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プログラム4「天皇と軍隊」

第五回 喜多見と狛江の小さな映画祭+α 上映作品4

天皇と軍隊
(90分/2009年 仏 ドキュメンタリー)
監督:渡辺謙一

9条はなぜ必要だったのか?
なぜ天皇制は存続したのか?


「天皇と軍隊」1

「天皇と軍隊」2

天皇制、戦争放棄、靖国、東京裁判、自衛隊、日米安保・・・、
日本の戦後史で議論され続ける問題に、貴重なアーカイブ映像と インタビューでストレートに切り込んだ異色作


冷戦期アメリカの庇護のもとで、日本は第二次世界大戦の荒廃から経済的復興を遂げた。ソ連の崩壊、中国の市場開放、欧州統合とグローバリゼーションの波は、日本の政治に舵を切らせた。世界の中の日本のプレゼンスを高めるための“国際貢献”である。

日本は矛盾と曖昧さの国であるとよく言う。憲法一つをとってもその矛盾は見てとれる。自衛隊の存在と、戦争および軍の保持を禁じた9条。主権在民と天皇の地位の曖昧さ。本作はこれら 3 本の軸と言える、9条、天皇そして軍隊について、天皇の貴重な映像をはじめ世界中から集めたアーカイブと、いまや鬼籍に入った政治家など、国内外の論客による秘蔵インタビューを交え、日本の戦後史を問い掛ける。



最後に…
昭和天皇と自衛隊を正面から見据えたフランス制作ドキュメンタリー
そんな映画のコピー。
僕はやるせない気持ちになる。日本人は、昭和天皇と自衛隊を正面から見据えているのだろうか、と。

《主な登場人物》
田英夫(でん・ひでお) 政治家・ジャーナリスト。2009年11月13日死去。享年86歳。
「もう、運命になっているわけですよ。だから、其の部隊にいくということは、それなりに もう死ぬことだということ、そして名誉なことだ、そういうふうに思い込まされてしまう。いやだ、という気持ちもないですね。それに尽きるんじゃないですか。これはね、なかなか容易なことじゃないですよ。死ぬつもりでいたのが、生きなきゃならない。まず生きるって事を考えました。」

ジョン・ダワー John W. Dower 歴史家。
「日本占領当初、1945年8月末から1946年初めまで、日本人はどう対処していいのかわからない状況でした。天皇は戦犯として裁かれるのか?天皇は退位させられるのか?占領 軍は天皇制を完全に廃止しようとしているのか?これから何が起こるのか?この状況は、マ ッカーサーの立場を強化するものでした。」

樋口 陽一(ひぐち・よういち) 法学者。
「11歳、小学校5年生の夏です。ひとことで言うとほっとした。それと重ねて恐怖です。なぜほっとしたのか、それは勿論、当時の軍国主義教育から解放されたということです。なぜ恐怖か、それはまさに軍国主義教育の中で、最後の玉砕だと、万一日本が負けたなら男の子はみんな数珠つなぎに軍艦に乗せられ、海に突き落とされる。女の子はもっとひどい目に合わされる、と言われていましたから。そういう恐怖です。」

小森 陽一(こもり・よういち) 国文学者。
「九条をめぐるこの国の多くの人々の記憶の問題は、日本の戦後史の矛盾そのもの。九条から日本の戦後全てが見えてくる。 」

五百旗頭 真(いおきべ・まこと) 歴史家。
「戦前の日本は、侵略戦争を無軌道に、ほしいままにして自らを破滅させた。侵略戦争は絶対にしたくない。それは第九条にもかいてあるとおり。しかし、自衛戦争については必要な場合にしなければいけないのか、いや自衛戦争もしてはいけないのではないか、 自衛戦争すらしてはいけないのではないかと本気で議論している国民は、戦後、世界に日本しかないと思うんです。」

高橋 哲哉(たかはし・てつや) 哲学者。
「天皇が裁かれなかったということ。これは、アメリカの世論などは強く訴追を要求していましたし、連合軍の中にも訴追論はあった。オーストラリアなどは一貫して天皇裕仁の訴追を求めていましたが、アメリカの判断で訴追論が押さえ込まれた。まったく免責をされた。訴追して無罪になったというのではなく、訴追すら全くされなかった。このことはやはり、国民一般に天皇の戦争責任に関する意識がほとんどなくなってしまった理由のひとつになる。」

ベアテ・シロタ・ゴードン Beate Shirota
22才で日本国憲法の人権条項の草案作成に携わる。2012年12月死去。89歳。
「与えられた7日間に私たちは様々な国の憲法を研究しました。その成果があって、日本国憲法は世界中の英知の結晶となりました。」

鈴木邦男(すずき・くにお) 元一水会顧問。
「(1970年当時は)愛国心だとか憲法改正とか天皇の問題とかそういうことを語るのは少数派でした。現実問題として三島由紀夫さんは、憲法改正を訴えるために死んだわけですから。憲法改正ということは、タブーだったし言えなかった、ですから命を懸けて言わなければならないテーマだった。」

葦津泰國(あしず・やすくに) 葦津事務所所長。
「どんな憲法作ろうと天皇はあると、そういう存在なんです、日本の場合には。文化的な側面だとか、歴史的にみんなつながっている。特に日本人の生活にくっついている祭りとは繋がっているし、そういう面からいうと法律という縛りもあるけれど、そうでもないものもたくさんあります。だから法律でいうと一行も書いてなくても天皇はあると。そして日本人はその下にいると。そういう思いでぼくはいます。」

自前で文字起こしした日本語字幕付きで上映!

 ※スクリーン脇の別途スペースに縦書きで映写します。

① 日時:8月23日(水)14:00~
② 日時:8月27日(日)18:00~
会場:M.A.P.

※27日18時の上映後、鈴木邦男氏のトークがあります。
※手話通訳の必要な方がいらっしゃる場合、スタッフが手話通訳を致します。

【チケット料金】
 前売り 1,000円(当日1,200円)

  ※介助の方と御同伴の場合は、お二人で一人分の料金、またはチケット1枚
   (なお当作品の上映会場は車椅子の対応が出来ていません。お問合せください。)

 学生及び75歳以上 前売り 500円(当日700円)
  ※受付で学生証・保険証等を提示してください。
  ※ご予約を頂けば、前売り扱いにて、チケットを受付にお取り置きいたします。

ご予約・お問合せ:
TEL:03-3489-2246(M.A.P.担当うぶかた)
FAX:03-3489-2279
Mail:kitamitokomaenoeigasai@gmail.com(チラシ掲載アドレス)
・・・mpro@mbh.nifty.com(従来アドレス)

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【鈴木邦男氏プロフィール】
鈴木邦男氏1943年、福島県郡山市生まれ。政治活動家。合気道三段。柔道三段。
67年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。在学中から「生長の家」学生会全国総連合(生学連)に所属し、書記長として活動。その後、全国学生自治体連絡協議会(全国学協)委員長。
早稲田大学大学院修士課程を中退して産経新聞社に入社。70年の三島由紀夫事件に衝撃を受け退社。
72年、犬塚博英、四宮正貴、阿部勉らと新右翼団体「一水会」を創設し会長に就任。99年、同会代表を退任し顧問に。
一水会結成当初は暴力的な行動右翼そのもののスタイルだったが、冷戦終結後から「宿敵・左翼の崩壊を危惧する」「左右の超越を訴える」といった独自の立ち位置を確立し、左右の友人と幅広い交流関係を持つ。
著書に『腹腹時計と〈狼〉』『闘うことの意味─プロレス、格闘技、そして人生』『夕刻のコペルニクス』『公安警察の手口』『増補 失敗の愛国心』『反逆の作法』『愛国者は信用できるか』『「蟹工船」を読み解く』など多数。

言論の覚悟


《監督のことば》
わたしたちは今どこにいるのか、歴史認識としての FILM(映画)

冷戦の二極対立時代は、国際政治のうえでも国内においてもいわば、わかり易い政治の時代だったといえます。半世紀続いた冷戦のたがが緩んだとき、民族主義や国家主義が台頭したのは世界的流れです。そこにさらに宗教というやっかいな問題が絡み世界は混沌とした様相を示しています。その流れを抑制する思想を含みながら欧州は政治統合をめざしています。これは冷戦戦後処理のひとつの方法といえます。もう一方の極、旧ソ連、中国、東欧も苦悩しつつ冷戦戦後処理の渦中にいます。冷戦ひとり勝ちのアメリカは、力の論理と経済が破綻し、外交力による安全保障へ転換しようとしています。このときアメリカの庇護のもと、復興と驚異的経済成長を達成した日本は、どこへ向かおうとしているのか。これがヨーロッパから日本への視角です。

敗戦に終わり冷戦で始まった「戦後」の分水嶺に「天皇」と「広島」がある

この仕事を準備する過程で小熊英二著「<民主>と<愛国>」を手にしたとき表紙の写真に打たれなんとしても使いたいと思いました。1947年12月7日天皇が広島に巡幸しドームと市民の前に立つ瞬間です。写真の所在はわかりましたが、映像もあるはずです。ワシントンを中心に手を尽くしましたが、結局アメリカではなくロンドンで見つかりました。原爆ドームと 2万人の市民を前に手を振る天皇。この構図の意味をつき詰めていく過程がこのドキュメントを構成する過程でもありました。天皇を抜きに戦後政治は語れません。動機こそ違え日米の政治的エネルギーが「天皇免責」のために大いに費やされました。冷戦が天皇を救った、と言えばこれはアメリカ側の動機です。国体護持は当然日本側のものですが、そのためになにがどう動いたのか、これを見つめるのが歴史認識の根本です。国体護持(一条)のためには「九条」も止むなしとした日本側の論理をアメリカ側の視点から描きました。その結果、視点を日本側に移せば意味が逆転する「意味の二重性」を歴史に織り込みたいと考えました。

昭和天皇とマッカーサーが敷いた講和・安保路線と戦後ナショナリズムの矛盾

1945年9月27日の天皇・マッカーサー会見にあらためて光を与えます。通算11回におよぶ二人のトップ会談は、新憲法下であってもマッカーサーがいる限りにおいて天皇が政治的影響力を行使した軌跡を示しています。朝鮮戦争の最中、皇軍なき天皇の悲願は制度的保障でした。沖縄を売り渡しても、準占領状態がつづこうとも、皇祖皇宗を共産主義の脅威から守護する保障が講和条約と日米安保でした。今日の日本を規定するこの2つの条約こそ戦後の新・国体と呼ぶべきではないでしょうか。しかるに、一部ナショナリストは「東京裁判」、「九条」が国体護持の重要なファクトだったことには目をつぶり、一気に「侵略戦争」を否定してしまうという無知と矛盾を堂々とさらします。彼らえせナショナリストこそ「三島事件」と「昭和天皇の戦後」を相対化すべきです。

没後20年-昭和天皇を歴史の遠近法に置く

三島由紀夫の昭和天皇に対する「恨み」をナショナリズムへの試金石とするなら、昭和天皇の戦争感を歴史の文脈に収めることが「戦後」に終止符打つため必要ではないか、そのように考えてラストシーンを創りました。わたしにとっては、昭和天皇の死こそ「戦後」の終わりであり「冷戦の終わり」です。冷戦の、どちらかといえば恩恵を受けた日本は、冷戦終結の意味、湾岸戦争後の世界の相対化に鈍感であるように見えます。昭和天皇の死から20年、冷戦終結から20年。この機に、異なる3種の戦争と戦争の世紀を生き抜いた特異な「昭和天皇」が、多方面から語られることを期待しつつ。

EMBRACING JAPAN

MIT(マサチューセッツ工科大学)教授ジョン・ダワーの EMBRACING DEFEAT(敗北を抱 きしめて)をなぞって EMBRACING JAPAN という心意気です。左右の政治的立場にこだわることなく、その言質に判断を下すのではなく、影響力の観点から、言説と言説をぶつけることで論点を際立たせる方法をとりました。発言者がそれぞれの立場で活性していることが客観性につながり、ひいては「開かれた FILM」になって欲しいと意図しています。

《渡辺謙一(わたなべ・けんいち)監督プロフィール》
1975年、岩波映画入社。1997年、パリに移住、フランスや欧州のテレビ向けドキュメンタリーを制作。 『桜前線』で2006年グルノーブル国際環境映画祭芸術作品賞受賞。近年は『ヒロシマの黒い太陽』(2011)、『フクシマ後の世界』(2012)など、欧州において遠い存在であるヒロシマやフクシマの共通理解を深める作品制作に取り組んでいる。
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