんだろう、そんな状況がどんどん露骨になってきて、ツイッターでは大騒ぎなのだが、PCを離れて現実を見回すと、何事もないかのよう。facebookはツイッターよりもはるかに私的な現実に近いから、数人の沖縄関係の知り合いを除けば、やっぱり平和なたたずまいである。

「友人」たちは今の日本についてどう考えているんだろう。聞いてみたい。だが、日々の現実でリアルに会う人たちの殆どは通りすがり。問い掛けてみても怪訝な顔が返ってくるだけ。ところがfacebookには、会って話せば何かしら答えてくれるだろう「友人」が100人からいるのである。最近、時々そこにポイポイと、沖縄のこととか、放射能のこととかを投げ込んでみることを始めた。ずっと続けるつもりはない。ちょっとの間の実験。結果、反応は極めて少ない。

時に今日は、自らツイッターに縛りをかけたので、ついついfacebookにアクセスしたくなる。昨日ポイ!した近況にコメントしてみたり。
22時05分。ポイ!してみた。でも趣向を柔らかくした変化球。中川翔子のブログから転載。

中川翔子が・・・
「放射能について見て見ぬふりしすぎているいまの現状触れちゃいけないような空気事態が疑問」
「安全安全ってなにが安全なんだか」
「五年後の近い未来大変なことになっていても安全と言い切る意味が全くわからない…」
「不安を見て見ぬふりするの疲れた…」
彼女でさえ言えたのに・・・


すると、少しだが反応が増えた。と言っても数人が十数人になっただけだが。中川翔子恐るべしである。
23時04分、ちょっと調子に乗って、もうひとつポイ!

尖閣について、ちょっと真面目な話。

ちょうど沖縄が日本に「復帰」した頃、京都大学教授の井上清という人が「尖閣列島」という本を出しました。そこで彼は、尖閣は中国の領土だと言い切りました。

彼は当事、日本の再軍国主義化を懸念していたので、「尖閣列島」は中国領である証拠ばかり集めたということは否めません。ただ知ってもらいたいのは、「尖閣列島」が中国領であるという根拠も、たくさんあるという事なのです。

今現在、この本の客観性がどの程度なのか、僕に判断するほどの知見はありません。ただ多くの「愛国者」たちが、この本を糾弾し反駁している事も確かです。その論拠としているものに、例えば「近代国際法(万国公法)」などがあります。
しかし「近代国際法(万国公法)」も、それによって現在の国境が簡単に定められるというようなものではありません。

詳しい事は御自分で調べていただきたいのですが、「近代国際法(万国公法)」が表れた段階では、琉球国が中国に近かったのか、あるいは日本寄りだったのか、曖昧でした。
琉球国が独立国であったとすれば話は簡単です。尖閣は琉球か中国か、少なくとも日本の領土ではないことは確かでした。

その時、中国は琉球を自国の領土だと主張したのですが、日本はそれを全く無視して、いわゆる「琉球処分」という暴挙に出たのです。

さらに時を隔てて、敗戦、そして「ポツダム宣言」・・・
「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」
「吾等」とは戦勝国。そのアメリカが、尖閣について、日本と中国と、どちらの立場にも立たないと、今日言ったわけで。

決して「尖閣列島」が中国領だと言いたいわけではありません。ただ単純ではないと知っていただきたいだけです。できることならば、尖閣周辺の資源が、世界中の飢えた子供たちのために使われることを、僕は願ってやみません。


反応は、また数名に減った。

この日、たった一つ呟いたさっきのツイートに返信があった。名前は存じ上げぬが、沖縄の血が流れる方からである。
「うちあたいします。沖縄人の平均は、厳しさ、計画段取り、時間認識等、何れも内地人の平均に劣ると私は感じてます。そんな気質の中で、沖縄の芸・習い事はその平均の人々の間にまで浸透してる現実と、内地の芸が更にその平均以上の特定の世界を中心に在る事、この違いもあるのかと…」
ウチナーンチュであり沖縄を外から眺める目をお持ちでなければ言えぬ言葉。でも「劣る」という言葉を使われているが、その思いは単純ではないと推察する。厳しさにおいて「劣る」とは、優しさにおいて「勝る」ことである。計画段取りの悪さを「悪い」と評価する世界は意外と狭い。時間の認識は人生を堅苦しいものにする。
僕は、次のように返信した。

@akainkunohuguri 後段は仰るとおりと思います。前段はコメントを控えましょう。少し話がズレますが、“なんちゃって加那よー”をあちこちで踊る予定です。怒る方もいらっしゃいます。でも、加那よーをおっさんが酒宴で踊って大受けするって、ちょっと前の沖縄では普通と聞きました。
09-12 23:28


するとまたお返事を頂いた。
「酒座では、僕はオッケーだと思います。」
いやいや実は酒座ではないのです。でもさすがに告白できずに失礼した。いずれ“なんちゃって加那よー”の顛末はブログに書く。どうも僕は、型にはまった権威っぽいものに風穴を開けたがっている。それを、今の世の中の所為にしている。
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