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島尾伸三が島尾敏雄と島尾ミホを語る

喜多見と狛江で沖縄映画祭 特別企画 ①
島尾伸三が語る父(島尾敏雄)と母(島尾ミホ)


日時:1月31日(日)17:00〜
会場:M.A.P.(第1会場)
料金:
一般 1,200円
    学生及び75歳以上 500円 ※受付で学生証・保険証等を提示してください。
      前売りチケット1,000円あり
      ※ご予約を頂けば、前売り扱いにて、チケットを受付にお取り置きいたします。
      ※11枚綴り 10,000円(1000円券×11枚)

 ⇒オフィシャルサイトのチケット購入ページ
  ⇒CoRich 直通(PC用)
  ⇒CoRich 直通(携帯用)
 電話でのご予約・お問合せ:03-3489-2246(M.A.P.)

 ⇒総合案内記事へ

父 敏雄は福島県相馬の出身、母は奄美加計呂麻島のおひーさま。
そして息子 伸三の複眼は、世界を冷徹に批評している。


島尾伸三氏が語る父と母は嘘かマコトか、文学ファン沖縄ファンならずとも興味尽くせぬ話を聞きながら、上等黒糖酒を味わう? そんな珠玉の時を、一緒に過ごしてみませんか?

※本プログラムは、特に必ずご予約をお願いいたします。
お問合せ:M.A.P. 03-3489-2246

【島尾伸三】
写真家、作家。
1948年に神戸で生まれ、奄美大島で育つ。
1974年、東京造形大学造形学部写真専攻科卒業。
1978年に写真家の潮田登久子と結婚し、ともに中国香港の庶民生活をリポート。娘は漫画家のしまおまほ。

【島尾敏雄】しまお としお、1917年(大正6)4月18日〜1986年(昭和61)11月12日
小説家。
海軍第十八震洋特攻隊(いわゆる人間魚雷)の隊長として、奄美群島加計呂麻島に赴任。島尾中尉は、島人から「隊長さま」と慕われていた。1945年8月13日に出撃命令、しかし発進の号令を受けぬまま終戦を迎える。
作品は超現実主義的な「夢の中での日常」などの系列、戦争中の体験を描いた「出発は遂に訪れず」などの系列、さらに家庭生活を描いた「死の棘」などの系列に大別される。日記や紀行文は生涯書き続けられた。
また「ヤポネシア」や「琉球弧」など、彼の南島に関する論考は、沖縄を考える知識人たちに大きな影響を与えた。

【島尾ミホ】しまお みほ、1919年10月24日〜2007年3月25日
作家。
奄美の加計呂麻島の祭事を司る「ノロ」の家系に生まれ、巫女後継者と目されていた。
加計呂麻には海軍特別攻撃隊の基地があり、震洋特攻隊長として島へ赴任してきた聡明篤実な海軍士官、島尾敏雄と知り合う。戦後1946年に結婚。ミホは後々まで、白い海軍の正装姿の若き日の敏雄の写真を大切に自室に掲げていた。
「トシオはただの人。でも、『隊長さま』は神さまでした」とミホは述懐する。(小栗康平談『御跡慕いて』)
『海辺の生と死』で田村俊子賞を受賞。他に『祭り裏』、短編「その夜」など故郷奄美を題材にした作品が多い。

「死の棘」
※当日、死の刺を上映する訳ではありません。
心因性の精神症状に悩む妻ミホとの生活を描いた島尾敏雄の私小説。1990年に映画化。監督は小栗康平。主演、松坂恵子、岸部一徳。第43回カンヌ国際映画祭にて最高賞パルム・ドールに次ぐ審査員グランプリを受賞。


ミホとトシオは結婚10年の夫婦。第二次大戦末期の1944年、二人は奄美大島・加計­呂麻島で出会った。トシオは海軍震洋特別攻撃隊の隊長として駐屯し、島の娘ミホと恋に­おちた。死を予告されている青年と出撃の時には自決して共に死のうと決意していた娘と­の、それは神話のような恋だった。しかし、発動命令がおりたまま敗戦を迎え、死への出­発は訪れなかったのだ。そして、二人の子供の両親となったミホとトシオの間に破綻­がくる...。
(YouTubeにアップされた映画予告編の説明文より)
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