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ふたりの企みに

自転車で上町へ。
とんでもなくたくさん抱えているのに、またひとつ、この二人の企みに乗っちまった。

企み

高橋美香と上田要。そしてまた喜多見にとんぼ返り。

《追伸》
そして原発対話の会の事務局の忘年会。

お開きの時間は午前2時過ぎ。
お二人様が事務所にお泊り。

もう寝ましょ

※次の日に呟いた呟きたち…

Hさんの話。東アジア反日武装戦線。天皇爆殺と賃下げ運動。行きつくところまで行った。そしてその論理的帰結に同意し満足した。しかし、それが同時にHさんの全共闘体験の終焉でもあった。到達点が、現実的には実現する可能性のないモノだったから。

僕は逆に、太田竜の「アイヌ論」周辺に対する嫌悪感から始まり、そこから遡行するようなかたちで全共闘に関する思索が始まったように記憶している。決定的な違いは、Hさんがまさに現在進行形の中にいた人で、対して僕が「遅れてきた青年」だったということ。

だからHさんは、例えば読み始めた「資本論」を途中で投げ出しても構わず、平気であった。しかし現実の場がない僕は、難行苦行、最後まで読了した。糸口は、書物にしかなかったのである。

僕にとって「資本論」がどのように今役立っているのか、心許ない。しかし精読し、ノートを取る、その膨大な時間の間に、獏と考え続けていたこそが重要だったという気がしてならない。例えば「賃下げ」という論理的帰結に対する僕の得心は、あの時間なしにはあり得なかったはずなのだ。

そこから、例えば現代の格差や貧困の問題、さらには障がい者の問題を考える時、巷で当然の如く喧伝される知識人たちの言説とは少しく違う地平で思索したがっている自分を発見するのである。


今、思うことがある。アイヌの具体的な問題を抱えていた僕は、太田竜に対する嫌悪感によって、東アジア反日武装戦線のような考え方にはまることもなかったのだが、もしあの頃の問題意識が「アイヌ」ではなく「パレスチナ」にあったら、違う思索の道程があったのだろうかと、今さら考えても仕方のないことを考えているのである。
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tag: 高橋美香  上田要  アイヌ 

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