思い浮かんでしまった光景(お弁当と給食のこと)

「震災・原発・放射能_給食・弁当」というtagを作った。

狛江市の給食問題(政治っぽくて嫌だが)について、そっとブログに新聞記事の画像を載せたのは去年の9月であった。でもそれ以上のことは語らなかった。だが、ここ狛江市辺りで小さなお子さんを持つ親御さんにしてみれば、何より気にかかることであるに違いない。事実、弁当持参を許可しない保育園と必死に交渉を続けている方々をツイッターで知っていたし、ずっと見守っていた。

狛江市長選挙があった。M.A.P.は狛江市に登記している。しかし僕は川崎市の住人である。だから選挙権はない。前任は共産党の市長であった。しかし、なぜか弁当持参を許可することについては慎重であった。理由は不勉強で定かではない。今回その方が退任して、選挙は新人同士の争いとなった。共産党市制を引き継ぐと宣言していたのが田辺氏である。きっと色々な争点があったに違いない。長く共産党の市制が続いていたから様々な弊害もあったのかもしれない。だが僕は、原発や放射能汚染だけを見ていた。未曾有の事故があって、少々の細かい点に問題があっても、原発に対する考え方が、雌雄を決する一番の要素であると思った。少なくともその点においては田辺氏の方が原発に対して厳しい見方をしていたように思う。しかし結果は、原発を容認する保守系の高橋氏が勝利した。その後、僕の情報源が偏っているのかもしれぬが、新市長のよろしくない評判ばかり聞こえてきていた。

「狛江市_政治の話」というtagも作った。

ところがである。旧市長の時にはなかなか実現しなかった弁当持参が、このたび自由になったらしい。まだまだ問題も残っているようだが、給食の安全性を心配する父母の皆さんにとっては大きな一歩である。新しい市長には古い利権のしがらみがなかったのかもしれない。また、新市長の判断ではなく担当部署の継続的な努力の結果だというようなことも聞いたが、はっきりとしたことは分からない。
そこで僕は、田辺氏に今回の件についての見解を、ツイッターを通じて聞いてみたのである。

gajumui

この度の保育園の弁当持参を許可する市の決定について、腹蔵なき御見解を是非をお聞かせください。経緯も御存知ならば是非。 @YoshihikoTanabe 高橋市長が所信表明。土木第一、行革第二。子育てや福祉はその後…
09-06 21:04


しかし残念ながらすぐにはお返事を頂く事ができなかった。

実はこの記事は9月20日に書いている。ここまで田辺氏からお返事が来るのを待っていたのである。しかし本日、田辺さんが体調を崩されていて、今は復活したものの大変多忙であることを知った。本件については、いずれお伺いする機会もあるだろう。したがってもう待つのはやめて、半年ほど前、ふと思い浮かんだ想念について、書き残しておこうと思う。思いついたその頃、ツイッターで呟いてみようかとも考えたが、誤解を恐れた。でも給食を断って弁当を持参することが自由に出来るようになった今なら語ることも出来ると思った。

【思い浮かんだ光景】
狛江あたりでは、市が安全という給食に不安をもっていない、あるいは多少の不安はあっても致し方ないと考えている、またあるいは、内心大変気にしているのだが、その思いが大きすぎて却って考えない事によって何とか精神を支えている、つまり、みんなと同じ給食を自分の子どもに与えること選択する親の方が圧倒的に多数派なのだろう。保育園や小学校のお昼の時間、子供たちの殆どは、みんな同じ、保育園や小学校から提供された給食を食べている。そんな中で、放射能の危険を勉強し、安全な食材を一生懸命調達して料理をする「意識の高い」母親を持った数少ない子どもたちが、自前のお弁当を食べる。「お前、放射能なんか気にしているのか」と、罪のない正直な友達の「いじめ」にあいながら。実際そういうことがあっただろうし、これからもあるのかもしれない。子どもの心を想像すれば胸が痛む。
だが、僕が思い浮かべた光景はそうではない。給食を危険と考えることがスタンダードになって、母親は自分の子どものために責任を持って出来るだけ安全な弁当を持たせることが当たり前になった時の保育園や小学校の光景である。間違いなく、毎日子どもに弁当を作って送り出す余裕のない家庭がある。もしそれが少数になって、ごく少ない子どもたちだけが、危険かもしれないと感じながら給食を食べるしかない状況。その時の子どもたちの不安、その悲しさは、先の光景の比ではない。

だからこそ行政が、誰もが納得する安全性を確保して給食を提供する、そうした環境を目指さなければならない、それはその通りである。しかし仮に、給食にもあるであろうあらゆる既得権益を排除してもなお、完璧な検査体制を作ってしまっては十分な食材を確保する事が困難になるとしたら、(既得権をすべて排除しあらゆる公務員の怠惰をなくせば食材確保は可能だという声があることを承知した上で)、給食という制度の中で弁当持参する権利を認めるということが、本当に次善の策なのだろうか。

昭和30年代、僕の周りの誰もが貧しかった。それが言い過ぎだとしても、今よりはるかに貧しい事が普通であった。そんな中でも、やっぱりさらに生活の厳しい家庭があって、そういえばそんな家の塀には、よく共産党のポスターが貼ってあった。その頃、そういう家を見下した感情が全くなかったかといえば、それを否定する自信が僕にはないのである。

「給食を作っている業者さんにも生活があるのです」
そう言った市の担当者に激怒するお父さんお母さんの気持ちは十分に理解するし共感する。しかし一方で、大きな会社から仕事を貰い、なんとかなんとか小さな小さな会社を動かしてきた僕には、その言葉は涙が出るほど重くもあるのだ。

僕は、今の状況の中では、弁当持参するも、給食を食べるも、自由に選択できることを100%支持する。ただ、一度思い浮かべてしまった光景は、脳裏に張り付いて離れない。その忘れる事ができない光景を、数ヶ月前、宇夫方女史に語って聞かせたことがある。
「どう思う?」
彼女は目に涙をためて「やっぱり原発はダメだと思う」と言った。

僕は原発をなくすことが現実的ではないという人々に問うてみたい。貴方たちは、原発の事故が一番弱い人間たちを苦しめるのだということ、たとえ原発の事故がなかったとしても、多くの原発作業員たちは被曝し続け、なによりもオーストラリアのウラン鉱山では、多くのアボリジニの人々が苦しんでいることを、どうお考えなのだろうかと。

東京湾で7万Bq/kgのアナゴの噂、例えばこのアナゴ50gを乗せたにぎり寿司一個食べると3500Bq。これって、おかずも米も全て100Bq/kgの食事500gを一日3食23日間食べ続けた時の総合計Bqと同じ。とんでもない値。でも7万Bq/kgのアナゴの話はどうやらデマです!
09-06 22:12



僕は、反原発の輪が拡がるのであれば、危険を煽っても構わぬなどとは全く思っていない。原発を拒否するのは「私たち」が危険だからではない。反原発の真の理由はそこにはないのである。

大震災から545日目……

連夜のニュースゼロのペテン。使用済み核燃料のリサイクルをやめると、やめないよりも多くのゴミが残るって、あたかも原発を止めない方がいいみたいな言い方。それはリサイクルに限った話でしょ。普通に原発動かせばゴミは増え続ける。原発全部止めて、リサイクルの研究だけなら許すってのは如何?
09-07 00:36

・・・それも嫌だけど。なんか僕、浅はかな知識、間違ってますかしらん。寝ぼけマナコ。そういやあ田辺さん、返事くれないし。悪い事ばっかり指摘して、都合の悪い事はだんまりじゃあねえ・・・
09-07 00:51

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