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ふたつの祖国、ひとつの愛 ーイ・ジュンソプの妻ー

第三回 喜多見と狛江の小さな映画祭+α 上映作品1

ドキュメンタリー(80分/2014年)
監督:酒井充子

<わたしの大切な大切なあなたへ…>
愛の手紙
日本の朝鮮統治、第二次世界大戦、南北分断、朝鮮戦争…
激動の歴史に引き裂かれた韓国人と日本人の
70年にわたる一途な愛と信頼の物語。




韓国の国民的画家として愛されている故イ・ジュンソプ(李仲燮)とその妻、山本方子(まさこ)は、第二次世界大戦中に東京の美術学校で出会い、現在の北朝鮮の元山で結婚した。国の違い、民族の違いを乗り越えて愛し合い、共に生きることを願った二人だったが、朝鮮戦争の戦火と貧困に追われ、日本と韓国の地で離れ離れの人生を歩むことになる。

牛の絵

上映日時:
7月2日(木)第一会場(M.A.P.)10:30~
7月5日(日)第二会場(いちまるさん)17:00~

 ※各会場の位置関係は映画祭総合告知記事の地図を参照してください。
  ⇒FBのイベント

料金:1200円(割引チケットあり)
  ⇒チケット予約・購入(CoRich)
電話予約・お問い合せ:M.A.P.(03-3489-2246
【イ・ジュンソプと山本方子を通してみる日本・韓国近現代史】
1875年(明8)江華島事件で日朝が武力衝突
1876年(明9)鎖国状態にあった朝鮮は日朝修好条規(不平等条約)を受け入れ開国
1894年(明27)日清戦争始まる
1895年(明28)閔妃暗殺
1904年(明37)日露戦争始まる
        日本は朝鮮に日韓議定書を調印させ駐留権と内政干渉権を認めさせる
1909年(明42)初代韓国統監・伊藤博文がハルビン駅で安重根に暗殺される
1910年(明43)日韓併合条約に調印 日本の朝鮮統治時代の始まり
1914年(大3)第一次世界大戦勃発
1915年(大4)日本が対華21カ条要求を出す
1916年(大5)日本統治時代の朝鮮・平安南道でイ・ジュンソプが生まれる
1919年(大8)本格的抗日運動「3.1独立運動」が起きる
1920年(大9)イ・ジュンソプの父親が死去。絵に没頭するようになる
        梨本宮方子女王が李王朝に嫁ぐ
1921年(大10)神戸で山本方子が生まれる
1923年(大12)関東大震災
1931年(昭6)満州事変
1932年(昭7)満州国の建国を宣言、5・15事件で犬養首相暗殺
1936年(昭11)イ・ジュンソプ帝国美術学校(現武蔵野美術大学)入学
        2・26事件が起きる
1937年(昭12)日中戦争が始まる
        イ・ジュンソプ、与謝野晶子らが教鞭をとった文化学院美術部へ
1938年(昭13)国家総動員法施行
1939年(昭14)山本方子は府立第三高等女学校(現都立駒場高校)を卒業
        文化学院美術部で洋画とフランス語を学ぶ
        2年先輩のイ・ジュンソプと出会う
1940年(昭15)日独伊3国同盟に調印
        創氏改名始まる
1941年(昭16)太平洋戦争勃発
1943年(昭18)第3回新美術家協会展(ソウル)に出品するためイ・ジュンソプ帰国
        太平洋戦争が激しさを増したため日本に戻れなくなる
1945年(昭20)3月10日、東京大空襲。
        山本方子は単身、危険をおして朝鮮に渡りイ・ジュンソプと結婚
        元山(ウォンサン)で暮らす。
        広島に原爆投下
        ソ連が対日宣戦を通告
        長崎に原爆投下
        終戦
1946年(昭21)第一子が生まれるがジフテリアで死亡
1948年(昭23)ふたりの間に泰賢が誕生
1948年(昭23)李承晩初代大統領に就任
        8月15日、大韓民国、建国される
        9月9日、朝鮮民主主義人民共和国、建国される
        済州島4・3事件起きる
1949年(昭24)泰成が誕生
1950年(昭25)6月、朝鮮戦争が起きる
1950年(昭25)家族は船で釜山へ避難、しばらく釜山の難民収容所で暮らす
1951年(昭26)家族は済州島の西帰浦(ソギポ)に移り住む
1952年(昭27)サンフランシスコ講和条約締結
        李承晩ラインを宣言
        方子と子供たちが栄養不良に陥り、健康上の問題から日本へ
        イ・ジュンソプは韓国に残る
        家族宛に自筆絵葉書や絵を添えた手紙を書くようになる
1953年(昭28)7月、朝鮮戦争休戦
        板門店で休戦協定が調印され、現在の軍事境界線が敷かれる
        友人や方子の母親の尽力でイ・ジュンソプは1週間足らず日本に滞在
        これが家族との最後の別れとなる。
1954年(昭29)イ・ジュンソプは帰国後、風景画を中心に創作活動
        方子は洋裁の手伝いや保険外交の仕事をしながら子供を育てる
1955年(昭30)イ・ジュンソプはソウルで個展開催
        好評を博すも出展した銀紙画を春画とみなした当局から撤去命令
        この頃から栄養不良、拒食症等で衰弱
1956年(昭31)イ・ジュンソプ清涼里脳病院に入院
        9月6日、誰にも看取られず40歳で息を引き取る
        方子は夫の死を電報で知る
1961年(昭36)朴正煕が軍事クーデターにより政権を奪取
1963年(昭38)朴正煕が大統領に就任
1965年(昭40)日韓基本条約により国交正常化
        ベトナム戦争にアメリカ合衆国の承諾を得て参戦
1972年(昭47)ソウル現代画廊で遺作展が開催され、作品集が出版される
1973年(昭48)新聞連載を経て、イ・ジュンソプの評伝が出版される
1975年(昭50)イ・ジュンソプの半生を描いた「李仲變」上映
1977年(昭52)ジュンソプの死後21年、方子が初めて訪韓
1978年(昭53)勳章授与
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