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深夜のやりとり

《6月28日26時》
東日本大震災から109日目、そして110日目になりました。

【真夜中に呟いたこと】

2:03
毎日睡眠3時間。後は20時間近く数字と格闘。未収納金2円天引きしたつもりが2円多く払って未収納金4円になった。ああ…。おとといからクスリが切れた。しかし自宅に帰るヒマが全くない。直ちに健康に影響が出そう。


すると、丸尾聡氏から「なんといっても身体、ご自愛あれ。まずは命」というようなメッセージが来ました。丸尾ちゃん、こんな時間なのにまだ起きてるの。ダメだよ、体に悪いよ。

2:40
若い頃、あんなにアイヌの人たちからいろんなことを学んだのに、そう思ったら涙が出てきた。結婚式のとき二風谷で買ったアイヌのでっかい俎板は、ずっと本棚に飾ったママ。使わなきゃだめだよと、萱野さんに言われたのに。

2:49
昔、萱野さんに芝居で使う弓を作ってくださるように頼みました。本番が近づいてきても一向にできる気配がない。曰く「まだ木が切ってくれと言わないのです」と。結局初日には間に合いませんでした。


それに対して、また丸尾ちゃんからメッセージ。
「前に、萱野さんが国会でアイヌ語で質問した話を中心に書いた本を読ませていただきました。『まだ木が切ってくれと言わないのです』、いちばん、今、必要で、なくなっている感覚なのでしょうね」

ほんとのことを言うと、当時萱野さんはとても忙しく、ただオンコ(イチイ)の木を切って削るだけの時間がなかった、それだけのことなのです。要するに、ちょっと洒落の効いた方便だったわけで。当時、劇団の代表は怒ってたなあ。彼は劇団の代表なのに、団員に自分のことを「社長」と呼ばせる人でした。今、でっかい劇団(会社?)になっちゃった。

でも、丸尾さんにはそんな返信はしませんでした。世の中、なかなか140字では収まらないものです……



去年の2月、こんな記事を書きました。どうぞ読んでみてください。
 ⇒二風谷の記憶、アイヌの俎板《1986年の萱野茂氏の思い出》

そして“社長とは呼ばないで”に書いた萱野さんのこと、ふたつ。
 ⇒萱野茂「アイヌの碑」
 ⇒着いた日のこと

今夜も4時間眠れればいいほうだな……



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