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アイヌについての長い長い覚書

gajumui

「コタン虐殺」についての覚書(1)芝居の主旋律は1669年の「シャクシャインの戦い」で、アイヌ対和人の大きなみっつの戦いのうちのひとつ。あとふたつは「コシャマインの戦い(1457)」と「クナシリ・メナシの戦い(1789)」、でもラジオでは、それよりずっと前の、内地のまつろわぬ民の話も紹介した…
02-12 22:51

「コタン虐殺」についての覚書(2)「アザマロの反乱」(宮城築館780年)「アテルイの戦い」(水沢市789年)桓武天皇に仕えた征夷大将軍、坂上田村麻呂のこと。あ、この人は権力側の人ですよ。(アイヌ民族抵抗史)対する"まつろわぬ人々"、晩年の宮澤賢治とアイヌのこと。 https://t.co/dB6gisT0gS
02-13 20:18

「コタン虐殺」についての覚書(補足)ラジオでは語らなかったが…宮澤賢治の「原体剣舞連」について、例えば吉本隆明は、東北が蝦夷地と言われていた頃の東北との関連を指摘している。dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
02-13 20:54

2009年10月、ふじたあさや作・演出の舞台、僕と宇夫方女史の二人芝居で、剣舞(“けんばい”と読む)を踊ったっけ。賢治がもっと長生きしていたら、国柱会とアイヌの葛藤から、どんな世界を構築しただろうか。【無伴奏デクノボー奏鳴曲 2日目】https://t.co/5XbwKXgekT
02-13 21:01

「コタン虐殺」についての覚書(補足2)新谷行『アイヌ民族抵抗史』より「天皇国家はアザマロ、アテルイの頑強な抗戦に苦しみ、アイヌモシリまでは手が届かなかった。(中略)だが、奥州藤原氏の滅亡(1189年)以降、アイヌモシリにもようやく和人の手がかかりはじめる」
02-13 21:16

「コタン虐殺」についての覚書(補足2-2)北海道に数多く残る義経伝説。新井白石も、義経は衣川館では死なず蝦夷地へ逃れたのだと説く。源義経と為朝に関する史料は少ない。次回のラジオの話題だが、義経は北海道へ、為朝は沖縄へと逃れた、そんな「英雄伝説」から見えるコト、次回のお楽しみ。
02-13 21:37

「コタン虐殺」についての覚書(3)「アイヌ」とは人間という意味。だからアイヌ民族って人間民族。なんか変だよね、みたいなセリフがあった。アイヌモシリで自足していたアイヌが和人という他者と出会いアイデンティティを確立していく…12年前に書いたブログ。https://t.co/aiPwby8chy
02-13 23:26

「コタン虐殺」についての覚書(4)どんな発端でアイヌと和人の戦いが始まったのか。パンフレットにはこう書いてある。「倭人ちょっとズルくね?ってのが原因」確かにどの戦いもそうだった。でもアイヌは強かった。その強いアイヌがなぜ負けたのか、それもやっぱり「倭人のズルさ」だった。
02-14 00:19

「コタン虐殺」についての覚書(5)昭和11年、鶴田知也の「コシャマイン記」が第三回芥川賞を受賞。当時、コシャマインの戦いの資料は殆どなく、鶴田氏の想像力に負う部分の大きい作品で、主人公コシャマインは、実在したコシャマインとは全く違う人物である。(続く https://t.co/kCuThl3Vx9
02-14 15:48

「コタン虐殺」についての覚書(補足3)「コシャマイン記」は次のように始まる。「勇猛で聞こえたセタナの酋長タナケシが、六つの部落を率いて蜂起した時、日本の大将カキザキ・ヨシヒロは佯(偽)りの降伏によってタナケシをその館に招き入れ、大いに酔わしめて之を殺した」…(続く
02-14 16:05

「コタン虐殺」についての覚書(補足3-2)酋長タナケシの蜂起は1529年のこと。鶴田のコシャマインはこのタケナシの後裔として設定されているが、コシャマインの戦いは1454年、つまり史実とは順序が逆なのだが、その鶴田が描いた架空のコシャマインが、今、僕の想像力を掻き立てている…(続く
02-14 16:29

「コタン虐殺」についての覚書(補足3-3)流山児★事務所の「コタン虐殺」では、和人の策略によってシャクシャインと分断させられる酋長オニビシが、いわば和人と手を結ぶヘタレアイヌとして登場するのだが、鶴田のコシャマインは、そのオニビシ側の人間としてシャクシャインと戦うのである…(続く
02-14 16:43

「コタン虐殺」についての覚書(補足3-4)弁証法的にいうのなら、鶴田のコシャマインは、シャクシャインが即自的なアイヌであるのに対し、和人と対話を試みる対自的な存在である。しかし結局、酔わされて和人に撲殺される。「コタン虐殺」の作者、詩森ろばさんに、このあたり聞いてみたいのだが。
02-14 16:57

「コタン虐殺」についての覚書(補足3-5)「コシャマイン記」はプロレタリア文学であった。プロレタリア文学で芥川賞を取った唯一の作品だとか。だが鶴田知也自身、社会主義文学がリアリズムでなければならぬとすれば、この作品は違うと述べている。以後、鶴田は農民文学作家へと転向するのである。
02-14 17:31

「コタン虐殺」についての覚書(6)日本では、応仁の乱が戦国時代の始まり。コシャマインの戦いは応仁の乱の10年前の出来事。函館の鍛冶屋がアイヌを殺害したことをきっかけに起きるのだが、北海道でも、それまで何とか住み分けしていたアイヌと和人の戦いの時代に突入する。松前藩の成立もその頃。
02-14 17:40

「コタン虐殺」についての覚書(7)コシャマインの戦いからタナケシの蜂起(1529)、タリコナの蜂起(1536)を経て、いよいよ1669年にシャクシャインの戦いが起こる。島原の乱にも匹敵する事件なのに、コシャマインの戦い同様、知っている日本人はほとんどいない。沖縄史も然り。歴史なんてそんなもの。
02-14 17:57

「コタン虐殺」についての覚書(8)結局シャクシャインも、和人の偽りの和平会議の席で、謀られて毒殺される。ちょっと寄り道。昔一緒に芝居をしていた女優さんが、家の事情で故郷の北海道に帰った。でも地元で芝居を続け、そこで出演した芝居が評判になり、東京で公演するというので観に行った…
02-14 19:26

「コタン虐殺」についての覚書(9)その芝居もシャクシャインの史実を扱った作品だった。そのラストシーン、和平会議に出向こうとするシャクシャインに、村の者たちは、シャモのことだ、策謀があるに違いないから行ってはならぬと進言する。それに対してシャクシャインは決然と言い放った…(続く
02-14 19:46

「コタン虐殺」についての覚書(10)「お前たちの言う通りかもしれない。しかしそうした疑念を抱いて和平に赴かず生き延びるより、シサムとの対話を信じる道を選ぶことこそ、たとえそれで騙され殺されたとしても、わが子たちに何より大切なアイヌの生き方とその誇りを伝えることができるだろう」
02-15 11:06

「コタン虐殺」についての覚書(補足4)2008年9月に書いたブログ。「アイヌ」のことhttps://t.co/wB6WhkmHAE
02-15 11:26



ずいぶんと間を開けてしまったが…「コタン虐殺」についての覚書(11)流山児事務所の「コタン虐殺」で描かれる「シャクシャインの戦い」の結末も、20数年前に見た芝居と同様であった。つまりそれが歴史の定説なのだろう。しかし「コタン虐殺」にはもう一筋、1974年の白老町長襲撃事件の話が絡む。
02-22 23:30

「コタン虐殺」についての覚書(12)1974年の話の前に。「科学を相対化する力」のこと。コロナの話ではない。ちょっと戻って、鶴田知也の「コシャマイン記」のこと。プロレタリア文学者だった鶴田知也は、「『コシャマイン記』あれこれ」という自作を語った文章の中で、次のように書いている…
02-22 23:49

「コタン虐殺」についての覚書(13)「私の同志の間では、はなはだ不評判だった。それというのも、社会主義文学はリアリズムでなければならぬという、偏狭な教条主義のためだった」「この作品は、偏狭ではないリアリズム」「私のコシャマインはまったく私の空想の生み出した人物である」
02-22 23:58

「コタン虐殺」についての覚書(14)白老町は「アイヌ」を観光の目玉としていた。それに対し、一人の男が「アイヌを観光の道具に使っている」と抗議、「死刑執行する」として、1974年3月9日、町長室に乱入、浅利町長の首を刺した。幸い村長の命に別状はなかったが、これが白老町長襲撃事件である。
02-23 12:55

「コタン虐殺」についての覚書(15)「コタン虐殺」の主旋律「シャクシャインの戦い」に、白老町長襲撃事件のベース音が重なっていく。というより、刑事が町長を刺した犯人を取り調べる部屋の背景に、シャクシャインの歴史が映し出されるというべきか。その前で、犯人は言う。「俺はアイヌだ」
02-23 23:15

「コタン虐殺」についての覚書(16)Wikipediaによると、白老町長襲撃事件の犯人は「特定の党派に属さないノンセクト・ラジカルであった」とある。ノンセクト・ラジカルとは全共闘以降に成立したセクトに属さない活動家やグループ。日本共産党と民青を批判する点は新左翼のセクトと変わりはない。
02-23 23:44

「コタン虐殺」についての覚書(17)Wikipediaの記述は続く。犯人は「やがてアイヌ革命論に感化され、事件を起こすこととなった」と。その「アイヌ革命論」を広めたのが「コタン虐殺」の台詞にも名前が出てくる太田竜。40年も前に読んだ本を探し出し、それをまた今、拾い読みしているのだが。 https://t.co/NQDAJBywPa
02-24 10:50

「コタン虐殺」についての覚書(補足4-1)従来のマルクス主義は、革命の主体は「労働者階級」であると考えた。さらに下の階級は極貧すぎてその日暮らしが精一杯であり、革命に対する意欲が薄く、むしろ反革命の温床となるとして、最下層の階級を「ルンペンプロレタリアート」と名付けて軽視した…
02-24 11:27

「コタン虐殺」についての覚書(補足4-1-a)ひと月後に結婚という時期に、なぜか「資本論」を再読を始めた僕。そんな時に書き留めたノート。僕の裏ブログ。《1987年7月9日のノート》https://t.co/fSXmBCDXt3
02-24 11:32

「コタン虐殺」についての覚書(補足4-1-b)結婚すると、毎日働きに出る「妻」と、舞台のある時だけ出掛ける「夫」は、日々洗濯しながらつらつら考えていたのである。《1989年1月4日のノート》https://t.co/t5vu4rqxzZ
02-24 11:38

「コタン虐殺」についての覚書(補足4-2)しかし、ミハイル・バクーニンなど、一部の無政府主義者はルンペンプロレタリアートを評価した。日本でいえば「世界革命浪人」を名乗る竹中労、平岡正明、そして太田竜。彼らは、新たに「窮民革命論」を唱えて注目を浴びる…
02-24 11:49

「コタン虐殺」についての覚書(補足4-3)Wikipedia"窮民革命論"より「一般の労働者は高度経済成長によって豊かな生活が享受できるようになったことで革命への意欲を失っており、革命の主体にはなりえない。疎外された窮民(ルンペンプロレタリアート)こそが革命の主体となりえる」
02-24 12:00

「コタン虐殺」についての覚書(補足4-4)竹中・平岡・太田らは、日本において、アイヌ、日雇い労働者、在日コリアン、部落民、そして沖縄人(ウチナーンチュ)などが「窮民」であるとした。太田竜の「アイヌ革命論」は、つまりこの窮民革命論の亜種なのである。
02-24 12:18

「コタン虐殺」についての覚書(補足4-4-a)事務所の書棚にある竹中労の「琉球共和国」はチョンダラーの話から始まる。先日「主権者~」のイベントで泉龍寺の東堂さんにお話しいただいたのも、能楽師の中村さんをコマラジのゲストに呼ぶのも無関係ではないのだが、それはまた別の長い話になる。 https://t.co/FTTSAwCnEd
02-24 12:52

「コタン虐殺」についての覚書(18)話を戻そう。僕は「アイヌ革命論」にマルクスや共産革命の文脈からたどり着いたのではなかった。ただただアイヌの現実を知って、貪るように読み漁ったアイヌ関係本の中の一冊であった。そして、太田竜という人物を「アイヌ」だと信じて疑わなかった。
02-24 13:16

「コタン虐殺」についての覚書(19)アイヌ・太田竜の言葉のいちいちに、当時の僕は動揺していたと記憶する。動揺しながらも、どれほどアイヌを理解し寄り添っても、倭人であることをやめることができない俺は、いったいどうすればいいのか、決して大げさではなく、一種の絶望を味わった。
02-24 13:41

「コタン虐殺」についての覚書(20)しかし太田竜はアイヌではなかった。それを知って読み返せば、確かに自らをアイヌだとか大和民族ではないとか、そんな記述は一切ない。しかし、太田自身が糾弾する倭人の罪から、彼は完全に逃れていた。太田竜とは何者なのか。以来、太田竜は嫌悪の対象となった。
02-24 13:57

先週の20日と今日、在日コリアン三世の姜龍一(Yong Il Kang カンヨンイル)君が事務所にやって気来た。昔、一日中、友とこんな話ばかりしていたような気がする。Lisaとか龍一とか、若い彼らが俺を活性化する。まだ俺の人生も捨てたもんじゃない。おかげで「アイヌ」の報告が中断しちまったが。 https://t.co/dMZsfGwZOT
02-24 16:37

「コタン虐殺」についての覚書(補足5)太田竜は「革命の原点・アイヌ」の中で竹中労と平岡正明を「いかなる根拠と思想をもって『ゲバリスタ(世界革命浪人)』と自称するのか」と批判する。平岡に対してはまず吉本隆明を切れと。竹中にはアナーキストはゲバリスタとは相容れないと。
02-24 23:48

「コタン虐殺」についての覚書(21)舞台の話、白老町長襲撃事件の犯人は取り調べる刑事の尋問によって、非アイヌ民族であることが明らかになっていく。実際の犯人も、アイヌではなく和人であったという。だが、いくら調べても、ネットでは犯人についてそれ以上の詳しい情報が出てこない。
02-25 00:15

「コタン虐殺」についての覚書(22)僕の知る限り、白老町長襲撃事件について最も詳しい本は、橋根直彦の「我れアイヌ、自然に起つ」である。その中で、この事件を報じた1974年の北海道新聞が紹介され、その3月11日付の記事に犯人の名前があった。実際の記事には、顔写真も掲載されていたらしい… https://t.co/wyK9LyW2yj
02-25 01:36

「コタン虐殺」についての覚書(補足6-1)新聞に掲載された実名で再度検索してみた。しかしそれらしい記事は何も出てこない。いったい何故なのか。あれこれ探っていると、この犯人と太田竜の間にもうひとり、白老町長襲撃事件の首謀者がいた。その男を題材にすれば、芝居が一本書けるような人物が。
02-25 02:22

「コタン虐殺」についての覚書(補足6-2)その謎めいた人物のことを語る前に、「我れアイヌ~」を書いた橋根直彦について。太田竜や実行犯は和人だが、橋根はアイヌである。その橋根が実行犯に「ありがとう」と言い、もし右翼左翼に関係なく自主行動なら、私はあなたと共に闘うと誓うのである。
02-25 02:36

「コタン虐殺」についての覚書(補足6-3)橋根直彦のことは、先に紹介した「アイヌ民族抵抗史」に詳しい。彼は、東京山谷で、在日の友達ヤマちゃんとちょっとした喧嘩になり傷害を負わせる。「ヤマちゃんが言った『このアイヌ』という言葉は、私の人生をも狂わせて来た言葉だったのです」(続く…
02-25 11:34

「コタン虐殺」についての覚書(補足6-4)その場で二人を取り調べた巡査は、苦しむヤマちゃんを病院へと懇願する橋根に対し、「余計なことは言うな、これはお前がやったのだぞ」と取り合わず、結局ヤマちゃんは出血多量で死に、橋根は殺人罪で刑を受ける。橋根は、闘うアイヌへと変貌していった。
02-25 11:51

「コタン虐殺」についての覚書(補足6-5)公判での裁判長に向けての橋根の発言から。「アイヌとは何なのかということをよく勉強した上で、私を裁いてくれるものと思っていましたが(中略)、あなたは、はじめからたかが山谷の労務者、北海道のアイヌという気持ちがあったのではないですか」
02-25 12:23

「コタン虐殺」についての覚書(補足6-6)「アイヌ民族抵抗史」を書いた新谷行は、太田竜とも親交があった。その新谷が、橋根について次のように述べている。「橋根の思想の中に太田竜の影響を見る者がいる。しかしそんなものをはるかに越えて彼の主張はアイヌのぎりぎりの魂の叫びとなっている」
02-25 12:39

「コタン虐殺」についての覚書(補足6-7)さて、白老町長襲撃事件の実行犯と、事件に思想的な影響を与えた太田竜の間にいる謎の人物の話に戻そう。だが、どこまでTwitterで呟いていいものか、迷いながら…太田竜のアイヌ革命論に影響を受けて白老町長襲撃を【計画した】男…
02-25 12:52

「コタン虐殺」についての覚書(補足6-8)【仲間が】実行に移したことで逮捕され(つまり実行犯とは別)懲役に服した男。その後、太田竜を厳しく批判して新右翼に接近し、南京虐殺事件の「真相」究明に取り組み、1987年から90年の「赤報隊事件」を起こした赤報隊のメンバーではないかと疑われた男。
02-25 13:05

「コタン虐殺」についての覚書(補足6-8-a)「赤報隊事件」一覧朝日新聞東京本社銃撃朝日新聞阪神支局襲撃朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃朝日新聞静岡支局爆破未遂中曽根康弘・竹下登元元首相脅迫江副浩正リクルート会長宅銃撃愛知韓国人会館放火未解決のまま、2003年に時効を迎える。
02-25 13:20

「コタン虐殺」についての覚書(補足6-9)実行犯のその後はよくわからない。太田竜も「アイヌモシリから出撃せよ!」に実名で書いているが、橋根の著作より詳しい情報はない。赤報隊と関係があるのか、戯曲「コタン虐殺」では、そのように設定されている。実際の実行犯についてはここまでにしよう。
02-25 14:16

「コタン虐殺」についての覚書(補足6-10)そもそも事件の原因を作った太田竜はどうなったのか。まずはエコロジストになり、右翼に近づき、反ユダヤ主義、反国際金融支配を説く陰謀論者、さらには「西郷隆盛とイルミナティの秘密戦争」、ついには「人類は爬虫類人によって支配されている」と。
02-25 15:10

「コタン虐殺」についての覚書(23)ともかく、白老町長襲撃事件にかかわる左翼たちが右翼に「転向」することにリアリティを感じるか、というのが、今夜のラジオのテーマ。というつもりだったが、さてどうなるか。ずっと考え続けているのだ。姜君との三島由紀夫談義も、昨夜の沖縄の話も同じ文脈。
02-25 15:30

「コタン虐殺」についての覚書(補足7)浅沼稲次郎を刺殺した少年をモデルにした主人公が、最後に「天皇陛下万歳」と叫んで獄中自殺するという禁断の書。30数年前に北大そばの古本屋で大枚出して買ったガリ版刷り海賊版。後に赤軍シンパだった方に聞いたのだが、「これでずいぶん儲かった」と。 https://t.co/ejlNfzVt82
02-25 15:50

「コタン虐殺」についての覚書(補足6-11)太田竜についての追加。1983年「日本みどりの党」結成に参加。参院選に立候補し落選。陰謀論者になり「旧字体を使わないのは日本語を破壊しようとするユダヤの陰謀」との理由で太田竜から龍に改名し、靖国神社に参拝して玉串料を納めていた。
02-25 16:21

「コタン虐殺」についての覚書(補足8)少し横道へ。太田竜は三菱重工爆破事件などを起こした「東アジア反日武装戦線」にも思想的影響を与えたとされる。「天皇爆殺」はともかく、Hさんから聞いた「賃下げ闘争」は初耳だった。Hさんはそこで降りたが、進めば赤軍があった。https://t.co/vAiRoHVlHc
02-25 17:24

「コタン虐殺」についての覚書(補足8-2)鈴木邦男氏は赤報隊事件に関わっているのではとされる「9人のリスト」のひとり。その鈴木氏が赤報隊とは思想的に対極をなす「東アジア反日武装戦線」を評価し、太田竜とも交流があった。また鈴木氏にあれこれ聞いてみたくなった。https://t.co/TrJbBpVmat
02-25 17:53

「コタン虐殺」についての覚書(補足8-3)この写真は、2017年8月、ウチの映画祭で「赤軍PFLP・世界戦争宣言」を上映した後のトーク。1971年、若松孝二とともにパレスチナへ渡り、1974年、日本赤軍に合流、1997年にはレバノンで逮捕され、3年間の獄中生活をした足立正生氏と鈴木邦男氏。極左と極右。 https://t.co/Tz6mpsMN2W
02-25 18:00

「コタン虐殺」についての覚書(補足8-4)白老町長襲撃事件のキーパーソン、例の謎の男も、鈴木邦男氏と共に赤報隊事件の「9人のリスト」のひとりだった。その男を追った樋田毅『記者襲撃-赤報隊事件30年目の真実』を、中島岳志氏がツイートで紹介している。 https://t.co/4LXZfM1DuP
02-25 18:16

「コタン虐殺」についての覚書(補足8-5)はたして「思想的連続性」などというものがあるのだろうか。あるとすれば「空っぽな入れ物」という共通性。今日のラジオで、そのあたり、どこまで話せるだろうか。ツイートしておきたいことはまだたくさんあったのだが、もう時間が無くなった。#コマラジ https://t.co/pSji34eVnw
02-25 18:36

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