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貴族の如き感性が嫌い

昨夜の鍋(殆ど野菜🥬、極薄味)から続く。

え? 神田沙也加嬢が死んだ?

ワイドショー的ノリで呟いたわけではない。
2014年の第二回映画祭、「ふじ学徒隊」を上映した時に、神田沙也加主演のミュージカル「ひめゆり」に出演する若い役者さんたちが観に来てくれた。その時、「神田さんは来られませんでしたが、勉強したいのです」という彼らの真摯な言葉の記憶。
ひめゆりの俳優たち

その日の記事。
 ⇒映画祭も残すところ今日を入れてあと二日なのです
「ふじ学徒隊」の野村岳也監督も、この日のラストのプログラム「聖ミカエラ学園漂流記」の高取英さんも死んでしまったし、そしてそれから、chもN監督も、どこに行っちまったのか分からないし…

ただ俺だけは、相も変わらず進歩なくここにいる。
…と呟いてはみたのだが。変わらないのは、ここから次の場所へという意識なのであって、たぶん一般相対性理論なんだな。またワケの分からないことを。

健康と死とはたぶん全く無関係なのであって、自死は、ただそこにあって解釈を拒否している。それは五次元の世界に対する想像力。
なんだか今日の俺はおかしい。つまり、本当に悲しいのだ。





今日の総括。
朝の座談は実に面白かったのだ。
そして、昔のブログ記事や、忘年会での「ある炎上話」に影響されていたにしろ、どうやら僕は、クラシック音楽に関わる人たちにありがちな一種の独善的な精神に、どうしようもない違和感を抱えているらしい。
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tag: 泉龍寺  読経会  村上雄祐 

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