2013年06月21日(金)00時00分
櫻井篤史×加藤到 映像二人展
第一回(二回目があるのかどうかは不明だが)喜多見と狛江の映画祭の、最終プログラムである。
「まず知ることからはじめたい」
そんな言葉を冠したこの映画祭で、我々は何を知ることになったのか。しかし、そもそもドキュメンタりー映画が真実を映せるのかと、最後に問いかけてみるのもおもしろい、そう思った。
事実があって、一人の人間がカメラというモノを使ってひとつの形に固定する。その間にいったい何が起きるのか。観客は作者から提供された「事実」を眺めながら「真実」を読み取り知ろうとする、そして知ったような気になるのだが、最初の事実と「真実」は同じものではない。事実は、カメラを通り抜ける間に、どう変容してしまうのだろうか…
…というような二人展なるのかどうか、僕には分からないが、数十日前、映画祭に作品を出さないかと櫻井篤史に連絡した時にはそんな話になったはずだ。
櫻井も加藤も、かなりコアな付き合いをしていた僕の古い友人である。友人であり続けたかどうかは別にして。
ふたりとも、京都と山形、遠くに住んでいるので、なかなか細かな打ち合わせができない。特に加藤に到っては(洒落ではないが)、天下のNPO法人山形国際ドキュメンタリー映画祭の理事、きっと忙しいのだろうと慮ってはいるが、ここ数十日の僕の比ではないだろうと皮肉をひとつ飛ばしておこう。催促してもプロフィールさえ送ってこない。だからネットで調べて僕がでっち上げた。1990年以降の彼の経歴など、全く知らなかった。
今回の“喜多見と狛江の小さな映画祭+α”、作品を探す苦労は皆無であった。どのプログラムも、なにかしらの繋がりで、自然に無理なく集まった演目ばかりである。だからもしかすると、とても私的な傾向の映画祭になってしまったようにも思う。最後の二人展はその極みなのだが、そのことを、櫻井と加藤は受け入れるだろうか。この映画祭を最後に総括する「二人展」であれと、僕が期待していることに、さて、彼らは向き合ってくれるのだろうか。

「個人映画」は、その作家の想いが普遍化される事を前提にするなら、劇場でかかる、テレビに流れる、どのような商業主義的な商品としての映画・映像よりも興味横溢である!という想いを秘めて、この一見地味なジャンルに分け入り、迷い、出て来れない人間が、意外に沢山居る事を知って欲しい!
(※上映後は櫻井篤史×加藤到のトーク)
話が詰まらなければ、高山正樹が乱入するに違いない。
※6月30日は他に10時から「女たちのレジスタンス」、14時から「斉藤哲夫ライブ」がございます。是非併せてご覧ください。お得な3枚綴りチケットもあります。)
⇒喜多見と狛江の小さな小さな映画祭+α オフィシャルサイト
【櫻井篤史】
●『非同一性不可逆的反復再生』(15min./2000年)
過去のある時点に戻りたいという思いは、誰もが持っている筈だ。その分岐点から違う選択肢を辿っていれば‥‥という想像は、しかし無意味な事だろうか。今生きているこの現実が少なくとも当事者にとって真実であるとするならば、過去のある時点における別の選択肢の延長線上にある(だろう)生き方もまた真実であるに違いない。人は、同時に存在する無数の真実のひとつをたまたま生きているに過ぎないのだ。
●『Who?』(27min./2011年)
映画のカットそのものを擬人化する試み。人格を持った全てのカットが他の全てのカットと関係し、牽制し、干渉し、制御しようとして暴走し始める。そもそも映画のカットの尺はどのように決定されるのか。カット自体が編集そのものを支配しようとする時、この映画は一体誰が作っているのだろうか?
【加藤到】
●『Sparkling』(10min./1991年)
1991年の湾岸戦争は、テレビ史上初めて、実況中継による空襲の映像が世界中に配信された戦争だった。当時住んでいた東京のアパートの一室で、イラクの対空砲火の映像を見た私は、グラスに注いだスパークリングワインの気泡の様な美しさを感じてしまった。
●『ゴーランド』(10min./1981年)
シャッタースピードがテーマ。当時豊島園にあった年代物のエルドラドを露出時間を変えながら撮影した数百枚のモノクロ写真をアニメートした。露出時間は画面上にグラフィカルに表示される。
●『冬の遮眼子』(19min./2009年)
映像作家、批評家として著名な松本俊夫氏の企画構成で作られた6人の実験映画によるオムニバス作品のひとつ。「見るということ」の最初のパートとして、山形国際ドキュメンタリー映画祭2009で発表された日記映画。遮眼子とは、視力検査で使う片目を隠す用具の名称である。
【櫻井篤史+加藤到】共作
●『KAISEKI料理』(16min./2002年)
東京国立の映像作家佐々木健の経営する居酒屋『キノ・キュッヘ』が、開店10周年ということで、「食」をテーマにした新作の出品を頼まれた。この店には約10坪程度のスペースがあって、映画や芝居、ライヴ等の企画も行っている。山形の映像作家加藤到と二人で当初、映像書簡を企んだが、結局前後半に別れた「連作」となった。蟲毒(或いは蠱毒)は、中世日本でも行われたと言われている呪法である。登場する食品添加物は約1200。天然系を400程省いてもこれだけが我々の体内を通過しているのだ。我々は誰に呪い殺されようとしているのだろう。
「まず知ることからはじめたい」
そんな言葉を冠したこの映画祭で、我々は何を知ることになったのか。しかし、そもそもドキュメンタりー映画が真実を映せるのかと、最後に問いかけてみるのもおもしろい、そう思った。
事実があって、一人の人間がカメラというモノを使ってひとつの形に固定する。その間にいったい何が起きるのか。観客は作者から提供された「事実」を眺めながら「真実」を読み取り知ろうとする、そして知ったような気になるのだが、最初の事実と「真実」は同じものではない。事実は、カメラを通り抜ける間に、どう変容してしまうのだろうか…
…というような二人展なるのかどうか、僕には分からないが、数十日前、映画祭に作品を出さないかと櫻井篤史に連絡した時にはそんな話になったはずだ。
櫻井も加藤も、かなりコアな付き合いをしていた僕の古い友人である。友人であり続けたかどうかは別にして。
ふたりとも、京都と山形、遠くに住んでいるので、なかなか細かな打ち合わせができない。特に加藤に到っては(洒落ではないが)、天下のNPO法人山形国際ドキュメンタリー映画祭の理事、きっと忙しいのだろうと慮ってはいるが、ここ数十日の僕の比ではないだろうと皮肉をひとつ飛ばしておこう。催促してもプロフィールさえ送ってこない。だからネットで調べて僕がでっち上げた。1990年以降の彼の経歴など、全く知らなかった。
今回の“喜多見と狛江の小さな映画祭+α”、作品を探す苦労は皆無であった。どのプログラムも、なにかしらの繋がりで、自然に無理なく集まった演目ばかりである。だからもしかすると、とても私的な傾向の映画祭になってしまったようにも思う。最後の二人展はその極みなのだが、そのことを、櫻井と加藤は受け入れるだろうか。この映画祭を最後に総括する「二人展」であれと、僕が期待していることに、さて、彼らは向き合ってくれるのだろうか。
(高山正樹)

「個人映画」は、その作家の想いが普遍化される事を前提にするなら、劇場でかかる、テレビに流れる、どのような商業主義的な商品としての映画・映像よりも興味横溢である!という想いを秘めて、この一見地味なジャンルに分け入り、迷い、出て来れない人間が、意外に沢山居る事を知って欲しい!
櫻井篤史
上映日時:6月30日17:00~(※上映後は櫻井篤史×加藤到のトーク)
話が詰まらなければ、高山正樹が乱入するに違いない。
※6月30日は他に10時から「女たちのレジスタンス」、14時から「斉藤哲夫ライブ」がございます。是非併せてご覧ください。お得な3枚綴りチケットもあります。)
⇒喜多見と狛江の小さな小さな映画祭+α オフィシャルサイト
【櫻井篤史】
●『非同一性不可逆的反復再生』(15min./2000年)
過去のある時点に戻りたいという思いは、誰もが持っている筈だ。その分岐点から違う選択肢を辿っていれば‥‥という想像は、しかし無意味な事だろうか。今生きているこの現実が少なくとも当事者にとって真実であるとするならば、過去のある時点における別の選択肢の延長線上にある(だろう)生き方もまた真実であるに違いない。人は、同時に存在する無数の真実のひとつをたまたま生きているに過ぎないのだ。
●『Who?』(27min./2011年)
映画のカットそのものを擬人化する試み。人格を持った全てのカットが他の全てのカットと関係し、牽制し、干渉し、制御しようとして暴走し始める。そもそも映画のカットの尺はどのように決定されるのか。カット自体が編集そのものを支配しようとする時、この映画は一体誰が作っているのだろうか?
【加藤到】
●『Sparkling』(10min./1991年)
1991年の湾岸戦争は、テレビ史上初めて、実況中継による空襲の映像が世界中に配信された戦争だった。当時住んでいた東京のアパートの一室で、イラクの対空砲火の映像を見た私は、グラスに注いだスパークリングワインの気泡の様な美しさを感じてしまった。
●『ゴーランド』(10min./1981年)
シャッタースピードがテーマ。当時豊島園にあった年代物のエルドラドを露出時間を変えながら撮影した数百枚のモノクロ写真をアニメートした。露出時間は画面上にグラフィカルに表示される。
●『冬の遮眼子』(19min./2009年)
映像作家、批評家として著名な松本俊夫氏の企画構成で作られた6人の実験映画によるオムニバス作品のひとつ。「見るということ」の最初のパートとして、山形国際ドキュメンタリー映画祭2009で発表された日記映画。遮眼子とは、視力検査で使う片目を隠す用具の名称である。
【櫻井篤史+加藤到】共作
●『KAISEKI料理』(16min./2002年)
東京国立の映像作家佐々木健の経営する居酒屋『キノ・キュッヘ』が、開店10周年ということで、「食」をテーマにした新作の出品を頼まれた。この店には約10坪程度のスペースがあって、映画や芝居、ライヴ等の企画も行っている。山形の映像作家加藤到と二人で当初、映像書簡を企んだが、結局前後半に別れた「連作」となった。蟲毒(或いは蠱毒)は、中世日本でも行われたと言われている呪法である。登場する食品添加物は約1200。天然系を400程省いてもこれだけが我々の体内を通過しているのだ。我々は誰に呪い殺されようとしているのだろう。
■櫻井篤史(さくらいあつし)
1956年生まれ。京都で生まれた後、大阪・鎌倉・保土ケ谷・横浜を経て、現在京都在住。
1973年から8mmカメラを回し始める。
1981年以降、30数作品を制作。
国内個展や、イメージフォーラム等国内外映像企画展招待出品多数
1990年・2000年、ハンガリー国際実験映画祭にて作品賞受賞。
1985年から11年間、京阪神で活動するシネマテーク運動に参加。
1990年、劇作家尾崎隆夫氏と出逢い、雑団結成に参加。「芝居内映像」の制作と映写を担当。
1994年、ビデオ制作・モーショングラフィクススタジオ「Finders Büro」設立。
2002年~2008年、京都造形芸術大学 映像舞台芸術学科・情報デザイン学科 非常勤講師。
2005年~、大阪成蹊大学芸術学部映像コース 非常勤講師。
2007年~、京都精華大学芸術学部映像コース 非常勤講師。
■加藤到(かとういたる)
1958年、山形県鶴岡市に生れる。
1977年 東京都立駒場高等学校卒業。和光大学人文学部芸術学科に入学する。
イメージフォーラム付属映像研究所で映像を学ぶ。
1991年、『SPARKLING』でハンガリー・レティナ国際映画祭シゲトヴァール市長賞受賞。
1995年 日本映像学会。
2000年 「映像作家加藤到の仕事」神戸アートビレッジセンター 映像個展。
2001年 「イメージズ・フェスティバル」(カナダ・トロント)出品「KAISEKI料理」。
2004年 「ニッポン コネクション」(ドイツ・フランクフルト)
「大山子芸術祭」(中国・北京)現代美術展出品
「トロント ジャパニーズ ショートフィルム フェスティバル」(カナダ・トロント)
ボゴダ映画祭 公式コンペ審査委員長と招待上映「KAISEKI料理」
2007年 さくらんぼテレビ番組審機会委員。
現在、東北芸術工科大学情報デザイン学科准教授、山形国際ドキュメンタリー映画祭理事
1956年生まれ。京都で生まれた後、大阪・鎌倉・保土ケ谷・横浜を経て、現在京都在住。
1973年から8mmカメラを回し始める。
1981年以降、30数作品を制作。
国内個展や、イメージフォーラム等国内外映像企画展招待出品多数
1990年・2000年、ハンガリー国際実験映画祭にて作品賞受賞。
1985年から11年間、京阪神で活動するシネマテーク運動に参加。
1990年、劇作家尾崎隆夫氏と出逢い、雑団結成に参加。「芝居内映像」の制作と映写を担当。
1994年、ビデオ制作・モーショングラフィクススタジオ「Finders Büro」設立。
2002年~2008年、京都造形芸術大学 映像舞台芸術学科・情報デザイン学科 非常勤講師。
2005年~、大阪成蹊大学芸術学部映像コース 非常勤講師。
2007年~、京都精華大学芸術学部映像コース 非常勤講師。
■加藤到(かとういたる)
1958年、山形県鶴岡市に生れる。
1977年 東京都立駒場高等学校卒業。和光大学人文学部芸術学科に入学する。
イメージフォーラム付属映像研究所で映像を学ぶ。
1991年、『SPARKLING』でハンガリー・レティナ国際映画祭シゲトヴァール市長賞受賞。
1995年 日本映像学会。
2000年 「映像作家加藤到の仕事」神戸アートビレッジセンター 映像個展。
2001年 「イメージズ・フェスティバル」(カナダ・トロント)出品「KAISEKI料理」。
2004年 「ニッポン コネクション」(ドイツ・フランクフルト)
「大山子芸術祭」(中国・北京)現代美術展出品
「トロント ジャパニーズ ショートフィルム フェスティバル」(カナダ・トロント)
ボゴダ映画祭 公式コンペ審査委員長と招待上映「KAISEKI料理」
2007年 さくらんぼテレビ番組審機会委員。
現在、東北芸術工科大学情報デザイン学科准教授、山形国際ドキュメンタリー映画祭理事
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