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11/27

抗がん剤投与の日でした。ちょっとした不安があったのですが、どうやら大丈夫だったようです。その話は沖縄報告のあるエピソードと共にお話しします。
アルブミン4.1でした。ヨシ。
他の数値も特に変わらず問題なし。
今日は一個前の投稿を読んでなのかどうか、柳麺かいとの拓ちゃんが、資料館に来てくれたようです。
https://twitter.com/ra_men_kuyt/status/1728966818587664429
ボクは抗がん剤、宇夫方さんは厚木カルチャーで不在、留守番の金城さんとどんな話をしたんだろうな。
狛江の方々ばかりではないのだけれど、こんなふうにいわれることがある。
「そういうイヤミがきつい言い方をするから行く気にならないんだ」
「来ないのは、貴方に原因があるんじゃないの?」
なるほど。でもね、ふざけるな!と言いたくもなるのである。具体的なことは、決定的な断絶になりそうなので言わないけれどさ。いや、もう決定的かな。
今まで沖縄のこと、ずっと控えめに、そして穏やかに伝え続けてきたつもりなのです。琉球舞踊の公演のMCで、ちょっとだけ話すとか。機会があれば、それとなく話をするとか。でも君たちは、イベントや写真展、いくら案内しても、一度たりとも来たことはないし、興味も示さなかったではないか。
たまに義理堅く来てくださる方があっても、展示を一瞥する程度、そもそもさほど興味がなさそう。その方々をどうお出迎え、どう声を掛ければ、どうすれば伝えたいことを、その入り口だけでも伝えることができるのか、ホントに悩むけれど、どうにもその糸口が見つからない、だって、全く聞く気がないだろうことが、手に取るように分かってしまうことがママあるのですから。
思い起こせば、そんな連続でした。
例えば音楽や演劇など、エンタメのイベントの話をしているのではない。そういうモノなら、内容がどうであれ、やっている奴が嫌いだから行かないというのは大いにある話。それは分かる。
もちろん、どんな社会的なイベントだって、同じことはあり得るのだが、こと沖縄のことに限ってはそうはいかないでしょう、とボクは思っているのです。
つまりさ、日本人(ヤマトゥンチュ)である貴方たちの足の下には、沖縄の人たちの足があるの。そしてもう百年も(いや、1609年、薩摩が琉球に侵攻してきた時からかもしれない)沖縄の人々は声を上げ続けている。しかし我々日本人の多くは、ヘッドホーンで好きな音楽を聴いていて、足元の声を聞こうとはしない。そして時々ヘッドホーンを外して、伝え方が悪いんだよなんて言い放つのである。
日本人は、沖縄の人の足を踏んづけながら、沖縄の犠牲の上の日本の繁栄を謳歌してきた。ずっとずっと、三流国に成り下がった今も。
だから、全ての日本人は、沖縄のことを考えなければいけないのではないか、ボクはずっとそう思って来た。
そのことを、様々な事実を積み上げて、それを知らない人たちに知ってもらいたいと、どうすればそれができるだろうかと、40年考え悩み続けてきたのです。
さらに言えば、そこに日本再生の道がある、いや、そこにしかないとさえ思っている。
余命半年という宣告はまさに最後のチャンスであった。正直「しめた!」と思った。しかし、ダラダラと、もう一年近く生き延びてしまったのではあるが。でもその間に、ボクの考えは螺旋階段を昇るように変わり続けている。それをこそ伝えたいと思うのだが。
あんたのきつい言い方が嫌で、それが嫌いだから、沖縄のことなんか考える気がしなくなるんだって? ほう、でもさ、それは違うんじゃないかのかな。優しく言ったて、来ない人は来ない。君、違いますか?
ともかく、ボクのことなんかどうでもいいのだ。ボクがいるからパネル展だか何だか知らないが行く気のならないというなら、貴方が来た時、ボクは散歩にでも行って消えるさ。
つまり君はさ、沖縄のことを考えないという在り方を、ボクの所為にする気なの? それって違うんじゃないのかな。何度でも言うが、これは君とボクの問題ではなく、君と沖縄の問題なのであるから。
中村之菊という人間、彼女は、沖縄という問題を知らされた時、匕首を喉元に突き付けられたように思った。しかし彼女は、そこから逃げずに考え始めたのである。まずは本を読み、自分で確かめ、現地に赴き、そうした積み重ねの末に、自分の言葉を獲得していったのである。
ボクの話だが、なぜ沖縄のことを考えるようになったのか、そのきっかけは、とよく聞かれる。すると僕は、その質問には答えないことにしたのですと答える。つまりきっかけなんかどうでもいい、肝心なことは、沖縄のことを知ってしまったということのみ。この問題を知ってしまったからには、ボクの足の下に沖縄の人たちの足があってそれを踏んづけているという現実を知ってしまったからには、沖縄について考えなければならないではないか。それはたぶん、中村之菊の在り方と、きっと共通点があるのだと思っている。
これはさ、ボクと沖縄、中村之菊と沖縄、そしてあなた達自身と沖縄の問題なのである。一人ひとりの問題。
米軍基地廃棄物パネル展は今月一杯。残すはあと三日のみです。
最終日17時からは中村之菊ギャラリートークです。
きっと、あなたが知らない事実が、知らなければならない事実がココの小さな沖縄資料館にはあるはずです。
来て欲しい、と、心から思う。
・・・・・
あは、今日はいつにも増して喋り過ぎました。ますます嫌われる。いたしかたない。
実は、友人であるJちゃんの友達限定の投稿に刺激されて、それに答えたいと思って、こんなことになりましたのです。もしかして、Jちゃんの投稿、友達の友達まで読めるのかな。でも、リンクは当然貼りません。
・・・・・・・・・・
さて。
さすらいの癌マンの食事報告は11月11日から。
11日から13日のこと👇
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24405599895753346
11日の朝食は8時。
報告はしていないけれど毎朝のこと、モリンガ茶、それから酵素ジュース作って飲む。
卵かけご飯も、真由美ちゃんのイワシ2尾があればご馳走。残りはあと2尾。
そして五十嵐さんを乗っけて荻窪天沼八幡神社へ。
お昼は金城さんが作ってきてくれたご飯を摘まんで済ましました。あら、画像撮り忘れたみたい。たしかジューシー(沖縄の炊き込みご飯)だったような。
いつも頂く地元の饅頭、これが旨い。
それから生八つ橋。
夜は自宅で納豆とにんじんシリシリーと野菜の具沢山スープと、そして玄米を混ぜたご飯。うん、これなら玄米も大丈夫かも。
そして大量にやることがあるので事務所に戻って柿を二個食う。
12日の日曜日は市民祭りに出演なので忙しい、けど食べないと叱られる。
7時に納豆卵かけご飯。納豆はさらにネバネバ、オクラを入れてみました。キュウリとたくあんの箸休め。結局全部ぶっかけて掻っ込む。
お祭りのことは報告済。
報告漏れをいくつか。
泉龍寺の読経会へ。お祭りのこと、話したけれど、やっぱり誰も見にいらっしゃいませんでした。そんなもんです。
あ、境内の青桐、切られていた。
駅前広場に出店していたつぼ八、店主の高山さんたち。
神輿の画像を中村之菊に送ったら、「土着、とてもいい!」と返ってきた。でも、彼ら、パネル展には来ないけどね。
詳細はいずれブログに書きます。そんな余裕があればですが。
1時半、食前に傷み始めた柿、早く食べなきゃ。
そして買って来た海鮮丼。
食後は柔らかくなってきた柿。早く食べなきゃその2。
ちゃんと剥いて食べてるよ。
夜は野菜が食べたくて栄華に行ってタンメンを頼む。何にも言わなくても薄味、分かってくれている大将に感謝です。
13日の月曜日。
抗がん剤投与の日の朝は簡単に卵かけご飯。昆布の佃煮と福神漬けがあればご馳走。
病院には面倒なのでお弁当は持っていきませんでした。ま、寝てればいいのだから、食べなくてもいいでしょ、と思ったのですが…
事務所に戻り、やっぱり傷み始めたシャインマスカット。結局お腹が空いて、海鮮丼を買ってきた。なるべく体にいいモノを、と、アボガドとトロロ。
夜7時、やっぱり早く食べないとと、洋ナシを剥いて食べる。
やたら「剥いて剥いて」と強調するのは、オレだってそこそこ包丁だって使えるんだよ主張しているワケ。
8時過ぎにカレーを食べる。身体にいい油を使って目玉焼きを焼いて乗っける。
オリオンビールで、ひとりお疲れ様の夜でした。
以上、増々「いいね」がつかない投稿でした。
ところで、沖縄北部の今帰仁に、大型テーマパークなんているのかね。
経済経済、というか、それを観光でどうにかするしかないのだろうかということ。新しい農業の可能性のある場所を、非可逆的に壊すのだろうか。世界遺産に登録された勝連城の駐車場にされてしまった識名さんの、奇跡のトマト農場のように。

二川 舞香
わぁ詰まってなかったんですね!よかったぁ〜😌

上里 智子
高山さん、よくぞいってくれました。日頃私がすぐそばの市民の人たち、労働組合の人たちに思っていること、何かイベントがあるよ、映画会があるんだけど、といっても付き合い程度で、素通りしてしまう彼ら。私も出会ってしまった沖縄のことを伝えていきたいけど、話すとどんどん遠くに感じてしまう。でも彼らを変えたり、同調することが必要なのか、とも思うのです。本当に手を結びたいのは誰なのか、そう思ったら仮面をかぶって、数を集めたって仕方ないとも思うのです。
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