2017年06月02日(金)23時04分
呟き三つ(…と、次の日の饒舌)
昨日の朝からどうも調子が悪い。年を重ねるとはこういうことか。クソ面白くない。しかし、いつまでも寝ているワケにもいかない。さてさて…
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月2日
⇒そして告知西川郷子さん曰く「ニシカワmeetsフォーク、小田急線喜多見に初お目見え。昨日の夜、みんなで踊ろう の打ち上げ二次会に移動の5分の間に緊急決定(笑)」
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月2日
アテにならない神が降りて来るのを待っていてもダメだね。今回は人間臭~くいきませう。というわけで、告知の詳細は、今夜か明日か。
明治大学。明日来られなくなったので、今日来た。目当てはテントであったのだが、強風のため会場が校舎の中に変更になった。テントは明日の準備をしている。乞食行進の「理屈」が語られている。もしテントで開催されていたら、その「理屈」はどう変容しただろう… pic.twitter.com/S7Ra6kNNm3
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月2日
【…追伸、次の日の呟き】
「新たな境界線」という解釈に異論。むしろ境界線なるものを根本的に破壊せんとする行為でなければ面白くない。突如現れた「乞食の行列」や「禍々しき芝居のテント」が、安全地帯から眺めるだけの存在であったら、たいした恐怖など生まれない。境界のない存在が、我々を根源から揺り動かす。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
その意味では最終的にテントなど不要なのである。大学の校舎を異空間に変貌させる覚悟があればそれで十分なはずである。大学という守られた囲いの内部に、教授に呼ばれて(アカデミックに論理武装されて)建てられたテントに、はたしてどれほどの力があるのか、まずそこを疑ってみるべきなのだ。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
かつて、学生たちが河原乞食と共謀して学内にテントを呼び込み、大学当局と対峙させた。だからそれは、大学にとって体内に入り込んだ異物として極めて危険な存在であったのであり、当局もそのように認識した。だから東京大学は、学内での風の旅団の上演許可を取り消したのである。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
見る者見られる者、またその構造をどれほど複雑にしても、さらにそこに写す(記録する)という行為を加えてみても、結局欠落するもの。70年代演劇的に言えば「身体性」ということか。間近から飛び立つ戦闘機の轟音、街ですれ違う米軍兵士の体臭。そして、そこからの時間的空間的な広がり。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
昨夜もまた、学者や教授の限界を感じた。自らと他者の間に境界を引き、閉じた場所から語る存在。しかし、僕はそれを批判する資格を持たない。僕自身が「傍観者」という自らのあり方に苦悩してきたのだから。ただ僕が問うのは、「あなた方は、あなた方のそのあり方に気づいていますか?」ということ。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
炎天下、自宅から事務所に向かって歩きながら、ずっと「境界」について考えていた。例えば比嘉賢多も、沖縄と大和の間にある「LINE」を見つめた。境界=LINEを破壊する、あるいは突きつけるためには、まずその存在を認識しなければならないわけだが…
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
現代日本人は、虹は七色だと思っている。そう思ってみれば虹は七色に見える(まあそれも怪しいのだが)。米と英は六色だし、ロシアは四色らしい。虹は三色だというアフリカのある部族は、極めていい目をしているだろうに虹は三色にしか見えないらしい。さらに、古く沖縄の虹は二色だったとか…
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
境界とは、かくも曖昧なものである。曖昧な現実を、人は分析し始める。例えばどこかの学者が境界を引く。そうして引かれ認識された境界は、今度は人間の思考を縛っていく。いずれにしろ、深い思索のために「境界」の可視化は不可欠なのだが、その過程で「概念」が絶対となり「身体性」が失われていく。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
どうも俺は、どこぞの「学者」や「教授」と同じ間違いを犯し始めている。そう気づいたら、酷くつまらなくなってきた。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
一歳の時に伊江島で終戦を迎え、マラリアに罹り、その後の“銃剣とブルドーザー”を体験した金城さんがポツっと言った。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
「伊江島から波照間に移住した人たくさんいる」
画像は波照間の共同売店。特に意味はない。明大の講演で阿波根昌鴻氏の写真集にあった共同売店の話が出てきたのでなんとなく… pic.twitter.com/rTjosSK44Y
その金城さんはウチの琉球舞踊の生徒さん。また狛江には 『人間の住んでいる島-沖縄・伊江島土地闘争の記録』の出版を阿波根昌鴻さんに薦めた写真家の磧谷さんがいる。このふたりで何かできないかとずっと考えていた。そうか学者さんが加われば!とピンと来たつもりだったが…。どうも違うらしい。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
なんとも言いたいことが言えていないもどかしさ。いくら語っても何か間違っていて気持ちが悪い。だから饒舌になる。沖縄という巨大な「人類館」、俺もその「事件」に加担しているのではないか。
— 高山正樹 (@gajumui) 2017年6月3日
「しばらく黙っていれば?」
女房と娘から、さっき出掛けにそう言われたような気がする。
- 関連記事
-
-
調布市の読書会へ 2022/11/16
-
県民投票とヤマトゥンチュー 2019/02/27
-
「ボランティア」を論理的に知る 2019/02/17
-
モヤモヤ 2017/12/16
-
呟き三つ(…と、次の日の饒舌) 2017/06/02
-
tag: 西川郷子
← ニシカワmeetsフォーク | みんなで打ち上げ →
コメントの投稿
Track Back
ご案内
この新ブログへ引越し作業中です!
ページジャンプ
1ページ目
カレンダー(月別)
月別アーカイブ
最新記事(+webslice)
新着コメント+Trackback
- 2019-03-16 MAP : 宮沢賢治の“トロメライ”って何?(「音を楽しむ雑記帖」→「宮澤賢治考」)-コメントを転載2
- 2019-03-16 MAP : 宮沢賢治の“トロメライ”って何?(「音を楽しむ雑記帖」→「宮澤賢治考」)-コメントを転載
- 2019-03-16 MAP : 47個のコメントの意味(2006年2月のこと)-コメントも転載しました4
- 2019-03-16 MAP : 47個のコメントの意味(2006年2月のこと)-コメントも転載しました3
- 2019-03-16 MAP : 47個のコメントの意味(2006年2月のこと)-コメントも転載しました2
- 2019-03-16 MAP : 47個のコメントの意味(2006年2月のこと)-コメントも転載しました。
- 2019-03-15 MAP : 神楽坂とCHICAGO-「宮沢賢治考」のコメント2
- 2019-03-15 MAP : 神楽坂とCHICAGO-「宮沢賢治考」のコメント1
- 2019-03-15 MAP : キャッチコピー後日談-サイト振興委員会
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント4
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-白石准の返信
- 2019-03-15 高山正樹 : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-高山正樹の返信
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント3
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント2
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-白石准の返信
- 2019-03-15 MAP : 川越美術館で“どんぐりと山猫”上演-山猫ブログに頂いたコメント1
- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載3
- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載2
- 2019-03-15 MAP : 【田中寺公演】本番と打上げ-山猫ブログへのコメント転載1
- 2019-03-15 MAP : みそかです-山猫ブログのコメントを転載
- 2017-08-06 ひだまりのお話 : 久米明さんにお会いしました。《懐かしい過去たちに囲まれて》-街話§J街通信[95]酒舎かんとりぃ
- 2012-12-31 初老間近のしがない俳優の呟き : (まもなく)-実験は続く…
- 2012-12-10 M.A.P.after5 : 玄羽さんの送別会-沖縄芸人ライブ“ぱんみかす”(そっと内緒に追記して再投稿)
- 2012-11-20 M.A.P.after5 : 体育会系居酒屋-出ないなら出る練習をする
- 2012-11-20 M.A.P.after5 : お久しぶりです浅野さん!-出ないなら出る練習をする
Comment