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連載エッセイ風宣伝文(最後の足掻き1)

喜多見と狛江の小さな映画祭+α 2017
いよいよ明日開幕です。

そこで…
最後の足掻きです。

スケジュール

少し(だいぶ)長いけれど、読んでください。

初日20日の日曜日は西河原公民館3階の多目的ホールにて。
この日のテーマは「夏休みの一日」です。

最初のプログラム(10時~)は「あの、夏の日 とんでろじいちゃん」、大林宣彦監督の作品です。尾道シリーズ全6作品の最後、大林監督は、この作品で初めて尾道弁を使いました。自前の字幕は、その尾道弁をそのまま文字起こししています。
「目に見えるもんが見えんで、見えんもんが見えることがある。どうしてじゃろうのう」
「橋が出来ると人は海を忘れる。海を忘れないためにも、橋に感謝することを忘れないためにも、元気な者は、島まで泳いで渡らなければならん」

なんとも今回の映画祭を暗示するようなセリフです。
おじいちゃんは最後に「お前に孫が出来たら話してやるんだぞ」という。なぜ子どもではなくて孫なのか、そもこともずっと僕の頭の中に残っています。
最後に、この映画に向けた大林監督のメッセージをご紹介します。
「20世紀を生きたおじいちゃんと、21世紀を生きるこどもたちに、この映画を捧げる」
是非、ご家族でお越しください。そして夏休みの一日、いつまでも心に残る思い出を作ってください。
なお、この作品は、23日(水)に喜多見駅徒歩6分、甘味処わらびーでも上映されます。
わらびーは訪問介護の会社が、誰でも集まれる場所を作りたいとはじめられたお店です。車椅子の受け入れOK、トイレも大丈夫です。車椅子が上がれないM.A.P.にとって、今後わらびーさんとは、是非お付き合いをさせて頂きたいと思っています。
皆さんのお越しをお待ちしています。

20日(日)夏休みがテーマその2。
特別企画“夏休み こどももおとなもみんなで食堂”!
「あの、夏の日 とんでろじいちゃん」(12時過ぎ終了予定)と、18時からの「二十四時間の情事」の間に同会場で開催されます。
この企画は入場無料です。
どうしてこんな企画が立ち上がったのか、要するに、上映可能なちょうどいい夏休みの映画が見つからなかったのですが、でもせっかくだから何かをと、最近狛江で始まったいくつかの「食堂」(…といっても通常の飲食店ではなく、ここから先がなんとも説明しにくいのですが、参加してくださる団体さんが作ったチラシによると「食堂系ボランティア団体」)に、何かおやりになりませんかとお声を掛けたら、たくさん集まってくださいました。
「月末食堂」
「ごはん+居場所 おかえり」
「みんなの居場所」
「こどもの多摩里食堂」(有志)

そしてそれらの団体さんのいくつかに食品を提供されている「フードバンク狛江」さん。
当然、老舗の「狛江子ども食堂」さんにも声を掛けました。でもさすがにNPO、すでにこの時期たくさんの活動されていらっしゃり、また、理事会等にはからなければいけないとのことで、今回は残念ながら参加は叶いませんでしたが、応援してくださっています。
映画を見た後(見なくても)、おいしい「天ぷらそうめん」やクレープが食べられるらしい。子供は無料、大人は実費程度とのことです。
そして会場では、いくつかの楽しそうなパフォーマンスがあります。
その中で、大道芸をやってくださる星野りゅーたさんをご紹介します。りゅーたさんは、​幼少期から音のない世界で健常者と共に育ち、補聴器から入るかすかな音と口の動きを読み取る読唇術でコミュニケーションをとるという方です。
今回の映画祭は、なんだかんだ聴覚障がいに関わることがいっぱいあります。しかし、だからりゅーたさんのような方を選んでお願いしたというワケではありません。それはほんとに偶然の出会いなのです。なんだかとっても不思議なんだなあ。
そういうわけで、色々満載の“みんなで食堂”、映画祭のスタッフもとても楽しみにしているのです。
ちなみに、会場では食堂スタッフ一同、首から筆談ボードをぶら下げて、耳の聴こえない方にも一生懸命対応しようと思っています。またそれでは対処できない場合、手話通訳の出来る頼もしい方が映画祭の実行委員におりますので、いつでも飛んでいきます。
そんなわけで、映画を見た後や見る前に(見なくても)、どうぞお気軽に遊びに来てくださいね。

“夏休みの一日”最後のプログラムは18時スタートです。
邦題「二十四時間の情事」、いったいどうしてこんな題名にしたのでしょう。きっとずいぶん勘違いして映画を見に来た人たちがいたんじゃないかなあ。
原題は“Hiroshima mon amour”です。なので多くの日本の方々は「ヒロシマわが愛」とこの映画を呼びますが、今回その名前で告知しようと思ったら、配給会社からストップがかかりました。あくまでも正式な邦題は「二十四時間の情事」なのだそうです。
個人的な話なのですが、ホントに懐かしい映画。ずっと「好きな映画だよ」と誰彼に伝えていたのですが、今回30数年ぶりにあらためて見て、ふーん、こんな映画だったっけなあという感慨がありました。
ウチの映画祭でも上映した日本映画「ヒロシマ」の映像が使われています。当時、そんなこと気にしていなかった。
映画の冒頭で、こんなセリフが語られます。
女「私は広島を見た」
男「君はなにも見ていない」

もしかすると僕も、当時見たのだけれど、しかし実は何ひとつこの映画の本質など見えていなかったのではないかと思うのです。
きっと昔見たという方もたくさんいらっしゃるに違いありません。どうですか、今一度、この懐かしき名作を見て、過去を確かめてごらんになりませんか?
この作品は、26日(土)の14時半から、M.A.P.でも上映します。こちらでは、お酒でも飲みながら、いかがですか?
因みに、この作品は基本フランス語の映画なので、字幕付きです。文字起こししたのは、殆ど、ラストの日本のおばあさんと男の会話だけでした。

初日から二日の間をおいて、23日(水)が2日目です。

2日目の10時半から「FAKE」
私事ですが、この映画の主人公である佐村河内氏のゴーストライター新垣氏、その師匠である中川俊郎氏は知り合いです。実はその中川氏に、「FAKE」の上映会でゲストに来てもらおうかと思って打診をしました。答えは、もし新垣氏が弟子でなかったら、面白いねと参加したかもしれない。しかしやはりこのナイーブな問題を、弟子の新垣氏が日本の音楽界にとって貴重な宝であると信じるがゆえに、気軽に話すワケにはいかないのですと、丁重に断られました。
そのかわり中川氏は、新垣くんの事務​所からこの映画に対する公式な見解が出ているよと教えてくれました。
映画「FAKE」に関する新垣隆所属事務​所の見解
 ⇒http://www.takashi-niigaki.com/news/576
いずれにしろ、ウチの映画祭は、どんなドキュメンタリーでも盲目的にその作品の「真実」に加担することはありません。それこそ我が映画祭の重要なポリシーです。
上映後、いくつかのことをお話したい「ネタ」があるのですが、もし聴覚障がいの方が来られた時、この日も、二回目の上映の8月25日(金)の19時にも、手話通訳をお願いする方が見つかっていません。どちらも会場はM.A.P.です。
なんとか筆談等で対応しようとは思っているのですが…
もしボランティアで手話通訳をお願いできる方がいたら、是非ご紹介ください。

14時からは「天皇と軍隊」です。そしてこの作品は、最終日(27日)の最終プログラム(18時から)でもあります。〆は、元一水会最高顧問の鈴木邦男氏のトークです。
鈴木氏はこの映画にも出演されているのですが、以下のようなにコメントされています。
「1970年当時は愛国心だとか憲法改正とか天皇の問題とかそういうことを語るのは少数派でした。現実問題として三島由紀夫さんは、憲法改正を訴えるために死んだわけですから。憲法改正ということは、タブーだったし言えなかった、ですから命を懸けて言わなければならないテーマだった」
右翼とか左翼とか、そんな分け方は、世界が単純だった冷戦時代ならば有効だったのかもしれませんが、もうそんな時代ではなくなりました。にもかかわらず、いまだ右翼っぽい人がいたり、左翼っぽい人がいたりする。その左翼っぽい人たちは、天皇制について云々するのは今だにタブーだと言います。天皇制反対などと言おうものなら、右翼が街宣車でやってくると憤ります。でも、鈴木さんに言わせれば、憲法改正を主張することもタブーだったということになる。その原因は、左翼っぽい人たちの「憲法改正絶対反対」という原理主義ではなかったのか、そしてそれは今も続いているのではありませんか?それは「天皇制を議論することのタブー」と、どこが違うのだろうか…
…なんてね、こんなことをこうして語ってしまう僕は、もしかすると右翼っぽい人なのかもしれない。なんだか危ないなあ、大江健三郎の「政治少年死す」みたいだ。
でも、こんな映画祭を主催している僕のことを、ありゃ左翼だとレッテルを貼っている人がいっぱいいるはずです。
つまり、申し上げたいことは、世界はさほどに単純ではないのだということです。どうでしょうか、右も左も前も後ろも、みんな同じ地平に立って、この複雑な現代と、それに続く未来の在り方について、一緒に考えてみませんか、色々と。

2日目の19時は“わらびー”にて「あの、夏の日 とんでろじいちゃん」(前掲)

三日目24日(木)は一日中央公民館での開催です。

10時から「第九条」です。
実はこの映画、ある友人から是非とも若い人たちに見てもらいたいから映画祭でやってくれないかと頼まれた作品なのです。でも新しい映画でもあるし、ちょっと難しいと思うよと伝えました。
「監督の名前も正樹だから大丈夫だと思う」とか言われて、じゃあまあダメ元で、と聞いてみたのです。そしたらトントンと話が進み、上映できることになりました。
しかしねえ、「若者に見せたい」ねえ、そこがなかなか難しい。今の若者は忙しい。それから、お金もあんまり持っていないみたいで、アルバイト、大変そうです。
どうしてなんだろう、僕だって学生時代はアルバイトしていたし、でも一日中北海道の草っぱらに横になって空を見ていたり、けっこうヒマだったような気がする。
というわけで、この日の上映以外に、何とか一番集客できそうな枠、26日の土曜日ラストの上映を決めました。終わってからも話す時間があるように、18時というちょっと早めの時間設定。会場はM.A.P.です。でも、今のところ若者からの反応はありません。
話を戻しましょう。この映画をやりたいと言った友人が車椅子ユーザー。なので、一回目の上映を、車椅子受け入れOKの狛江市中央公民館の日にしたのです。
ところが…
友人に怒られました。
「そんな早い時間に行けるか!」
そうか、朝の人の多い時間、世田谷線に乗って、小田急線に乗って、10時なんて時間に到着するなんて、命懸けだって。いやいや気がつかなかった。初日、夏休み企画に拘らなければ、そこで出来たのだけれど後の祭り。ひとつひとつ勉強です。
「あれ、だけどさあ、●●さん、あなた映画もう見たんでしょ、だから見なくてもいいんじゃない? 上映が終わった頃に来て、話し合いに参加すればいいんじゃないの?」
「あ、ホントだ、目からウロコ」

というわけで一件落着。
でもねえ、若い人たちに見せたかったんだよねえ。若者、来るのかなあ…
この映画、「天皇と軍隊」と較べると、ある意味ものすごく分かりやすい。というか、憲法第九条改正の賛成派と反対派との、今でもホントにありそうな議論を、若い俳優たちが再現しています。あらためて憲法第九条を理解するには絶好の作品です。その意味ではホントに若者にお勧めです。
また、少しでも「九条」について考えたことのある人ならば、きっと自分の意見に近い登場人物が発見できるはずです。
敢えて言うとね、ちょっとステレオタイプで、少し浅い議論だなということ。そのことを、冷静に認識してみるのも面白いと思う。たぶん、この議論では出口は見つからない。その意味では、若い人だけではなく、ずっと「運動」をやって来た方々にも見て欲しいと僕は思います。
そしてできることなら、「天皇と軍隊」と、併せて見るのがすごく面白いのではないか、そう思うのです。
ああ、しかし、「天皇と軍隊」の上映会場は、二日とも車椅子に対応していないM.A.P.だ、また●●さんに怒られるよう…
なお、24日は、手話通訳の出来る実行委員さんがいらっしゃます。ああ、なかなか「みんなで」を実現するのは難しいです。忸怩たる思い。

13時からはいよいよ「フリークス」です。
佐村河内氏を追った「FAKE」が、他者から最も分かりにくい「障がい」を扱った映画であることに対して、この「フリークス」は、敢えて言えば最も分かりやすい障がいを持った人々の話です。
「FAKE」のポスターでは、「ドキュメンタリー」という言葉と、「出演」という言葉が、意味深に強調されて並べられています。
一方、この「フリークス」は、当時のサーカスや見世物小屋のスターたちが文字通り演技をしているわけですが、その「異形」の姿は、まさに真実、ドキュメントなのです。
今の日本、外形からはっきりと障がいと分かる人たちを差別してはいけないというモラルは、少なくともルールとしては共有されてきました。しかし、分かりにくい障がいに対する理解は、はたしてどれほど進んでいるのでしょうか。そんな意味でも、「フリークス」と「FAKE」も併せてみていただきたい作品です。
《フリークスに出演しているスターたち》
ハンス(小人症):ハリー・アールス
フリーダ(小人症):デイジー・アールス
ロスコー(吃音症):ロスコー・エイツ
シャム双生児:デイジー&ヴァイオレット・ヒルトン
骨人間(るいそう):ピーター・ロビンソン
ひげの濃い女性:オルガ・ロデリック
半陰陽者:ジョセフィーヌ・ジョセフ
クー・クー(ゼッケル症候群):クー・クー
ジップ(小頭症):エルヴァイラ・スノー
ピップ(小頭症):ジェニー・リー・スノー
シュリッツ(小頭症):シュリッツ
ハーフボーイ(下半身欠損):ジョニー・エック
腕の無い女性:フランシス・オコナー
生けるトルソー(手足欠損):プリンス・ランディアン
アンジェロ(小人症):アンジェロ・ロシェット
鳥女:エリザベス・グリーン

このスターたちの連名は見て、ボクは何故か、津久井やまゆり園の被害者たちのお名前が公表されないこととを思い出しました。
以下、ブログの告知文から転載します。
「この映画を上映プログラムのひとつに選んでいいのかどうか、実はかなり悩んで、色々な人に相談しました。障がいを持った人たちの中には、嫌悪感を抱く方々もいるだろうという話も伺いました。
しかし、ボクはこの映画を見終わった時、フリークスのスターたちが親しい友達のように私の心の中に残っていることに気付きました。上映して構わない、いや上映すべきだと、その時、思ったのです」


16時からは、今井ミカ監督の作品を上映します。
ようやく本日、ブログの告知記事が決定稿になりました。
当初予定していた「あだ名ゲーム」「食べる。」に加えて、「100ページ目の告白」という作品も上映することになりました。
<あらすじ>
ろう者の悠斗は、初めての聴者の恋人・結美とのコミュニケーションに悩んでいた。一方、結美は筆談で充分だと思い、手話の必要性を感じてはいなかった。ある日、悠斗の家に泊まった結美は、彼の寝言ならぬ「寝手話」を目撃する。「手話で話がしたい」……。
ろう者が常に感じる、聴者とのコミュニケーションの難しさを、自身もろう者である今井ミカが真撃に向き合った力作。

今回、手話通訳について、色々と悩みました。
これまでの経緯をブログに別途記事にして報告しました。そこから抜粋してここに転載します。
ひと口に手話と言っても、日本の手話には日本語と同様に様々な方言があります。そのことは前から知っていました。しかしそれとは別に、元々ろうの方々のコミュニティーの中で生まれ、日本語とは全く違う文法体型をもった「日本手話」というものがあり、それは我々がよく知っている日本語の語順で手話単語を並べた(つまり日本語が出来る人たちにとってわかりやすい)手話を「日本語対応手話」とは別物だということを、今回初めて知りました。
今井ミカ監督にとっての第一言語は、日本語ではなく「日本手話」なのです。「日本語対応手話」(イコール「日本語」ということですが)もお出来になりますが、苦手だと伺いました。だから、自らの思いをきちんと伝えるためには、やはりトークは「日本手話」で話したい、そんな思いがおありなる。当然のことですし、真摯に上映会のことを考えてくださっているわけですから、有り難いことです。
(中略)
(手話通訳について)切実な問題として、お金のことがあります。ただ、トークの時間だけお願いするなら捻出できないという金額ではありません。でもそのためには、上映が終わった頃においでくださいということになる。確かに、通訳の方のことを、情報保障するための道具だと割り切ればいいのかもしれない。そしてむしろ手話通訳の方々は、プロとしてそれこそを望んでいらっしゃるのかもしれません。お客様の中に、手話通訳が必要とされている方がいてもいなくても、プロの仕事として通訳をして帰る。
でも、我々はそこでハタと立ち止まってしまうのです。
たとえ聴覚障がい者がいなくても、こうした催しには必ず手話通訳をつけるということの社会的な意義も十分理解しているつもりです。それでも考えてしまう。それは、20人そこそこしか集まらないけれど、それだからこそ存在するこの映画祭のアイデンティティと深く関わる問題なのです。そしてそれについては、いずれきちんとお話しなければならないと思っています。
(中略)
今井監督から「100ページ目の告白」が送られてきて、それを拝見しました。拝見して、なるほど、この作品こそ、今井ミカさんが我々に伝えたかったメッセージなのだと得心したのです。
ここ数年、ずっと聴覚障害について考えてきました。そして、もし僕に身体がみっつくらいあれば、そのひとつは手話習得に充てたいと切実に思うようになりました。しかし残念ながら、僕にはあまり健康とはいえない不満足な体と、あまり性能の良くない頭、それぞれひとつずつしか持ち合わせがない。
ふと、沖縄出身の妻とホントにコミュニケーションを取るためには、ウチナーグチに対する理解こそが欠かせないものだったということを思い出したりもしています。

また「100ページ目の告白」について、Twitterで呟きました。それもここに転載しておきたいと思います。
「健常者」と「障がい者」の間にある障壁をどうに乗り越えるか、何も特別なことではなく、お互いに思いやる心があれば通じるのか。良き人は可能だというかもしれないが、しかし現実はそう簡単ではない。まずマジョリティとマイノリティの置かれた状況が、決定的に非対称だという認識が必要なのである。
だから成熟した社会は、考慮しなければならないのはマジョリティの側であるというルールを採択するのである。そのことがどれほど社会に浸透しているか、その程度がどれだけ成熟した社会であるかのバロメーターになる。
しかし今井ミカは「100ページ目の告白」に恋愛関係を持ちこむことによって、いったんは非対称の関係性を無化して見せるのだ。その時、耳の聴こえないひとりの男性と、彼を愛した「聞こえる女性」は対等となる。むしろ聾のコミュニティーに入り込んだ彼女の方が、マイノリティーとなる…
さて、ふたりの筆談ノートの100ページ目に書かれた告白とは。ふたりの(あるいは聴覚障がいを持つ今井監督の)選んだ「方法」はいかなるものだったのか。そこに貴方は、個人的な関係の普遍的な解決策を見出すのか、あるいはそこに限界を読み取ってしまうのか…
思索のための私的な【覚書】である。

今回の映画祭で、本プログラムは、皆様に最も見て頂きたいもののひとつになりました。
ぜひともたくさんの方々においでいただきたいと存じます。

19時からは瀬戸洋平さんとのコラボライブイベントです。
第一部は、狛江の篠笛奏者である瀬戸洋平さんと高山正樹の朗読のコラボ…
「耳なし芳一」の再々演。いわば聴く映画
【初演時のプログラムから抜粋して改稿】
我々の西洋的な自我は視覚に支えられています。しかしそれは、我々が視覚に縛られているかということでもあります。
そんな視覚から自由になるために、平家物語における「主語の揺らぎ」を参考にして、今回のテキストにも採用してみました。
目が見えないから見えるモノ。
目が見えるから見えないモノ。
目が見えるばかりに却って見えなくなってしまったモノを聞く為に耳を澄ましてみてください。
瀬戸さん曰く…
「盲学校では、健常者の世界で生きていくために、余計なモノを聞かない訓練をしてきた」
新しい発見を、瀬戸さんとボクは楽しんでいます。皆さんも一緒に楽しんでください。

第二部は狛江で初めての試みです。
「瀬戸さんと一緒に絵画鑑賞」
【ブログの告知記事から抜粋】
目の見えない瀬戸洋平さんと一緒に絵画を鑑賞するわけですから、瀬戸さんに絵画の説明をするのかと思いきや、ちょっと違うのです。
瀬戸さんはおっしゃいます。
「それでは面白くない。見える人が説明しなければならないと思ったら、それだけで疲れてしまうし、実はそういう説明は、目の見えない人にとってもあまり面白くない」
このイベントは、瀬戸さんが目の見える人たちに知りたいことを質問していくという形で進められます。どちらかがどちらかを楽しませるということではなく、目の見えない人も見える人も一緒に楽しむ。質問に答えてた人は、そのことによって絵画から呼び覚まされた自らの感覚を自覚的に認識し、またそれを聞いた人たちは、目の見える人も見えない人も、答えた人の感覚を共有することになります。なるほど、そういう見方もあるのか、なるほどそういう感情も沸き上がるのか、と。
「瀬戸さんと一緒に絵画鑑賞」は、自分と他者を発見する場となるに違いありません。
さて、どんな絵を準備しようかなあ。


25日(金)から、いよいよ後半戦に突入!

13時「日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男」
偏ってないかって?偏ってます。ものすごく。突き抜けて反対側から出てきてしまうほど。
映画の中で針生一郎氏が語る話は難解。しかし、すこぶる面白い、ボクは。それはきっと、大浦氏が映画監督である前に画家だからだとボクは思っています。大浦監督にとって重要なのは、針生一郎の言説ではなく針生一郎という存在なのではないか。
“大浦信行”と”遠近を抱えて”とを「画像」で検索してみてください。ね、偏ってるでしょ。
例えば富山県立近代美術館は、右翼団体や神社関係者から大浦信行作品とその図録の非公開、さらには焼却処分まで求められた、そんな作品です。
大浦監督はその頃、美術批評家である針生一郎氏と出会うワケです。
ともかく、ご興味のある方は是非ご自分で色々と調べてみてください。
え?なんでそんな偏ったものをやるのかって?いやいやだって面白いのです。「言説」ではなく「アート」として。針生氏は、美術批評の目で現代を解釈する必要性を説くのです。そうしなければ到達できないモノ。そこに、左も右もありません。
もうひとつ、24日以降の作品群、なんだか今年やっておかないと、来年できなくなって後悔するような気がしたのです。共謀罪?いえ違います。本来、思索とは実に複雑で晦渋なモノですが、そこに没頭するのに最低限必要な時間を、来年は捻出できないような気がしたのです。右だろうが左だろうが、短絡的で暴力的な時代になる前に、アートで遊びたかったのです。
「果たして、思索は映像化されうるのか…」
この映画のコピーです。
すいません、分かりにくくて。
続編が27日の13時30分から上映されます。都合のつく方は、是非そちらも併せてご覧いただきたいと思うのです。

16時からは「断食芸人」です。
監督は足立正生氏。ではブログの別途作品紹介記事にアップした足立監督のプロフィールの抜粋から。
【足立正生監督プロフィール抜粋】
日大芸術学部中退後、若松孝二の独立プロダクションに加わり、性と革命を主題にした前衛的なピンク映画の脚本を量産する。監督としても1966年に『堕胎』で商業デビュー。
1971年にカンヌ映画祭の帰路、故若松孝二監督とパレスチナへ渡り、パレスチナ解放人民戦線のゲリラ隊に加わり共闘しつつ、パレスチナゲリラの日常を描いた『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』を撮影・製作。1974年重信房子率いる日本赤軍に合流、国際指名手配される。1997年にはレバノン・ルミエ刑務所にて逮捕抑留。2000年3月刑期満了、身柄を日本へ強制送還。

『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』は最終日27日10時半から上映します。午前中から見る映画じゃないかも(笑)
「断食芸人」はそんな足立監督の最新作です。
こんな経歴の人間が撮った映画なんて…とか言わないこと。だって見てみたくありませんか?そういう好奇心こそが重要なのです。
「断食芸人」の出演者は…
山本浩司(断食男)
桜井大造(興行師)
流山児祥(呼び込み屋)
本多章一(監視人)
愛奏
伊藤弘子(女医)
井端珠里(若い女)
安部田宇観
和田周(老僧)
川本三吉(若い僧)
吉増剛造(吉増剛造氏)

流山児祥氏が現代版「人類館」の調教師と思しき役をやっているのも、個人的にはとてもくすぐられますが、なんたって桜井大造という名前が気になる。僕が最も好きだった、でも今はもうない劇団「風の旅団」の主宰者です。
9月14日(木)~18日(月・祝)まで、井の頭公園西園文化交流広場(ジブリ美術館となり)に特設テントを立てて、野戦之月というアマチュア劇団が公演するのですが、その座長が桜井大造氏で、ボクも案内を頂いていて、行くことにしています。
ウィキペディア【風の旅団】より
1989年の東京大学駒場寮公演で学生5名の逮捕者を出す刑事事件となったことをはじめ、多くの刑事事件に関わっている。関係者は「テーマとして、朝鮮、山谷寄せ場など政治的な問題を扱っていたため、国家権力からの弾圧も受けている」からだと考えている。
あらら、大丈夫かな、こんな映画祭やって(笑)
大丈夫です。皆さんはちゃんと自分の頭で考えていらっしゃるのだから、何を見たって洗脳なんか絶対にされません。
全然映画の説明じゃなくてごめんなさいでした。

25日最終19時は「FAKE」(前掲)の2回目の上映。

残るはふつか。26日の土曜日!
11時「フリークス」(前掲)は2回目の上映。
14時半の「二十四時間の情事」(前掲)も2回目の上映。
18時「第九条」(前掲)の“若者来たれ!”ということでやはり2回目の上映。

そして最終日27日の日曜日です。

10時半から「赤軍PFLP・世界戦争宣言」
少し真面目に。(今まで不真面目だったわけではありませんが…)
【ブログの告知記事より転載】(なんだ、真面目じゃなくて手抜きか?)
世界をパレスチナの視点で描く!
パレスチナ解放のために闘うアラブゲリラに迫った伝説のドキュメンタリー。劇場公開を拒否し、世界革命のためのニュース映像として、全国の大学や工場などで上映された。
…その当時、学生や労働者たちは、この映画をどのように受け止めて見ていたのだろうか。今も「労働運動」という形態は存在するわけで、そこに携わる人たちは、この映画を見てどう思うのだろう。今の彼らに世界革命闘争などと言ってみたところで、彼らの興味は、不当解雇の糾弾と賃上げの闘いにしかないように見える。
(平和運動?それは労働運動なの?) 
是非とも色々と聞いてみたいと思うのだが、果たしておいでくださるだろうか。まさかその代わりに右翼の街宣車がやって来るとは、もはや到底思えない。つまり、半世紀隔てた今、この映画の中で語られる言説には、それほどにもリアリティがないと、僕には感じられてしまうのである。なぜだろう、かつてあれほど近しかったのに。
字幕付きで見ることが出来るようにと、今、この僕が文字起こしをしているのだが、2分に1度くらい瞑目するので、遅々として進まないのである。
(文責:高山正樹)

ともかく最後の、元赤軍リーダー重信房子のインタヴューは必見なのです!
そして上映後には、足立正生監督のトークがあるのです!

13時30分からの「9.11-8.15 日本心中」、これが最後の紹介作品です。
できることならば前作である「日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男」と、元赤軍リーダー重信房子のインタヴューがある「赤軍PFLP・世界戦争宣言」を見ておくと、もっと楽しめるかもしれません。なにしろ、「9.11-8.15 日本心中」は、重信房子の娘、重信メイさんが海をみつめる姿で終わるのですから。
重信メイさんのことを、針生一郎氏は「事情は分かっていながら、あまり理屈を言わない」と評します。重信房子とパレスチナの闘士の間に生まれ、二十歳過ぎまで無国籍だった重信メイ、今住んでいる日本で、これから何をしていこうかと静かに語る彼女に、なぜか希望を感じるボク。もしかしたら、大浦信行監督と、美しい女性であるメイさんが仕組んだアートというフィクションに、ボクは、まんまとしてやられているのかもしれません。
そして映画祭2017のメインイベントが「鈴木邦男vs.足立正生のトーク」です。

そして興奮も冷めやらぬまま最終は18時から「天皇と軍隊」(前掲)二回目の上映です。
〆は鈴木邦男氏のトーク

連載エッセイ風の宣伝、最後までお付き合いくださり、心から感謝申し上げます。
集客にとても苦労しています。
是非とも映画祭にお越しくださいますよう。
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tag: 手話 

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