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カジマヤーを迎える前に死ぬことは、ウチナーンチュには早すぎる

上原成信さんがお亡くなりになった。
※この記事は後日投稿している。

翌日の新聞にその記事が載った。

上原成信逝去1 上原成信逝去2

思わず声が出た。
成信さんと初めてお会いしたのは、大崎の“沖縄語を話す会”(2009年7月)であった。その時に成信さんからゴーヤーの苗を頂いた。今年は忙しくてゴーヤーまで手が回らなかったが、以来事務所で栽培するゴーヤーは、苗ではなくその前年に収穫したゴーヤーの種から育てているもので、つまり成信さんに貰った2009年の苗の子孫たちなのである。

上原成信さんとは2010年の忘年会が最後になってしまった。2014年に沖縄へ戻られていたことは知らなかった。
2016年の沖縄映画祭比嘉賢多「沖縄/大和」を上映したが、その映画には上原成信さんが登場されていた。普天間に立つ元気な上原成信翁をスクリーンに観て、成信さんはいてもたってもいられずに時々沖縄に行かれているのだろうと思っていたのだが、「沖縄/大和」は2014年の作品、その頃に沖縄に戻られたということか。

しかし、「沖縄/大和」の中の上原成信氏は、ネトウヨに毛が生えたような若者たちと議論してかみ合わず、むしろ論理的には負けていた。でもそれは、成信翁の責任ではないと僕は感じたのだ。なんというか、彼らを説き伏せるだけの力を持つ思想を構築して来なかった「内地」の運動の脆弱さを思ったのである。さて、そのシーンを撮って映画に使った比嘉賢多はどう思ったのか、今度会ったら聞いてみたいと思う。

自宅の書斎の本棚から、上原成信さんが2009年に出版した「那覇軍港に沈んだふるさと」を引っ張り出してきた。
那覇軍港に沈んだふるさと

装丁は三線で使われる蛇皮の柄、そして上原成信さんの言葉が書かれている。
「沖縄の基地をめぐる状況は、64年余、基本的には何ひとつ変わっていない。しかし、若いウチナーンチュたちが中心となり、闘っていくことでいつか基地のない沖縄がくることを信じている」
それからもう8年、相変わらず何も変わらない沖縄。むしろ状況は酷くなっている。

享年90歳。普通なら大往生なのかもしれない。しかし死因が膵臓がんだと聞けば、まだまだ戦っていらっしゃたのに違いないと思えてくる。カジマヤーを迎える前に死ぬことは、ウチナーンチュにとっては早すぎると、僕はそう思う。

最近、このブログに登場する方のタグリストなるものを作った。
 ⇒このブログに登場する沖縄の人たちのタグリスト
亡くなられた方には、△印をつける。その数がずいぶんと増えてしまった。上原成信さんにも今から△をつける。僕はこちらに住んでいらした成信さんしか知らないので、「内地」在住のウチナンチュのママにしておこうと思う。

間もなくこの僕も還暦である。まだまだ小僧である。世相を越えてゆったりした存在になれる日が、はたしてこの僕に来ることはあるのだろうか。

明日がカジマヤーである。
上原成信さんの御冥福を心からお祈りしている。

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tag: 上原成信  墓碑銘  比嘉賢多 

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