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キャッチコピーが出来るまで(1月4日から5月1日までのこと)

※山猫合奏団の旧サイトの「CD自主制作余談」より転載

2008年1月4日
(宇夫方)
明けましておめでとうございます。
いよいよですね。
さっそくですが、itunes store配信の記事が出る雑誌に載せるキャッチコピーについて、松本さんから大島さんの方に連絡が入ったとのこと、そこで検討しています。
高山いわく、朗読ではないということを言いたいのだけれど、「朗読ではない」と言った瞬間に「朗読」のイメージになってしまう。
「朗読」とはいわずに別の言い方で表現したいのですが、いい案はないでしょうか。
例えば
「聴衆」が「観客」に変わる!
コンサートを聴きに来ていたお客さんが、物語に引き込まれていつの間にか劇場の観客になっている、というようなイメージ。
先ほど白石さんに聞きましたら、コンサートのお客様は「聴衆」と「観客」という言葉を分けて使ってはいないようなので、これではイメージが伝わらないのでしょうか。

皆さんのご意見をいただけますか?
よろしくお願いします。


(大島純)
キャッチコピー、なかなか難しいですねぇ…
さっきまで、ピアノ五重奏のあわせをしていて、そのメンバーに
「聴衆」が「観客」に変わる!
の、印象を聞いてみたのですが、残念ながらあまりぴんと来なかったようです。
引き続き考えてみます。

(楠定憲)
ちょいと考えてみました。

 今、新しい(宮沢)賢治に出会える。
 山猫合奏団が届ける(or語る)賢治の心象風景(orファンタジー・ワールド)。
 (異才の)ピアニスト白石准作曲の2つの交響(楽的)物語「セロ弾きのゴーシュ」・「どんぐりと山猫」
 2月1日同時配信


こんなのです。ご意見を。

1月5日
(大島)
楠さんの案なども参考に、いろいろ考えていたのですが、いつのまにか夢の中へ。嗚呼。
キャッチコピー、結局先方に提出できずに朝になってしまいました…
きっちりとしたキャッチコピーは、やはりメンバーの総意であるべきと思いますし、ここで拙速に決めてしまって後で後悔するのもアレなので、今回は松本さんの原案を元に、編集部の方で考えていただく事にしたいと思います。
CD作成の際にはきっちりと。


1月21日
(松本さん)
とりあえず、どんぐりと山猫は配信開始になりました。

(宇夫方)
視聴できました!楽しそう!面白そう!!!

(楠)
いよいよはじまりましたね。


1月22日
(白石准)
iTune上で山猫合奏団を検索したら“どんぐりと山猫”は出てこなかった代わりに朗読のジャンルの作品がいくつかヒットしてきました。

今のところ「音楽作品」としてミュージックのフィールドで配信されましたが同時に朗読のジャンルでも配信してもらえないのかなあ。同じ内容だと駄目かな。

この作品を買いそうなのは音楽ファンよりそっちの方に(も)沢山いそうな気がするんですけど。

(大島)
ジャンルについては、松本さんもすこし悩まれたようです。
この2作を我々が音楽作品だと考えている以上、メインのジャンルをオーディオブックにしてしまうのはどうなんだ?ということです。

そこで両作品とも配信時のデータとして
Classical and Audiobooks
ということでアップロードしていただいてます。

それでオーディオブックの方にも反映されたのかどうか、
iTunes上での実際の挙動については、よくわかりません。

1月23日
(楠)
皆さん諸々の作業お疲れ様です。
報告を受けるばかりで、実働ができず申し訳なく思います。
ところで、iTunesを開いて山猫合奏団もしくはどんくりを探しているのですが、見つかりません。相変わらず私の誤動作なのでしょうが、知り合いにも配信の始まったことを伝えている手前、私も早く聴いてみたいのですが(宇夫方さんは聴いてそうですね)どんくりに到達するにはどうすりゃいいの?

1月25日
(大島)
やっとゴーシュも配信されました。
鎌ちゃん、白石さん、サイトでの宣伝、よろしくお願いいたします。

ただし、松本さんのコメントにもあるように、なぜかジャンルがサウンドトラックにされてしまっているようです。


(松本さん)
セロ弾きのゴーシュも配信になりました。
しかしながら、ジャンルが勝手にサウンドトラックに分類されてしまっているので、後で修正のメールを送っておきます(有効になるかどうかは、向こうの判断になってしまうのですが)。

(白石)
サウンドトラックでは嫌ですな。
よっぽどオーディオブックの方が良い。


1月26日
(白石)
サイトで告知を始めました。
アメリカ本土からは購入できないみたいですが、やっぱりそうなのか、なんか方法はないものなのでしょうか。

1月31日
(白石)
僕のブログの記事に、「CDを本屋に置いてもらえば?」という提案がありました。
オーディオブックのジャンルでも、という考え方と同じです。
音楽のファンよりは僕は眼に留めてもらう可能性は大きいと思います。


4月28日
(鎌ちゃん)
いよいよ大詰めです。CDの帯のキャッチコピーを募集します。
何かいい言葉をお寄せ下さい。
よろしくお願いいたします。

4月28日
(白石)
キャッチコピーはそれこそ、演奏家や出演者が考えるものではないと思われます(爆)
演奏に従事しない、「売る」専門家の方が良いコピーがでるし、やっている方が恥ずかしいような持ち上げ方しないと衝撃度はないでしょう。
そうじゃないと、賢治の様に「買う買わぬは別として、一度お手にとってください」ということになってしまう(爆)

それでもあえて恥を忍んで自分でひねり出すと、

「白石准渾身の宮沢賢治の心象風景」

「みなさんは音楽なしに"セロ弾きのゴーシュ"を読んでおもしろいですか?」

「音楽抜きで"セロ弾きのゴーシュ"を読めるか?」

「読む"セロ弾きのゴーシュ"より聴く"セロ弾きのゴーシュ"はいかが?」

「チェリスト自ら演じた"セロ弾きのゴーシュ"はいかが?」


P.S.
NGワードは、「世界初、チェリスト自ら演じた"セロ弾きのゴーシュ"」
です。
既成の曲の構成だけど、中国出身の黄原さんというチェリストの方が数年前に台詞を言いながら上演したらしいのです。

許可が得られれば、僕らの作品を聴いたことがある僕の弟子たちに、非公開募集してもいいけど。
ギャラ無しでとは言う(爆)

4月29日
(白石)
白石准知り合い案その1
「聴いて体感!賢治の世界シリーズ~その1
あなたのとなりにゴーシュが来る!」


(白石)
帯キャッチコピー候補その2集

「音楽と語りがつむぎだす賢治の世界を心ゆくまで味わう!
山猫合奏団によるあの大人気公演セロ弾きのゴーシュついにCD化!」

「音楽と語りの不思議な化学反応!超人気山猫合奏団が懐かしくも新しい賢治の世界へと誘う!」

「音楽と語りがおりなすファンタジー。賢治の世界に吹き込まれた新しい興奮!あの山猫合奏団が待望のCD化!!」

「はじめてであう新しい賢治の世界。
あの大人気山猫合奏団がついにアナタのおうちにやってきた!」


4月30日
(白石)
キャッチコピー案集その3

「ゴーシュのセロを聴いてごらん」

史上最も脳が青く光る賢治音楽

納得の賢治

妖しく、そして素朴な等身大の賢治音楽

これまでで最も飾らない賢治音楽

言葉を超えない賢治音楽

時空を超えた 新感覚の賢治ファンタジー

白石准の音楽と語りの織りなす音の劇場は、
観客と一体となり、笑いあり、涙あり、そして大喝采のライブ録音です。



(白石)
ゴーシュキャッチフレーズ候補4集
「音楽と語りの万華鏡。
凄腕表現者ユニット山猫合奏団が贈る賢治の世界~
あなたのゴーシュお探しします!」


(鎌ちゃん)
おはようございます。白石さんにたくさんのキャッチフレーズ候補を頂きましたが、皆様はどのキャッチフレーズが良いとおもいますか。どれも良くて迷ってますので皆さんのご意見を聞いて決めたいのですが・・・。宜しくお願い致します。

(白石)
僕は
史上最も脳が青く光る賢治音楽
というのが意味不明で好きで、
あるいは、
「この物語を音楽なしに理解できるだろうか」
というのはどうだろうと思います。

(宇夫方)
皆さんから頂いたコピーを元に作ってみました(高山さんが)

白石さんのも良いのですが、わからなさ加減が中途半端だとか。

そこで…

あなたの脳が、史上最も青く光る
~音楽と語りの不思議な化学反応、納得の賢治~


(高山正樹)
ちまたによくある賢治評。賢治の言葉は音楽的だってやつ。しかしだいたいこの場合使われている「音楽」とは、文学的な装飾で、音楽家が実際に扱っている音とは、似て非なるもののようです。むしろ小生はそちら側の住人だからよく分かる。
CDの委託販売をお願いしようと考えているサイトの管理者の方と会った時のはなし、音を聞いた氏曰く、
「なるほどこれはオーディオブックではないね。」
音を聞く前から結構話していて、伝わったつもりでいたのに、音聞いたら、やっぱり、あーなるほどそういうことか、と。
それほど「語りと音楽」のセットには、揺るがしがたい固定観念があるようです。
そこで、「音楽なしに理解できるか」という言葉をキャッチコピーで使うのは、表面的にわかりやすい言葉なので、ちょいと危険な感じがしたのです。
僕は、この白石氏のフレーズを、CDに添付するブックレットでも、採用することを断念したのですが、それも同じ理由です。十分なスペースがあるならばまだしも、中途半端に使ってしまうと、文学的な聴衆を敵に回しかねない、いや敵に回さないまでも、むりやり文学談義の土俵に引っ張り込まれて、山猫合奏団の連中って、文学わからないのねって思われるのが、小説家になりたかった高山としては、どうしても我慢ならなかったということを、ここに白状いたします。
本件に関しては、HPにて一連のメールのやり取りを公開するということで、どうか、お許しのほどを。

ところで、僕の決めたコピーはダメ?

(白石)
僕も、賢治の言葉の音楽性という、よく見かける記述には、音楽をやってない人だからこそそれにこじつけるニュアンスを感じていましたので、その経緯はわかります。

キャッチコピーに関しては、「納得の」というのがちょっと変な感じがしました。

納得しないほうが(爆)、いいような気がします。
understandよりfeel。

(高山)
なるほど。
賢治の名前が全く入らないのもどうかと思い、賢治の名前が入っているコピーをちょっと使ってみたのですがねえ。

(宇夫方)
賢治が納得いかないようにするにはどうしたらよいでしょう。

以下、高山がブツブツと。。。

あなたの脳が、史上最も青く光る
~音楽と語りの不思議な化学反応、賢治も納得するか~


とか

~音楽と語りの不思議な化学反応、納得しない賢治~
でもいいんだけどね

あと、例えば~

隣に賢治
はす向かいに賢治
屋根裏に賢治
仏壇の賢治(これはやばいな)
賢治はいずこ
賢治、雨にも負けず
賢治泣き笑い


要するに何でもいいんだけど、どれもちっとも良くないね
何かないかなあ
キャッチコピーだからねえ、みんながそれだって思わず手を打つようなのがいいなあ、むずかしい。
「賢治さん。カッコーは青っぽいのです」ってのはどうだ?
やっぱりだめだね

ずっと、呟いています。
皆さん何かないですか?

(大島)
例えば、
賢治と音楽と語りの不思議な化学反応
とか、全部くくったらダメですかね?

5月1日
(白石)
大島君のコピー気に入った。
それで、前に僕が推したやつと化学反応(爆)させて、

賢治と音楽の史上最も脳が青く光る化学反応

というのは?

(高山)
うーん、たしかにね、そんな手もあるんだろうが。

あなたの脳が、史上最も青く光る
~音楽と語りの不思議な化学反応、(プラス賢治の何かいいフレーズ)

プロデューサーとして、ここまでたどりついた経緯をご説明いたします。
みんながピンときた「脳が青く光る」というイメージ。これは使いたい。しかしいくらなんでもそれだけじゃちょいと不親切、てことで、一番似合いそうな「化学反応」という言葉をあくまで補足として使ってみた。
その意味で、白石先生の今回のご提案のコピーでありますが、せっかくの「脳が青く光る」というインパクトが、少し薄まってしまった感じがあってちょいと残念なのです。「化学反応」のほうがメインになっちゃった。
また、今回のブックレットの作り方からいうと、化学反応をおこしているのは音楽と「語り」というほうが一貫性があってしっくりくる。しかし、あまりにも賢治を置き去りにしている感も否めない。そこで。
化学反応を起こしている音楽と語りを、賢治が眺めているという構図にしたいと考えたのです。ちょいと悩んだのですが、やっぱり「あなたの」ってのはやめたほうがいいかな。もしかしたら脳が青く光っているのは賢治かもしれないし、我々かもしれないのだから。
もちろん、この発想に固執はいたしません。お前は間違ってるというご意見あれば、どしどしお寄せください。また、もっとも重要なのはインパクトとイメージ、これぞというすばらしいコピーがあればもちろん直ぐに差替えます。ただ、仮に高山がそこまで言うならしかたねえとおっしゃってくださるのなら。

メインコピーは「あなたの脳が、史上最も青く光る」か「脳が史上最も青く光る」のどちらにするか。
そして続く補足コピーをどうするか。
「~音楽と語りの不思議な化学反応」までお許しいただけるなら、その先の(プラス賢治の何かいいフレーズ)をご提案いただくという方向で、なんとか時間もないので、ぼちぼち収束に向かいたいという気持ちであります。
もちろん、何度でも申し上げますが、これぞというすばらしいコピーがあればそれにこしたことはありません。でも、いろいろいじくりまわしていると、最初の新鮮さがいつのまにか消えてしまって、なんだ最初のが一番よかったじゃないかということは、よくあるはなしなのでご注意を。もしかすると、僕もそんな落とし穴に落ちている可能性あり。そう感じたら指摘してください。

(白石)
僕の感想から言えば、賢治と音楽の賢治の中に「語り」は内包されているとおもうので、

あなたの脳が、史上最も青く光る
~音楽と賢治の不思議な化学反応~


がいいと思います。

(高山)
他のみなさんのご意見も是非伺いたい。よろしく。
ここから先は、自分の案を採用してもらうためのプレゼンテーションでは決してなく、私のイメージの陳述であります。
なんかね、音楽と語りが、つまり我々がということですが、賢治に相対していたい、という密かないたずら心があるのです。その意味で、僕は語りが賢治に「内包」されていたくないという気持ちがある。音楽対賢治という構図は、否が応でも誰かが言い出すでしょう。しかし、語り対賢治という話題は、ややもすると役者がうまいとか下手だとかの次元でしか語られない。つまり白石氏のおおせのとおり、普通に考えれば語りは賢治に内包しているのが当たり前なのです。しかしながら僕としては、あくまで我々の語りは、音楽側に存在しているということを、密かに主張(矛盾かな)したい気持ちがあり、それを売りにしたいのです。
それからね2元論より3元論のほうが今風(これ死語かな)で洒落てる(これも死語か)。トライアングルな感じが宇宙的拡がりがあっていいなあとも思うのです。
みなさんの腹蔵なきご意見お待ちしております。


《高山正樹による解説》
結局、高山に何を言っても、結局好きなように決めるんだろう、という諦めの感じが漂っています。しめしめ、なんて言ったら顰蹙(ひんしゅく)ですね。
皆さんには、僕のわがまま受け入れてくださったこと、心より感謝しております。
ただ、ひとつ確信したことがあります。
白石准氏が、自分の音楽について、決して安易な妥協を絶対しないのと同じように、プロデューサーもまた、自分が担当している範疇においては、自分の意見を押し通すべきなのだということです。
「だから言ったじゃないか、俺の提案していたコピーにしなかったから、反応が悪いんだ、俺のせいじゃない」
なんて逃げ道を、絶対に作ってはいけないのです。全ての責任をひとりで負わなければならないのです。必要なのは、自分で決めた企画全体のトータルイメージを損なうような妥協をしないことだと思うのです。
結果、プロデューサーの判断ミスで売れなくなったとして、その責任は負うのだけれど、しかし、どんな悪い結果になろうとも、それだから次に繋がる経験となるのだということを、僕は確信したということなのです。
山猫合奏団のCDは、これ1枚で終わりではないないのですから。

そして、

「史上最も脳が青く光る」

このフレーズを提供してくださった、准氏のお弟子さん、「月光仮面」さんと呼んでおきましょう、ほんとうにありがとうございました。

「音楽と語りの不思議な化学反応」

音楽と語り、わが意を得たり、こちらにも感謝です。

また、今回採用させていただくこと、かないませんでしたが、たくさんのアイデアを届けてくださった方々、ありがとうございました。
白石准は、たくさんの人に支えられ、そして愛されているのだということを、改めて思い知らせれました。
屈折して生きてきた僕としては、ただただ羨望の眼差しを向けるのみであります。どうか今後とも、白石准を、支え愛し続けてくださいますよう、白石准から、30年間励まされ続けてきた1人の友人として、くれぐれもお願い申し上げる次第です。
ほんとうに、ありがとうございました。
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