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03/16のツイートまとめ

gajumui

思わず高揚して語るのだが、聞く目が冷めていた。はじかれていると感じた。この日ここに集った人たちは、好むと好まざるとに関わらず、30年間アイヌ以外の者であることは一時もなかったのであり、僕はといえば、時折り懐かしむようにアイヌを思うだけなのだ。30年前の沖縄。ある記憶のデジャヴ。
03-16 11:46

「アイヌ」とは人間という意味。ならばアイヌが自らを「アイヌ」と自覚するには、「シサム(シャモ・和人)」との邂逅を待たねばならなかったはず、と、30年前の僕は考えていたのだ。だが… 「アイヌ」とは「カムイ」に対する言葉。僕は古い書物を持ち出して、再び読み、そして考え続ける。
03-16 12:07

@maYmaYuko_515 スマホ、捨てたい…
03-16 12:10

「和人の文化に憧れた。アイヌなんかやる気なかった。でもアイヌで死にたいと思った。アイヌやったらみんな逃げた。アイヌからも差別された。個人に罪はない、差別する個人を憎まなくなるまで、ずいぶん時間がかかった」 理解?共感?ましてや共闘?決して辿り着けないと、僕は沈黙の罠に囚われる。
03-16 12:35

沈黙に囚われて喜多見まで戻ってきた。だがやっぱり高揚し饒舌だった。そこに嘘もなければ矛盾もない。人間とはそうした存在なのだと確信している。だからこそ、まず問うべきは自分自身であり、事あるごとに立ち返ろう。「こんがり黒くなってこの身が食べ頃になるまで」 カムイに迎えられるまで。
03-16 12:52

メモしてきたことの根っこに少しでも近づきたくてネットを巡った。便利になったが、それが悲しさの種を拾うことにもなる。「アイヌと沖縄の共闘」、30年前、僕が立ち去ろうと決めた地表。あれから何が変わり、何が変わっていないのか。見極めるまで、呟くことはしないと決めた。
03-16 15:01

気がつくと、こんなはずではなかったという場所に立っていた… そうなるのを恐れている。川か壁か、はっきりと区切られているに違いないという思い込み、実はこちらとあちらの相貌は曖昧で、知らず知らずのうちに境界線を越えて雁字搦めになっていた、ありそうなことと、不安に駆られて足元を見る。
03-16 15:36

何かを観に行けば大量の折込チラシ。特に芝居、昔はこんなになかったよなあ。いったい東京では毎日どれだけの数の芝居の幕が開くのだろう。「こんなにいる?何か間違ってない?」などと言って、ここでも僕ははじかれる。貴方のことではない。僕を含めた「我々」のことを僕は問うているのだが。
03-16 16:52

昨日はありがとうございました。例の件、ひとつ宜しくお願い申し上げます。 @kyat_yoko @sanayayo http://t.co/gAae1kxDvj
03-16 16:55

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