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愛は経済合理性とは無関係

東日本大震災から105目……

複式簿記、仕訳帳、試算表……

【この日呟いたこと】

18:32
僕、死んでるわけではありませんから。


著名な経済学者である中谷巌氏が、こんなことを語ったらしい。
「こうこうたる電気の光で埋め尽くされ、それが豊かさだといった錯覚。文明の転換点」

すると竹田圭吾が呟いた。
「経済学者って文明を語ってはいけない人達と思う」

そこで、何の反応もないことを知りながら、僕は氏に宛ててこんなことを呟いてみた。
18:34
正直ですね。ただ、「語ってはいけない」ではなく「語らない」人達。


「人間、合理性だけで動いているわけではない。たぶん100のうち20も合理的な行動なんかしちゃいない」
「ずいぶん、乱暴だな……」

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東京は、フクシマからたった200キロちょっとしか離れていないのである。地球規模で見ればほとんど同じ場所だ。それなのに、東京にも存在しているらしいホットスポットは、いまだ把握されておらず、海産物のサンプル調査も全ての品種を調査する状況からは程遠い。政府の要人が、基準値を越えるものが流通している可能性を否定できないと語っている。さらにその基準値も、科学的臨床的に確かな根拠によって決められているわけではないのだ。福島原発は、依然水蒸気爆発の危険を抱え、フクシマの地下では、かなりの確率でメルトダウンより悪いメルトスルーが起きているらしいのである。
それでも、僕は家族とともにココに住んでいる。あなたも東京に住んでいる。

築地で放射線を調べた人がいた。基準値を大きく越える数値が出た。築地関係者は、死活問題だからと公表しないように申し入れた。ウソか本当か、定かではない噂話である。しかし、公式に築地の調査が行われているのかどうか。もし調査して問題がなければ、大声でアナウンスしそうなものだが。そんな漁業関係者が「風評被害」を口にする、笑止である。
日本国を司る中枢は、どうやら人々よりも国家の枠組みを守ろうとしている。その中枢とは、きっと目に見える政治家ではなく、隠されている何物かである。

世界中の「合理的な人たち」が、そんな日本の異常な姿を見つめている。

それでも僕は、コンケン・アイに、美味い魚を食いに行くのである。おかしな話だ。

イカは肝につけて食す。
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合理的に考えて食べものを選んでいるわけではない。というより、コンケン・アイで食べるものがNGなら、そこいらのスーパーで売られているものは全てダメだろう。食わなければ、ずっと早く健康を害す。

「齢五十をとっくに過ぎた俺には、問題ないレベルだから」
「確かに、問題ないレベルなら……」
「心配して食べ物を選ぶより、多少の汚染は気にせず、笑って食べる方が健康にいい」

あいちゃん、「海のチンボーラー」のおさらい。
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あいちゃんは5月からM.A.P.琉球舞踊教室の生徒さんになったのである!
「笑顔に踊りが加われば鬼に金棒」
「……」

おすそ分けで貰ったウニ。
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「おすそ分けを断る合理的な理由はない」
「だから、問題のないレベルなら……」

トムヤム麺でシメる。
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「キムチは放射能に効くんだ」
「あほらしい……」
「考えても仕方のないことは考えない。だが、安心デマは享受するのが健康の元。これ、精神安定上の合理的な行動」
「さて……」

原発を継続運転する正当性を探し出して喧伝するヒマがあるのなら、その労力と時間を、別な方向に使うことはできないか。仮に原発を止めると電力不足になることが真実であるとして、原発の即時停止は大企業の日本脱出を促し、弱い立場の人々に大変な苦労をもたらすことになるということが正しい予測であるとして、ならば何をどうすればそうならないような状況へもっていくことができるのか、その方法を探ることに持てる知性の全てを注ぎ込もうとすればいいではないか。今必要なのは分析ではなく、根源的な手当ての方途である。
 ⇒社長とは呼ばないで《1984年10月19日のノート》

「経済学者は、できない理由ばかりを並び立てる使えない社員と同じだ」
「それは傲慢な社長の言い分」
 ⇒社長とは呼ばないで《2008年6月5日の記事》

出荷する人も、流通させる人も販売する人も、それらを管理する役人も、表層的な経済合理性を捨て去り、それとは次元の違う根本的な理念で一致していると信じることができれば、出回っている食料品を、今よりずっと安心して食すことができるだろうにと思うのであるが。

「全員一致なんて気持ちの悪いことを言う気はない。輪を拡げること、そして監視の目を増やすこと」
「市民運動家になったのか」
「以前は、そう言われることが屈辱的に嫌だった」
「きっと、何も変えることなどできないよ。50年間、そうだったように……」

「6月30日までは、M.A.P.は普通の会社です。だから本日の記事は、無かったものとしてください」

ただ言いたかったことは、アイちゃんのいるコンケン・アイの魚は、安心して食べていい、というか、安心して食べようよ、ということ。なぜなら、おやっさんとまゆみさんが、アイちゃんを愛しているということがはっきりしているから。そこに経済合理性の入り込む余地は存在しないから。
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tag: 311  松原通_居酒屋.コンケン・アイ 

Comment

No:65|
「子供への愛情」や「良心」などでは、もはや「安全なもの」を食べることは出来ない事態まで、状況は悪化してしまったように思われる。
極めて意識的に食材を選ぶ店でしか、汚染していないものは食べられないだろう。しかし残念ながら身近にそんなお店は一軒もない。
さらにどんなに意識的でも、安全な食材を入手できないという時が、すぐそこまで来ている。
ましてや一般家庭で毎日3食安全を確保するなんてもはや不可能。この僕も、いったいどのくらい体内被曝しているのか、知る術もないのである。
日本は、とんでもない国になってしまった。

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