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長瀨隆「トリウム原子炉革命」


以下『トリウム原子炉革命』より抜粋・要約
※順次追加していきます。
「(米ソ冷戦の時代)軍と軍需産業が多大の発言力を行使してきた。すなわち核弾頭の製造に多量のプルトニウムが必要だったので、商業用原子炉の製造にあたって、天然ウラン(を燃料とする原子炉)が選ばれ、プルトニウムを極めて微量にしか産せず安全なトリウム(原子炉)が忌避された」

「トリウム熔融塩炉の開発研究は、その実験炉段階での未曾有の成功にもかかわらず、既得権益を獲得していた政産軍複合体の圧力により、陰謀的に予算を停止され、挫折せしめられた」

「1979年にスリーマイル島原発で事故が発生し、この結果米国では原発の新設が停止になったのに対し、日本ではラッシュ状態になり、ついに2011年の3.11を迎えたわけである。トリウム溶融塩炉が採用されていたならば、起こらなかった事故であった」

「(日本でも)1981年、トリウム・エネルギー学術委員会が発足する。これに呼応して会員108名の自民党トリウム利用推進議員懇話会が発足する。経団連会長の土光敏夫も動く。しかしこれらすべては中曽根政権によって潰された。米国の産軍複合体と同じように、中曽根はプルトニウムをもたらさないトリウムを嫌ったのである」

「原子力ムラ=体制は多少は変化してきていて、2013年5月、吉岡律夫と木下幹康が原子力委員会に呼ばれて報告し、それが資料として採用された。しかし安倍内閣のもとで『もんじゅ』の続行は決定され、トリウム熔融塩炉が採用される可能性は無い」

「(対立する反・脱原発と推進・擁護の双方とも原発をウランを燃料とする原発だと)それ以外にはないと認識していることにおいて一致共通している」

「(日本で早くからトリウム熔融塩炉に強い関心をもち、生涯一筋に研究し、福島原発事故の年に84歳で亡くなった理学博士古川和男は、反原発派が)ウラン原発を否定することには賛成するが、エネルギー問題の解決を再生可能な自然エネルギー(だけ)に求めたり、ライフスタイルの転換(節約)に求めることには同意しないのである。(中略)したがって古川和男の理想の実現のためには、これら反・脱派の『改宗』もまた望まれ、差し当たって対話を目指し、『プルトニウム消滅!―脱原発の新思考』の著者である森中定治は(中略)シンポジウム(※僕が参加した2014年4月12日の催し)を主催、反・脱派の論客小出裕章を招いた」
「小出は『トリウムに夢をかけようとする人もいるがそれも誤りである』と述べ、一切の核分裂によるエネルギー取得に反対した」
※著者の長瀨隆氏は、続けて「不勉強も甚だしい」と言うのだが、どこがどう不勉強なのか、残念ながらきちんと説明されていないと僕には思える。
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tag: 泉龍寺  木下幹康  溶融塩炉  311 

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