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重苦しい…

午後一、芸能花伝舎へ。
次の日に呟いたこと。


冨田さんには深く感謝している。昨年までは他にも理解者がいてくれたのだが、聞けばSさんが降りたのも病気の所為ではなかったようだ。そりゃそうだ、まともな感覚を持っているなら、あの似非共産主義独裁者に嫌気して辞めるだろう。それに対峙する意欲が消えたらとっととやめた方がいい。

昨年の本番の日、下の階に山城ヒロジさんが来ていた。そのことを、僕の持ち時間の中で触れただけで、そういう運動家の名前を出すとカタカナの「オキナワ」を感じるとかいう人。しかし、実はしたり顔で批判する貴方こそ、山城ヒロジとカタカナの「オキナワ」を安易に結びつけてしまっている張本人、惨めなほどに薄っぺらいということに気がづいていらっしゃらない。

うちなーぐちの物語をそのままやっては伝わらない、どのようにそれを伝えるか、それを考える僕に、「伝わらないことをネタにするのは弁解しているように聞こえる、言葉がわからなくても伝えることはできるはず」という大先輩の女優さん。演劇論としてはよく分かる。しかし、それこそが沖縄と大和の絶望的な関係を表していると僕は思う。伝わらないのは沖縄側の所為だと言っているのは僕なのか、あるいは貴方なのか、それを問うことの重要性に気がついていない。

強いが、しかし漠然とした怒りや悲しさの感情がはっきり伝わればいいという演劇の偽善。それでは状況は絶対に変わらない。持ち時間の中の、それがたとえ弁解だとしても、こと沖縄の問題に限って言えば、その弁解も含めて挑発的な表現だと信じる。本当ならば、挑発的で気分の悪くなる異物としての言葉=うちなーぐちを、のほほんとした「方言」を朗読する舞台に乗せていいのかどうか、仲間として受け入れるということの意味について、徹底的に話し合うべきなのだが、それが出来ない場なのである。だからもはやなんの未練もない。あえて言う。共産党員だろうが左翼劇団だろうが、今のようなあなた方は、全く沖縄を上から眺めている大和人である。

今度の日曜日、東中野のポレポレにて、僕が挑発し、非難し、喧嘩を売るのは、観客であるよりもむしろ、きっと他の出演者なのかもしれない。「それって役者としてどうなのか」という声が聞こえてくる。だが今まで3回、高山正樹の「沖縄」があったから面白かったという観客の方々がいらっしゃったことに、僕は支えられているのだ。

夜は喜多見と狛江の小さな映画祭の試写会。
HIROSHIMA

そうだ、告知もしておこう。その義務はないとしても。
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tag: 冨田祐一 

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