沖縄復帰前夜の「神々の深き欲望」

沖縄復帰前夜、沖縄と大和は、どう対峙していたのか…
「神々の深き欲望」

(175分+休憩/1968年)
監督:今村昌平

構想6年
撮影2年
今村昌平 初のカラー作品

沖縄の孤島で神話的伝統を受けついで生活する人々。
因襲と近代化の狭間で翻弄される彼らの生活を描く。


① 日時:1月30日(土)10:00〜
  会場:M.A.P.(第1会場)
② 日時:2月4日(木)15:30〜
  会場:スペース103(第2会場)M.A.P.(第1会場)
料金:
一般 1,200円
    学生及び75歳以上 500円 ※受付で学生証・保険証等を提示してください。
      前売りチケット1,000円あり
      ※ご予約を頂けば、前売り扱いにて、チケットを受付にお取り置きいたします。
      ※11枚綴り 10,000円(1000円券×11枚)

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 電話でのご予約・お問合せ:03-3489-2246(M.A.P.)

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とても語り尽くせない…
だから、極めて個人的な興味を、取り留めなく繋いでみることにする…
『神々の深き欲望』のモチーフのひとつに、戯曲『パラジ・神々と豚々』(今村昌平・長谷部慶治共著)がある。この戯曲は、当時小沢昭一が主宰していた俳優小劇場(劇団俳小の前身)が、昭和37年に上演した作品。出演者は座長の小沢昭一他、北村和夫 加藤武 など。その時、舞台監督を務めたのが藤田傳で、藤田は今村昌平に招かれて『神々の深き欲望』のチーフ助監督となるのである。
当時の撮影現場でのことは、竹中労が『鞍馬天狗のおじさんは』の中で、嵐寛寿郎の「告白」を紹介している。三國連太郎が破傷風に罹って足一本失うところだったとか、沖山秀子と監督との、とてもここでは語るのを憚られるような話とか…

そんな裏話をも思い浮かべながら、出演者を列挙するだけで、想像は限りなく膨らんでいく…

太 山盛(主人公・亀太郎の祖父) 嵐寛寿郎
太 根吉(山盛の子)三國連太郎
太 ウマ(根吉の妹、竜立元の妾) 松井康子
太 亀太郎(根吉の息子) 河原崎長一郎
太 トリ子(亀太郎の妹、知的障害の娘) 沖山秀子

竜 立元(クラゲ島区長) 加藤 嘉
竜 ウナリ(立元の妻) 原 泉

里 徳里(傷痍軍人・吟遊詩人) 浜村 純
里 ウト(徳里の妻) 中村たつ
麓 金朝(漁労長・立元の部下) 水島 晋

刈谷技師(東京から来た測量技師) 北村和夫
島尻技師(前任の測量技師) 小松方正
比嘉  (沖縄本島からの行商人) 殿山泰司

刈谷夫人(刈谷技師の妻) 扇 千景
東光悌夫人(刈谷の会社の社長夫人) 細川ちか子


一文字苗字が多いことから、元々奄美を想定して台本が書かれたことが想像されるが、実際のロケ地は南大東島や波照間島であった。

因みに、この映画には、いかにも怪しい踊りの場面があるのだが、その振付けをしたのは、関谷幸雄である。

大城立裕と犬猿の仲である新川明は、その場面を次のように批判した。

いくらかでも島における祭り、とくに映画で「ドンガマ祭り」というふざけた名前で描かれる「アカマタ祭り」を知り、またその祭に対する島の人たちの心情を知るものとしていえることは、ああいう形であの祭りを描かれていることは、あたかも、自分の心の中に、土足でズカズカと入りこまれたような感じでやり切れなかった。島の人たちにとっては、誇張ではなく、真実、言語に絶する苦痛を覚えることだと思う。
芸術家の、作品形象化における非情さというものは百も承知だが作品創造に際しての作家のエゴイズムは、やはりその描くべき事象(祭りであれ何んであれ)の本質の意味を、確実に、ゆがみなくとらえた上でこそ許されるべきであり、みずからのテーマ追求の表現材料の範囲で、恣意的に皮相な描写、設定のまま〝利用〟するということは許せない態度だと思う。


「神々の深き欲望」は1968年に公開された。その1968年を記録した映画に、第一回の「喜多見と狛江でちいさな沖縄映画祭」でも上映した東陽一の「沖縄列島」がある。それについて川田洋は、「映画批評」の1971年7月号に「〈国境〉と女たちの夜明け」と題して次のように書いた。

ヤマトから〈沖縄〉へ視線を向けるとき、この「観光地」性に足をすくわれない保証は誰にもない。ビジネスであろうが「闘争」であろうが、訪れる人々をいやおうなく「観光客」にしたてあげてしまう圧力が、あの群島には確実に存在する。東プロの『沖縄列島』は、最も水準の高い左翼観光映画であり、〈みにくい日本人〉・大江健三郎は、その映画に姿を見せた若い観光バス・ガイドに一目会いたいとコザの市中をうろついた。おそらく「観光客」としての規定性から完全にまぬがれえた沖縄訪問者がいるとすれば、この数年の間にかぞえられるのは防衛庁長官中曽根と、第三次琉球処分官山中だけだったのではあるまいか。
権力者は、まさにその権力者として持つ意志の力によって「観光客」たることからまぬがれたのだ。だとすれば、「観光客」から脱出しようとするなら権力者の階級性とサシでわたりあうに足る階級性を身に帯びるか、さもなければ一人の〈生活者〉として沖縄の〈生活〉へのめりこんでゆくしかない。


今回の映画祭全体から見た時、大和の人間にとって最も理解困難という意味において極めて重要な作品である高嶺剛の「つるヘンリー」、その対極にあるのがこの「神々の深き欲望」である。決して分かりやすいという意味ではなく、当時の大和の代表的知識人たちが描いた沖縄という意味合いにおいて、やはり最重要の作品であることに間違いない。

はじめて沖縄の人間だけで制作されたという「琉球カウボーイ、よろしくございます。」の三つの作品に、高嶺剛の影を見るのは、それらが徹底的に沖縄の感性で作られているからであるかもれない。また、大和の女性が監督した「戦場ぬ止み」とアメリカ人が撮った「うりずんの雨」について、比嘉賢多は、その二作品に自作の「沖縄/大和」が加わらなければ完結しないと豪語するのであるが、ボクもそれには深く同意する。そして比嘉は、最も評価する映画に高嶺剛の作品群を上げるのである。

沖縄出身の若き映画監督たちに多大な影響を与えている高嶺剛であるが、今回の映画祭で、平良とみさん追悼プログラムとして追加ラインナップを検討したが叶わなかった「オキナワンチルダイ」(1979年)において、高嶺は小沢昭一に出演依頼を送っていて、それが雑誌「青い海」に掲載されているのだが、それが実に興味深い。

ご存知のように日本復帰、そして琉球の大和化への一つのきっかけにしようとした海洋博を予想通りの不評の内に終わり、“さあ、沖縄はいよいよニッポンだ”と侵略者たちのざわめきと共にやってくる“素朴”な大和人〈ヤマトンチュ〉インスタントレジャー南国組が、ジャルのカバンを肩につるして、“失われたニッポンを求めて”とばかりに、互いに観光客にうんざりし合いながらも、ハードスケジュールをこなす季節が、ここ琉球の地にいよいよやってこようとしています。(中略)私達の前には、大和というものがあまりにも大きく立ちふさがっています。そこで思うに大和人は、琉球入りした場合は少なくとも「日本人宣言」をすべきではないでしょうか。お上のざわめきに便乗して“沖縄はパスポートも要らないし、便利になったワイ。どれ、一つ行ってみるか”では、あまりにも“素朴”すぎます。いや“ずる”すぎます。かって琉球人が日本入りした場合、強制的に“やらされた”様に、同様にとまではいかないかも知れませんが、“日本人宣言”をすべきです。
つきましては、誠に勝手なお願いですが、貴殿にあえてその悪役たる大和人の役で、今回の琉球映画への出演をお願い申し上げます。


小沢昭一がいったいどういう気持ちでこの出演依頼を読んだのか、今となっては確かめようもないが、もし出演していたら、小沢はいったいどのような「日本」を背負った人物を造形したのだろうか。

「神々の深き欲望」は、当時の日本の進歩的知識人が、どのように復帰前の沖縄を見ていたかを教えてくれるのではあるが、はたして現代の日本人が、その「日本的発想」からどれほど解放されているのか、極めて疑わしいのである。

神々の深き欲望1

神々の深き欲望2

神々の深き欲望3

神々の深き欲望4

神々の深き欲望5

神々の深き欲望6
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