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久米島住民虐殺事件の日

日本のポツダム宣言受諾後の8月18日、つまり76年前の今日、久米島に配備されていた日本軍、鹿山正が率いた海軍部隊は、仲村渠明勇さんを「スパイ」だとして、妻子と共に虐殺し、その遺体もろとも家に火を放ち焼き払った。
久米島守備隊住民虐殺事件の日
那覇で捕虜になった久米島出身の仲村渠明勇さんは、自分の生まれ島(故郷)である久米島に上陸するアメリカ軍の計画を知り、自ら米軍の案内役を志願した。悲惨な戦闘を避けるため、山に隠れていた島の住民たちに投降を説得する役割を担ったのである。上陸前、彼はまず米軍に久米島が無防備であることを訴え、住民たちのいる山への艦砲射撃をやめさせた。「球美の島」と呼ばれる久米島の美しい自然は、こうして傷つけられずに残された。

沖縄で組織的な戦闘が終わった日とされる6月23日(慰霊の日)の3日後、6月26日に、米軍は久米島に無血上陸する。しかし米軍に捕まれば殺されると信じ、米軍から逃れて自死しようとする住民たち。そんな住民の多くが、明勇さんの「死ぬ必要はない、戦争は終わったんだから」という説得に応じてその命を長らえた。明勇さんは、島の人たちにとっては恩人だったのである。

そんな状況の中で、スパイとみなされ日本軍に殺された久米島のウチナーンチュは、明勇さん一家を含めて20人にのぼる…



Twitterで呟いた。
義父は久米島出身、76年前の今日、友が日本兵に殺されたんだと、生前、酔って僕に語ったのだ。

しかしホントは、「友」ではなく「親友」であり、「殺されたんだ」の前に「目の前で」というひと言があった。奥さんにも、子供たち(つまり僕の妻とその兄弟たち)にも語ったことのない話を、したたか酔って、ナイチャーの僕にだけ、知っておけと訴えかけるように語ったのである。

昨日のコマラジ、“ラジぼっくり”と“まんちゃーひんちゃー”、そのどちらかの番組でこの義父のエピソードをご紹介しようか考えていた。
まんちゃぼっくりの合間

義父がなくなったのは1989年の二月三日、今年は32年目、つまり三十三年忌であり、沖縄の慣習で「ウワイスーコー(終わり焼香=法要)」と言われ、これを境に、故人は家の守護神(祖霊)になると言われている。

大和のお盆は8月13日から16日でもう終わったが、沖縄の旧盆は20日からの三日間。その間にある昨夜の放送、久米島で仲村渠さん一家が虐殺された日がまさに昨日の8月18日、それらを考えれば、義父が酔って語った話を紹介するのに最適な日だったはずなのだ。しかし…

その久米島の重い話と、それに加えて、現代の表現者に対しての、ある「毒」を、番組のために準備していたのだが、“ラジぼっくり”が終わり、“まんちゃーひんちゃー”の放送の最中、最後まで迷いながら、結局、言の葉に乗せることができなかった。なんというか、大切な夏の日々を台無しにされている子供たちのことを話しているうちに、この日はあくまでも柔らかく、コロナの時に、このラジオという発信の場をボクが与えられていることに対する感謝だけを語ろうと思ったのである。

「本当に心底感謝しているのです」

そして、毒を認めたメモは胸ポケットの中に仕舞い込んだ。



引きこもりの夏を、少しでも応援しようと、まんちゃーひんちゃーでやった落語たち、その回を、夏休み限定で公開している。

それから「桃太郎」、続いて三本目の「風の神送り」も公開開始。

その他、巣ごもり中に楽しんでいただけそうなものを随時公開していこうと思う。


もうひとつ重要なこと。
ブログには転載しないが、そら姐さんと、実にくだらない(?)やり取りを延々とツイッターでやっていた。
※でもせっかくだからほんの一部だけ…

なんてことないやり取りのようだが、しかしこれは僕の思索にとって、極めて重要なピースだと思っているのだ。いかにして新しい人たちに伝えたいことを伝えるか、それを最も大切なことのひとつとして位置づけ、それを目指しながら、なかなか難しくてできなかったこと、そらぼっくりこと新田そらさんに、日曜日のイベントのアシスタントをお願いしたら、その「困難」を、ヒョイと乗り越えたと思った。もちろん、実際にびっくりするような広がりがあったというワケではない。しかし、どうやって今後イベントを展開していくか、光が見えた!という気がしているのだ。

新ユニット、まんちゃぼっくり❗️
まんちゃぼっくり

そういえば、まゆみちゃんのイベントに協力した時にも同じようなことを感じた。つまりそら姐さんは、まゆみちゃんに続く、このブログの重要な登場人物のひとりとなった。

このそら姐さん、僕がちょくちょく泉龍寺の読経会の話をするので、行きたいと言い出した。結構じゃないか。先週の日曜日に行く約束をしていたが、ちょっと変なものを食べて食あたり、で、残念ながらその日は断念。一昨日はイベントの日で、そらさんも僕も不参加。
一連のふざけたやり取りの後、そらさんから「日曜の泉龍寺、今度こそリベンジで伺いたいと思います!」というメッセージが来た。僕は「コロナの所為で、お経の後の座談がないかもしれません。それでもいいですかね?」と返信したら…

「勿論です!」

ちょっとうれしくなった。
とはいえ、僕らのような無信心な輩にとって、通い続けられるかどうかは、座談の楽しさにかかっているということも事実。かつて、寺子屋に子供たちが集まってきたように。
重要なのは信心? それはそうなのかもしれないが、きっと信心は、後からついてくるもの。信心が生まれなくても、それはそれ。このことはどうやら、ボクが開催するイベントと共通しているらしい。
まず、どうしたら来てもらえるのか、ということ。自治研の方々、分かって頂けるだろうか。




gajumui

僕のブログはエンディングノートなので、いちいち書いた記事をツイッターでご紹介などするのはやめようと思ったのだが、やっぱりどうしても読んでほしくなった。どうか、是非お読みください、ませ。久米島住民虐殺事件の日https://t.co/Y8HAQuuN9f
08-21 23:41

なぜどうしても読んでもらいたくなったのか。半年前の日の記事に追記した。俺は義父の思いを伝えようとしていただろうか。@bouheitai1958 さま。貴方様の久米島の記事を僕がRTした日は、義父の命日だったのです。2/3のツイートまとめ(半年たって鳥肌が立った!) https://t.co/BThlw8MR1W
08-21 23:53

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tag: まんちゃーひんちゃー  名古屋奨  諸ちゃん  沖縄戦  まゆみちゃん  そらぼっくり  読経会  沖縄この日何の日 

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