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2011年7月1日その1《きっと僕自身が決めたこと》

東日本大震災から112日目。

「現代思想」の5月号。
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ツイッターの「宮台真司ボット」で「党派的なヘタレ左翼雑誌」と揶揄されている。
「うしろめたかったりイケてなさに打ちひしがれたりする大学教員が、仲間はずれが嫌で『弱者の味方』自己イメージを交換して、左翼的コミュニケーションの接続を自己目的化する」
……ということらしい。

それを知った上で。

柄谷行人「地震と日本」より……
「ゆえに、世界資本主義は二、三〇年のうちに存続することができなくなるだろう。しかし、資本主義の終りは、人間の生活の終りではない。資本主義的な経済成長や競争がない状態でも、人は生きていける。というよりも、そのときに初めて、人は真に「生きる」ことができる。もちろん、資本主義経済がは簡単に終るわけではない。それに抵抗して、諸大国は資源や市場をめぐって争うだろう。しかし、私は、日本人は二度とそのような道を選ぶべきではないと考える。今度の地震がなければ、日本人は「大国」を目指して空しいあがきをしただろうが、もはやそんなことを考えられないし、考えるべきでもない。地震がもたらしたものは、日本の破壊ではなく、新生である。おそらく、人は廃墟の上でしか、新たな道に踏み込む勇気を得られないのだ。」
(For this reason, global capitalism will no doubt become unsustainable in 20 or 30 years. The end of capitalism, however, is not the end of human life. Even without capitalist economic development or competition, people are able to live. Or rather, it is only then that people will, for the first time, truly be able to live. Of course, the capitalist economy will not simply come to an end. Resisting such an outcome, the great powers will no doubt continue to fight over natural resources and markets. Yet I believe that the Japanese should never again choose such a path. Without the recent earthquake, Japan would no doubt have continued its hollow struggle for great power status, but such a dream is now unthinkable and should be abandoned. It is not Japan's demise that the earthquake has produced, but rather the possibility of its rebirth. It may be that only amid the ruins can people gain the courage to stride down a new path.)

(※なんで英文を併記したのか。もともとこの論文がアメリカの新聞のエッセイ用に書かれたからということもあるのだが、それだけが理由ではない。それはまたいずれ別途記事で。)

きっと、今日7月1日は、株式会社M.A.P.にとって特別な日だ。しかし何がどう特別なのか、はっきりしない。色々と変わった。でもそれを言うつもりは今のところない。問題は具体的な事象の陰に隠れている本質的な変化なのだが、どうもそれを説明するのが難しい。だからそれを匂わすような話題をいくつか並べて見ようと思っている。

浜岡原発が止まった影響がトコロテン式に関西に及び、関西電力も節電をと言い出した。大阪の橋下知事が原発の必要性をいうための脅しだと怒った。そして在阪の2.000社に向けて「事業活動に影響を及ぼすような節電はお願いしない」というメールを送ったという。

【そこで呟いてみた……】
12:57
電力会社の陰謀による節電は拒否だが、事業活動に影響を及ぼすような節電こそ日本に必要な根源的転換。その意味では橋本知事も所詮同じ穴の狢か?


なんとも関心しない呟きである。「事業活動に影響を及ぼすような節電こそ日本に必要な根源的転換」という言い方が全くなってない。なんのことだかさっぱりわからない。「同じ穴の狢」もダメだ。「同じ穴」ってどんな「穴」なのか。このどうしようもない呟きは、流れてきたツイートの返信として呟いてみたものだが、当然こんな僕の「呟き」に反応があるわけもない。

「実験結果報告:社会的に無名の輩が、ツイッターというシステムを使ってややこしい思いを伝えることは困難である」

何を言ってるんだか。

今日から、事務所の冷房をやめる。どこまでやれるものだか、これも実験である。幸い十数台あるPCだが、よほど状況が変わらない限り、今後は20%程度の稼働率。つまり3〜4台しか使わない。作業する人もそんなもの。数ヶ月前のように十数人がすし詰めでPC使って仕事をしていればこうはいかない。「事業活動に影響を及ぼすような節電こそ〜」と簡単に呟いて平気なのは、こういう事情があったからである。もしもM.A.P.の業務実態が昨年度と比べて何の変化もなかったとしたら、「日本に必要な根源的転換」なんて能天気なことを簡単に言えたかどうか、しかしその事は考えないことにした。個人事業を会社にした時からずっと、実はこの状態を目指していたのではなかったか。いや「そうだった」と思い込むことにした。

僕は“M.A.P.after5”と同時に“社長とは呼ばないで”というブログを立ち上げたのである。
 ⇒社長とは呼ばないで「公開して後悔して、分裂して」

この会社の状況変化は、誰の所為でもなく、この僕が希望したものなのだ。今日、そう、決めたのである。

これから、2011年7月1日の記事を別途にいくつか書く。が、どうやらいっぺんには書き切れそうにない。だから、これから何度も2011年7月1日に立ち返って、いくつかの記事は追記しては再投稿することになるだろう。



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No:66|
ツイッターで見つけた美術評論家の椹木野衣氏のコメント……
「放射性物質の拡散が想像以上に早い。事故当初、チェルノは旧ソ連だから悲惨なことになったという話があったけど、実は資本主義的な流通網が高度に発達し、利潤追求を止められない日本の方が遥かに危うい。前に放射能の資本主義的拡散と言ったのはまさにこういう事態。もはや福島だけの問題ではない。」
因みに、椹木野衣氏は同志社出身。

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