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シアタードーナツへ

新しい事業を始めたので、平日、狛江の事務所を何日も空けるわけにはいかない。宇夫方女史は朝の飛行機で帰った。

ボクは、真喜ちゃんに沖縄市に面白い人がいるという情報を貰ってさっそくやって来た。

シアタードーナツ1 シアタードーナッツ2

シアタードーナツ3

階段を上がっていくと、そこはカフェ兼待合室。手づくりドーナツがウリ。
だからシアタードーナツ。
上映中はお静かに。
シアタードーナツ4

まるでホームシアター。渋谷のアップリンクにも通じる。
シアタードーナツ5
寄せ集め(?)の椅子なのはウチと一緒。広いとソファーも置けるんだな。だけどそれはまだまだお客さんが少ないということでもある。大盛況の映画館になればこうはいかない。でも、そのほうがいいよね。だからこれは、今だけの光景なのかもしれない。

残念ながら、このシアターの主、真喜ちゃんに「会ったらいいさ」と言われていた宮島真一氏は出張で不在でした。
でも、スタッフの方とお話が出来た。

スタッフの方からこんなことを聞かれた。
「映画館の興行組合に加盟してらっしゃいますか」
「いえ、ウチは映画館ではないので。映画祭をやる度に、防火対象物一時使用届け(要するに建物の目的外使用の申請)を消防署に出しています」
「そうなんですね」
「だから、そもそも組合には入れない」
「加盟していないと、上映を断られる映画があるので」
上映映画を探すのに苦労していらっしゃるらしい。年に2回の映画祭をやるだけのウチだって大変なのだから、通年毎日3本程度の作品を上映しているシアタードーナツのその苦労は想像に難くない。ウチの場合、映画館ではないということが、逆に制約を免れているのかもしれない。
「ドキュメンタリー映画ばかりにしたくないので」
それは予期せぬ話の展開だった。ここへ来るまで、というか、昨日の夜はじめて真喜ちゃんに聞いてここを知ったのだし、沖縄の映画を、それもたぶんドキュメンタリー映画を中心に上映するところだと思っていたし、それですぐにここに飛んできたのである。事実ネットでは「シアタードーナツは県産品映画を上映するカフェシアター」というふうに紹介されている。沖縄を題材にした映画は数多くあれど、「県産品映画」と限定すれば、ガレッジセールのゴリさんの映画や(それも吉本興行だし)、高嶺剛や若い才能ある沖縄出身監督の作品などもあるが、きっと多くはドキュメンタリー映画にならざるを得ない。でも、当初のコンセプトはどうあれ、今のシアタードーナツは、決してそれでヨシとしているわけではないらしい。
ふと周りを見れば、「ET」や「ひまわり」といった映画のポスターが貼られていたりする。
12月に開催する「喜多見と狛江の小さな映画祭」のことだが、はじめて意識的に、できる限り劇映画をやろうと考えた。それは何故かということを、どうにかして伝えたい、このところとずっと考えているのだが、そのためには、「ドキュメンタリー映画を上映することイコール政治的プロパガンダと見做される」というあたりから話を始めなければならない。たとえそのドキュメンタリー映画が政治的プロパガンダとして制作されたのだとしても、それを上映するという営為は、必ずしも政治的プロパガンダではないということ。ドキュメンタリー映画もひとつのフィクションであるということ。また、娯楽のために作られた一本の劇映画が、観た人の人生を決めることだってあるということ、つまりその人の「政治的な立場」をも大いに左右する可能性だってあるのだということ。

「ウチが、比較的に劇場にかかった映画を上映することが出来るのは、狛江市に映画館がないかららしいのです。だから地域の興行を牛耳るプロの興行屋さんの影響がない」
「わかります。コザにもたくさんあった映画館が、今は全部なくなってしまいました。だからココを立ち上げることが出来た…」
つまり、映画館が無くならなければ、宮島氏は自前で映画館を運営することなどなかったということでもあるのだろうと思った。

東映、東宝、新東宝、大映といった配給会社の映画は、ウチで上映することは一切できない。それでも、日活さんなどは色々と考慮して下さってきたし、松竹さんは、無料上映会ならばDVDでの上映を(もちろん上映料を支払ってのことだが)許可してくれていた。大変感謝している。ところがそれもなかなか難しくなってきた。それは、ウチが認知されてきたからというより、フィルムセンターなどが出来てそこで素材が一括管理できるようになってきて、お金があれば別なのだろうけれど、ウチのような小さなところにとっては、なかなか厳しくなってきたのだ。(まさかジャスラックのようなことがなければいいが。ジャスラックがこのコザという街の文化を潰したというハナシを以前、記事に書いたことがある) この状況は、今後ますます進んでいくに違いない。狛江のようなπ(パイ)の少ない街で、劇映画をできるだけたくさん取り上げるという映画祭を、いったいこれから続けていくことができるのだろうか。同じ内容のイベントをもっと大きな町でやれば今の10倍のお客さんが来るとよく言われるのだが、それに対して「いやこの小さな街で、この街の人たちがやって来るような映画祭にしなければ意味がないのだ」と、果たしていつまで突っ張って叫んでいられるのだろうか。

ボクは俄然、宮島真一という人に興味が沸いてきた。今ボクが考え悩んでいることを、もっともよく理解してくれる人が、もしかするとココにいるのかもしれないと思ったのである。そこでボクは、宮島氏宛に手紙を書いてスタッフの方に託し、必ずまたこのシアタードーナツに来て、今度こそ宮島真一さんに会うと心に決めて、沖縄市唯一の、小さくて、だからこそ素敵な映画館を後にしたのである。
※以上、若干の脚色を交えて、その日のことを再構成してお伝えしました。フィクションも、また真実なのですからw

参考までに。
コザ最後の映画館は「コザ琉映館」、ウィキペディアにはこう書かれてある。
1960年(昭和35年)7月に設立。コザ市内としては最後に開館した映画館。開業当初は第二東映の専門館だったが、その後は各社の邦画を中心に上映。1970年代以降はピンク映画へとシフト。
2010年代に入り、映画業界は本格的なデジタルシネマ時代に突入。沖縄県内の既存映画館が相次いでデジタル上映へと移行していったが、コザ琉映は35mmフィルム映写機のみ設置しており、フィルム映画の上映に特化して営業していた。しかし開業から半世紀以上を経て老朽化が進んだこともあり、2016年(平成28年)7月31日をもって閉館。56年間営業を続けた当館の閉館により、沖縄市内の映画館はすべて姿を消すことになる。(一部省略)



会えなかった宮島真一さんとはこんな人。
表紙に宮島真一さん
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