「極私的エロス・恋歌1974」

ドキュメンタリー(98分/1974年)
監督・撮影:原一男
製作:小林佐智子
音楽:加藤登紀子

トノンレバン国際独立映画祭グランプリ

極私的エロス2 極私的エロス1

「私にとって映画はコミュニケーションの方法」という原が、かつて一緒に暮らし子どもまでをなした女を追って沖縄へ行き、彼女が自力出産を行なうまでを捉えた作品。「極私」の極致へと到達した未踏のドキュメンタリーとして、原一男の名を一躍知らしめた問題作。「生きることの原点を描ききった」「見る者を強烈にとらえてゆさぶり続ける恐ろしい映画」「真実を見ることの衝撃」などの絶賛を浴び、日本列島のいたる所で若者の強烈な支持を集めた。

極私的エロス美由紀の部屋に、ポールという黒人兵が座っている。美由紀はカタコトの英語で話しかけている。ほとんど通じない。男は黙って2人の様子をカメラにおさめている。
「このポールだって、いつまで沖縄にいるかわかりゃしないさ。けど、沖縄にいるあいだが勝負さ。ポールなんてさ、毎日、基地のなかでこき使われて、女だけが楽しみなんだよ。ときどき、私もよ、スケベハウスの女と同じじゃないかと思うな」と美由紀は呟く。
男は、何かコトバにならぬ声を出して、美由紀を詰問しようとする。そのぶんだけ、手にしたカメラがふるえる。
(阿奈井文彦「女ハ女デアル」より)

※例の大阪市長の暴言で、この解説だけ読めば妙にタイムリーな感がないわけでもない。エロスは、常に個人の範疇に属する。それが故に、危険であり暴力的である。「性」と「軍」を、ここでことさらに結び付けるつもりは毛頭ない。この映画も、そんな映画ではない。にもかかわらず、「エロス」は、個人から発して、僕の脳内にある「国家」まで侵食していこうとする。
三十数年前、僕はこの映画を見てしまった。その個人的体験が、僕の「それからの沖縄」にどう影響してしまったのか。どうやら理屈ではないらしい。その得体の知れぬ正体を、今、もう少しはっきり見極めたいと思っている。
(高山正樹)

上映日時:6月24日19:00~
(※ゲストに、原一男さんをお迎えします!)

※6月24日は他に10時から「引き際」、14時から「なまず」、17時から“演劇のれっすん”がございます。是非併せてご覧ください。お得な3枚綴りチケットもあります。)
 喜多見と狛江の小さな小さな映画祭+α オフィシャルサイト

「原苛立ちの表出と消滅~行き行きてかえらぬ心~」最首悟+佐々木幹朗 対談より
最:だってひどいよ、あれじゃあ、小林佐智子って一体なんですか、あの映画の中じゃあ、ひどいと思うんだよな、オレは。
佐々木:それは、何と言うか、カメラを持った者のずるさがね、原君というカメラを持った人間のずるさがね、小林さんをすっと画面に表わす時に見えてくる感じがするんですよ。それは武田美由紀が言う原一男という男のずるさではなくて、カメラを持った者のずるさになっている。
最:また極論するけど、原一男をめぐる女達ということで見られないこともなくて、それをどうして世の評論家達は色々と上手くすばらしい映画なんて言うんだろう。

極私的エロスDVD
上映用のデータが届く。それには一篇の紙片が入っていて、「小林佐智子排」という直筆の署名があった。
40年の時の流れは、いったい何を変え、何を変えなかったのだろう…
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tag: 加藤登紀子 

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