2013年02月19日(火)20時55分
舞台に沖縄の風を吹かせることが出来たならば
gajumui
朝から、気分最低・・・/在特会などが辺野古テントへ妨害呼びかけ http://t.co/2JWMt234
02-19 10:37ついに“四つ竹”まで。「初音ミク」も増殖するってことじゃ「ハルメリ」的か。便乗して宣伝ふたつ→ http://t.co/3J6kEWCw と http://t.co/KStMGrJM /初音ミクの琉舞(四つ竹): http://t.co/7DJZeF2k
02-19 10:59各地の稽古場近くの居酒屋に傘を配っている。このままだと本番までに事務所の傘が全部無くなる。今日は雪。川崎へ、4月の公演の打ち合わせ2件。その後、5月本番の芝居の稽古場に顔を出すかも。鹿島田の居酒屋にも傘が一本増えるかどうか。雪、止まなければいいのだが、予報は夜曇り。危ない…
02-19 13:20
川崎駅そばにある文化財団へ。
以下が、5月上演の市民劇「大いなる家族」のフィナーレで踊られる“四つ竹”の出演者の一覧である。文化財団が川崎の沖縄県人会に話を持って行って決めてもらったらしい。
公演日 | 舞踊※「研究所」省略 | 三線※「研究所」省略 | 琴 | 笛 | 太鼓 |
多摩市民館 | |||||
5月2日(木) | 佐久川・平良 | 宮森 | 平良豊子 | 宮良政子 | 宮島とみえ |
5月3日(金) | 新城・宮城 | 宮森 | 新城ヤス子 | 前田裕美 | 宮島とみえ |
5月4日(土) | 西原 | 小那覇 | 謝花静江 | 湯浅満里子 | 宮島とみえ |
川崎教育文化会館 | |||||
5月24日(金) | 赤嶺 | 宮城・前田 | 長松照子 | 宮良政子 | 福嶋千恵美 |
5月25日(土) | 阿波連 | 金城 | 山崎千鶴 | 前田裕美 | 福嶋千恵美 |
5月26日(日) | 山崎 | 金城 | 前田利恵子 | 鈴木 | 福嶋千恵美 |
一言で沖縄芸能といっても一筋縄ではない。うまく出演者を選んでいただけるのだろうかと心配していたが、琉球舞踊に関しては、概ね川崎市で活躍されている大きな研究所は押さえられているようで、少し安心した。といっても、宇夫方路が所属する関りえこ琉球舞踊研究所は見当たらないが。まあ、川崎市の協会に参加していないので致し方なしではあるのだが。因みに関研究所は川崎に教室がありながら東京琉球舞踊研究所に属している。
さらに三線となると、古典だ民謡だ八重山だ、古典にも色々流派や協会や保存会などあり、またどの琉舞研究所はどこの三線に地謡を頼んでいるかみたいなことが複雑に絡んで、たった6日の公演で全て振り分けるのは不可能、つまりは出演する琉舞研究所の都合、きっとそれでいいのだろう。
財団の方と、諸々の意思疎通の確認を終えて、バスで川崎沖縄県人会のある川崎沖縄労働文化会館へ向かう。そこの2階にある集会室で、4月5日の金曜日に、渡久山英男さんのライブを行う。その下見と、財団で話したことを踏まえての打ち合わせである。
⇒渡久山英男特別公演「“かぎやで風”から“四つ竹”まで」の告知記事
会場はこんな感じ…

今は殆どテーブルを置いての宴会か、カラオケ大会くらいにしか使っていないらしい。ここを、当日、なんとしても劇場にする。普段この施設を利用している人たちの固定観念、机を縦に並べて、舞台正面から横を向いて座り飲み食いするのが当然だろうという思い込みを取り除く、してみれば、この空間利用の可能性はものすごく広がるはずなのだ。小さな落語会やコンサートも出来るだろう。そうなればこの場所に、きっと町の人たちが戻ってくる。そのお手伝いを何とかしたい。僕は、電球が一個切れ、どうしてもこれ以上明るくならない舞台、顔に影が出来てしまう舞台を眺めながら、そう思っていたのだ。
帰り際、玄関脇に置いてあった2013年1月20日発行の川崎県人会便りを一部頂いて読んだ。その一部をご紹介したい。
「会員はじめ『沖縄』をキッカケにひとり一人力を合わせて困難を乗り切り、ともに助け合い、分ち合う沖縄県人会として再出発したいと考えております。
沖縄一世の方は戦前はもとより、戦後苦労されて、ここ川崎に生活の基盤を築きました。沖縄は本土と異質なものとして、その苦労は並々ならぬものがあったと思います。一世はもとより、二世三世の時代も沖縄人(ウチナーンチュ)として差別されてきたことでも分ります。今、二世、三世は一世の沖縄人(ウチナーンチュ)から何を継承すべきか、大いなる課題が与えられています。一世より学び、沖縄の文化を知り、生き方を学ぶことが次世代の誇りにつながると思われます。
そして本土の皆さまに沖縄を理解して頂き、ともに生き合う地域に開かれた県人会でありたいと思います。」
何十年も前の資料ではない。数ヶ月前に、川崎に住んでいらっしゃるウチナーンチュの方が書かれた文章である。「文責座覇」という署名がある。実はまだ掲載の許可を頂いていない。無断で、とりあえずこの文章を紹介してしまった。どうしてもご紹介したかった。後ほどお許しの確認をしたい。叱られれば、もちろん陳謝して即刻削除する。
川崎市民劇に参加する皆様、今一度、当時のここ川崎の「沖縄人の大いなる家族」を、人間一般の思考の存在を信じ、スタニスラフスキーの方法でもって演じる切ることが出来るのかどうか、深く考えてみて頂きたいのである。
取り急ぎ…
(※4月3日に、以上の文章に若干の改稿を加え、また以下の部分を追記した…)
その後すぐ、川崎市沖縄県人会を紹介してくださった久手堅さんを通じて座覇さんに文章掲載についてお伺いをした。そして快い承諾のお返事を頂いた。むしろ喜んでいらっしゃるのではないかと聞いて、安堵し、また嬉しかった。舞台の本番などがあって、今日までご報告が遅れてしまったことを大変申し訳なく思っている。
座覇さんはフルネームを座覇光子さんとおっしゃる。女性でいらっしゃったのかと再度の文章を読み返したりしている。因みに、どうやら僕は、座覇さんとお会いしたことがあるらしいのである。座覇さんが大崎の沖縄語を話す会のメンバーでいらして(わけあっておやめになられたとのことなので正確にはいらしゃったというべきだが)、そこで何度かお目にかかっていると、はて、どの方なのか、これもまた失礼千万で申し訳ない話だが、お会いするのが楽しみになった。
はじめ、この記事をアップしたとき、「僕の思いの詳細は後日書く」と記した。しかし、今あらためて読み返して、僕の思いは座覇さんの文章に尽きていると思う。そこにいかほども付け加えることはない。例えば、この日の会場の下見にわざわざ立ち会ってくれた久手堅さんから、会員が高齢化してきて、ずいぶんと人数も減り、新しく若い人たちが入ってこないと聞かされて、それで僕が何かを考えたのだとしても、座覇さんの今後に向けての決意に、僕の思いなどかき消されていいと思う。現状は現状、それを衰退の結果と見るか、あるいは始まりとするか、どちらがポジティブかは明らかである。
それにしても、「そのお手伝いを何とかしたい」などと偉そうな物言いをしながら、われながら、M.A.P.の集客能力のなさが悲しい。もう明後日に迫った渡久山英男特別公演のことである。「川崎市民劇と渡久山英男のコラボレーション」と銘打ちながら、市民劇に出演する若い役者たちを呼ぶことさえ出来ない。「ハルメリ」があって、一ヶ月市民劇の稽古を抜けざるを得なかったとはいえ、まさに僕の人徳の無さか。
それでも最後の悪あがきをしてみよう。とはいえ、彼らがこの文章を読んでくれてナンボの話ではあるのだが。
君たちは、座覇さんの文章の「沖縄は本土と異質なものとしてその苦労は並々ならぬものがあった」という一文をどう読むのだろうか。人間の本質は同じだという演出家、そうでなければ日本人にチェーホフが出来るわけがない、確かにこれまで多くの日本の役者がチェーホフの作り出した世界の中で「人間」を見事に演じてきたではないかと。そのことに限って言えば、僕もそれを否定しようとは思わない。しかし、日本人がチェーホフを演る場合は、ロシア人の本質を意識しはしないし、作者のチェーホフもまたそれを欲してはいないだろうと思う。なぜならチェーホフが描こうとしていたのは、「ロシア」から解放され「個」に目覚めようともがいていたアプリオリの人間であった。そんな時代であった。
しかし、その事例を日本人が日本の芝居において「沖縄人」を扱う場合に当てはめることはできないと、僕は断固として思う。「沖縄」と「本土」の「異質」は、個人個人それぞれが異質な存在であるということと本質的に違う話である。両者は決して相容れるものではない。視点が違うのである。
いったい「沖縄」は「本土」と比べてどう「異質」なのか、そこを探り考えないかぎり、決して「沖縄」は、軽々しく「本土」と繋がってくれることはないであろう。そしてその作業は、まず我々が丸腰で沖縄に対し謙虚であろうとしなければかなわぬことと自覚するべきなのだ。
僕自身のことを言えば、僕は30年間そこに到達できずに、芝居が書けずにきてしまった。もし、沖縄へのこだわりを捨てれば、もう少し違った演劇人生があったかもしれないとも思うが、後悔はしていない。
そんな僕の30年間が、今の沖縄に対して無頓着な稽古場に冒涜されていると、僕は感じている。
でも、せっかく関わる舞台である。たとえ共演者に理解されず嫌われたとしても、最後まで努力しよう。それが「本土」で「並々ならぬ苦労」をされ、「三世の時代」になってもまだ消えぬ沖縄の人々の苦労に対して、せめて僕ができることだ。
僕の声を聞いてくれた共演者とともに、ほんの少しでも本番の舞台に沖縄の風を吹かせることが出来たならば、それだけで本望としなければならない。
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