2013年06月21日(金)00時00分
「斉藤哲夫ライブ」+高田渡「グラスソングス」
若き哲学者、歌う哲学者等の愛称で呼ばれたフォークシンガー、斉藤哲夫
現在リハビリをしながらライブ活動を再開した斉藤哲夫さんが、映画祭の+αで参加してくれることになりました。
こんなせまい空間で、すぐそこにいる斉藤哲夫が歌う歌を聴く、そんな濃密な時間を、一緒に共有しにいらっしゃいませんか?

上演日時:2013年6月30日14:00~
(※同時上映:若かりし高田渡のライブ映像「グラスソングス」)
※6月30日は他に10時から「女たちのレジスタンス」、17時から「映像作家2人展」がございます。是非併せてご覧ください。お得な3枚綴りチケットもあります。)
⇒喜多見と狛江の小さな小さな映画祭+α オフィシャルサイト

高田渡「グラスソングス」
ライブ映像(43分/1993年)
ディレクター:永井宏
企画・制作:天空企画
←※クリックすると大きくなります
【極めて個人的な、僕の斉藤哲夫のはなし】
僕が高校生の頃、斉藤哲夫は僕の青春だった。青臭さを拒否した青春、でも今考えれば、やっぱり青臭かった。哲っちゃんが「今の君はピカピカに光って~」なんて歌っても、僕は気にしなかった。哲っちゃんは、あい変らず哲っちゃんだった。哲っちゃんにとっては、「ピカピカ」で名が売れてしまったことが良かったのか悪かったのか、でも、そんなことは関係ない。今も哲っちゃんは哲っちゃんだ。
そんな斉藤哲夫と、ひょんなことで出会うことになった。そのあたりのことは、すでにこのブログに書いてある。「斉藤哲夫」のカテゴリ記事は、もう20個を越えちまった。
その中でちょっと紹介していることだけれど、僕には忘れられないエピソードがいくつかある。それをまたお話ししよう。
ある時、僕が哲っちゃんから聞いた高田渡の話。
哲っちゃんは、当時の多くのフォークシンガーたちに慕われていた先輩の高田渡から「我々」なんてアジる歌は作るなと言われたんだそうだ。自分一人の気持ちを歌わなくちゃいけないと。なるほど、「自衛隊に入ろう」も、あれは高田渡一人で責任取る覚悟で歌ってる歌なんだな。でもさ、と、哲っちゃんは続けた。
「でもさ、我々って言いたくなることあるよなあ」
僕は、ふと考え込んでしまった。例えば「戦争を知らない子どもたち」、その呼び名を「僕らの名前」と言われても、へそ曲がりの僕は、その「僕ら」に僕を入れないでくれって思うだろう。なるほどそういう意味じゃ、高田渡の言うことはごもっともなのである。しかし、なんだか斉藤哲っちゃんの「我々」は違うんだ。
「哲っちゃんの『我々』ってさ、哲っちゃんが歌う『我々』を聞いていると、その『我々』は、斉藤哲夫と僕の、二人だけのことだと思えてくるんだよね」
すると哲っちゃんは僕を見て、2秒くらい固まって、そして…
「それだ!」
それから数ヵ月後、下北沢の小さなBarに、哲っちゃんのライブを聞きに行った。
「少し太ったんじゃないか、気をつけなきゃだめだぞ」
哲っちゃんは大病して、それからお酒を飲まなくなった。きっと健康にはとても気をつけていたんだ。その日のライブでも、脳梗塞で倒れた友達の話をして、体には気をつけてくださいというようなことを、何度も何度もお客さんに語りかけてた。
それから間もなくして、哲っちゃんが旅先の北海道で倒れたという知らせが届いた。
以来、僕は哲っちゃんと会っていない。しばらく北海道の病院に、予定より遅かったが、東京の病院に転院した。見舞いに行きたかったけれど遠慮した。そのうち、そろそろとライブを再開し、ステージに立って歌っていると聞いて安心した。
何度か会えそうな機会もあったのだが、結局、会わなかった。会わなかったのか、会えなかったのか。だから、なおさらなのかもしれない。今度の映画祭で、是非哲っちゃんに歌ってもらいたいと思った。でも、やっぱりそんなの無理だろうな。
ところが、あっさりOKの返事が来た。
哲っちゃんが倒れて以来はじめて、この小さな小さな会場で僕は哲っちゃんと久しぶりに会うことになる。いったい最初に会った時、どんな言葉をかければいいんだろう。「もう身体は大丈夫なの?」なんて、そんなのは嫌だな。まだ時間はある。もう少し気の利いた台詞を探していよう。
そしてその日、哲っちゃんのライブが終わった時から、新しい「我々」が始まるんだ。その「我々」は、もうふたりっきりの「我々」ではなくて、その日来てくださるであろう人たち、哲っちゃんが繋いでくれた人たちが加わって、前よりも暖っかい「我々」になることを、僕は心から楽しみにしているのである。
【追伸】
哲っちゃんがどんどん元気になっているという風の噂が聞こえてきた。ホントは風の噂ではなくて、中川五郎さんと智内さん情報。だから、この催しのタイトル「斉藤哲夫ミニライブ」から、「ミニ」の字を外した。でも、哲っちゃんにハッパをかけるつもりはない。無理してもらっては困る。ただちょっと嬉しくて、「斉藤哲夫ライブ」の方がカッコいいじゃないかと、そんなふうに思ったのである。
現在リハビリをしながらライブ活動を再開した斉藤哲夫さんが、映画祭の+αで参加してくれることになりました。
こんなせまい空間で、すぐそこにいる斉藤哲夫が歌う歌を聴く、そんな濃密な時間を、一緒に共有しにいらっしゃいませんか?

上演日時:2013年6月30日14:00~
(※同時上映:若かりし高田渡のライブ映像「グラスソングス」)
※6月30日は他に10時から「女たちのレジスタンス」、17時から「映像作家2人展」がございます。是非併せてご覧ください。お得な3枚綴りチケットもあります。)
⇒喜多見と狛江の小さな小さな映画祭+α オフィシャルサイト

高田渡「グラスソングス」
ライブ映像(43分/1993年)
ディレクター:永井宏
企画・制作:天空企画
←※クリックすると大きくなります
【極めて個人的な、僕の斉藤哲夫のはなし】
僕が高校生の頃、斉藤哲夫は僕の青春だった。青臭さを拒否した青春、でも今考えれば、やっぱり青臭かった。哲っちゃんが「今の君はピカピカに光って~」なんて歌っても、僕は気にしなかった。哲っちゃんは、あい変らず哲っちゃんだった。哲っちゃんにとっては、「ピカピカ」で名が売れてしまったことが良かったのか悪かったのか、でも、そんなことは関係ない。今も哲っちゃんは哲っちゃんだ。
そんな斉藤哲夫と、ひょんなことで出会うことになった。そのあたりのことは、すでにこのブログに書いてある。「斉藤哲夫」のカテゴリ記事は、もう20個を越えちまった。
その中でちょっと紹介していることだけれど、僕には忘れられないエピソードがいくつかある。それをまたお話ししよう。
ある時、僕が哲っちゃんから聞いた高田渡の話。
哲っちゃんは、当時の多くのフォークシンガーたちに慕われていた先輩の高田渡から「我々」なんてアジる歌は作るなと言われたんだそうだ。自分一人の気持ちを歌わなくちゃいけないと。なるほど、「自衛隊に入ろう」も、あれは高田渡一人で責任取る覚悟で歌ってる歌なんだな。でもさ、と、哲っちゃんは続けた。
「でもさ、我々って言いたくなることあるよなあ」
僕は、ふと考え込んでしまった。例えば「戦争を知らない子どもたち」、その呼び名を「僕らの名前」と言われても、へそ曲がりの僕は、その「僕ら」に僕を入れないでくれって思うだろう。なるほどそういう意味じゃ、高田渡の言うことはごもっともなのである。しかし、なんだか斉藤哲っちゃんの「我々」は違うんだ。
「哲っちゃんの『我々』ってさ、哲っちゃんが歌う『我々』を聞いていると、その『我々』は、斉藤哲夫と僕の、二人だけのことだと思えてくるんだよね」
すると哲っちゃんは僕を見て、2秒くらい固まって、そして…
「それだ!」
それから数ヵ月後、下北沢の小さなBarに、哲っちゃんのライブを聞きに行った。
「少し太ったんじゃないか、気をつけなきゃだめだぞ」
哲っちゃんは大病して、それからお酒を飲まなくなった。きっと健康にはとても気をつけていたんだ。その日のライブでも、脳梗塞で倒れた友達の話をして、体には気をつけてくださいというようなことを、何度も何度もお客さんに語りかけてた。
それから間もなくして、哲っちゃんが旅先の北海道で倒れたという知らせが届いた。
以来、僕は哲っちゃんと会っていない。しばらく北海道の病院に、予定より遅かったが、東京の病院に転院した。見舞いに行きたかったけれど遠慮した。そのうち、そろそろとライブを再開し、ステージに立って歌っていると聞いて安心した。
何度か会えそうな機会もあったのだが、結局、会わなかった。会わなかったのか、会えなかったのか。だから、なおさらなのかもしれない。今度の映画祭で、是非哲っちゃんに歌ってもらいたいと思った。でも、やっぱりそんなの無理だろうな。
ところが、あっさりOKの返事が来た。
哲っちゃんが倒れて以来はじめて、この小さな小さな会場で僕は哲っちゃんと久しぶりに会うことになる。いったい最初に会った時、どんな言葉をかければいいんだろう。「もう身体は大丈夫なの?」なんて、そんなのは嫌だな。まだ時間はある。もう少し気の利いた台詞を探していよう。
そしてその日、哲っちゃんのライブが終わった時から、新しい「我々」が始まるんだ。その「我々」は、もうふたりっきりの「我々」ではなくて、その日来てくださるであろう人たち、哲っちゃんが繋いでくれた人たちが加わって、前よりも暖っかい「我々」になることを、僕は心から楽しみにしているのである。
(高山正樹)
【追伸】
哲っちゃんがどんどん元気になっているという風の噂が聞こえてきた。ホントは風の噂ではなくて、中川五郎さんと智内さん情報。だから、この催しのタイトル「斉藤哲夫ミニライブ」から、「ミニ」の字を外した。でも、哲っちゃんにハッパをかけるつもりはない。無理してもらっては困る。ただちょっと嬉しくて、「斉藤哲夫ライブ」の方がカッコいいじゃないかと、そんなふうに思ったのである。
斎藤哲夫「われわれは」
※この動画も削除された。哲っちゃんが元気になった証拠だと喜ぶことにしよう。
(2014年6月13日追記)
※youTubeにまた見つけました。どうせまたすぐ削除されるのだろうけれど、貼っておこう…(2015年10月5日追記)
※やっぱり削除されちまった。
いたちごっこ?
※この動画も削除された。哲っちゃんが元気になった証拠だと喜ぶことにしよう。
(2014年6月13日追記)
※youTubeにまた見つけました。どうせまたすぐ削除されるのだろうけれど、貼っておこう…(2015年10月5日追記)
※やっぱり削除されちまった。
いたちごっこ?
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