fc2ブログ

12/13

12月9日、桜美林大学から学生さんと教員さん、合わせて15人がやって来る👇…はずでしたが…
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/24574680322178635
なんといらしたのは19名でした。この四名の違いは大きい。みんな何とか座って話せるかと思っていたけれど、19名じゃ無理。空気が薄くなりそうで、窓を開け、換気扇を回して、結局、午後三時から六時くらいまで、みんな立ちっぱなし、でも、たっぷり話しが出来ました。ああ、ビデオ撮っておけばよかったなあ。
この日のことは追々お話ししますけれど、やっぱり若者たちと話すのはいいです。ボクの寿命も延びたような気がします。
その後、バイトがある学生さんたちは帰りましたが、それから登戸の忠兵衛という沖縄居酒屋に、10数名で繰り出しました。その話も後日改めてね。
若者に囲まれてテンションが上がって、久しぶりに飲み過ぎて、で、翌日の日曜日は二日酔い、朝起きられず、泉龍寺の読経会も不参加。
それでも今日まで色々面白いことがあって、しかしながら深酒の影響で今ひとつ、体調低下が長引き、とてもFacebookに何か書くという気にならず、でした。でも、それらも頑張って順繰りに報告するつもりです。そしてそれをいずれブログに、時系列を整えてアップしようかなと思っています。
ハイビスカス。いよいよ咲きそうですが、案外ここからが長いかも。12月に咲くアカバナー。別名、後世花(グソーバナ)、死者の幸せを願って墓地に植えられる。しかし「死者の幸せ」って何だろう。
本日、ボクは抗がん剤投与の日でした。二週間に一度、月曜日に抗がん剤投与するのですが、今週の月曜日は、宇夫方さんが教えている厚木のカルチャーセンターで公開勉強会があって、そこで2曲ほどボクが弾いて宇夫方さんが踊って、生徒さんたちにも見てもらうことになり、そこでイレギュラーで、抗がん剤投与を今日にズラしてもらったのです。
基本数値に変化なし、ちょっと気になっている腫瘍マーカーの検査は無し、次回かその次か、数値が上がっていなければいいなあと思っています。
問題のアルブミン値、また3.8まで落ちていました。まあ、一喜一憂しても仕方ないのだけれど、12月5日、あと半年という余命の宣告された日から一年、ぼちぼち抗がん剤が効かなくなる可能性が高い、どうなるんですかね、はやく誰かに色々と託したい、それは決して若い人たちばかりではないのだけれど、気持ちを継続していくって、きっと簡単な事じゃないんだろうなあと思う。40年以上、沖縄に拘ってきたボク、自分で自分を褒めてやろうかな、なんてね。
沖縄に出会わなければ、全く違った人生があったような気もするけれど、これはこれで希有な人生だったと思っています。
もう少し、生きられる限り、っ考え続け、アップデートし、そして企てていきます。
(因みに、僕の視野・視線は、日々変化しています。半年前、いや一か月前には考えてもいなかったこと、発見がたくさん、そしてそれらバラバラなことを、思想的に繋ぎ合わせていく作業は、きわめて刺激的でもあります。そうして紡がれた沖縄のこと、皆さんに伝えたい新しいことがいっぱいあるのです。
「中村之菊」という存在と出会ってしまったことも、もしかしたらそのひとつかもしれない。
今度の土曜日、12月16日の14時から、中村之菊がまたやってきて、「中村之菊とゆるトークしよう会」を開催します。
https://www.facebook.com/events/1477246636178989
もし夜ならば参加できるという方、是非メッセージをください。三人いれば夜も開催します。
インスタグラムでも宣伝してみました。
https://www.instagram.com/p/C0vsJNPvKz1/
だって、若い人はインスタなんだってさ。
さて…
昨日、沖縄の義母が救急搬送されました。92歳です。先日沖縄で会った時は元気だったのに。
そしてたった今、家族がみんな呼ばれて病院に集まっているらしい。医師から何を伝えられるのか、カミサンからの連絡を待っているところです。なんか落ち着かなくて、それでFacebookに投稿する文章を書いていれば気が紛れるかなと、PCに向かっているのですが。
・・・・・・・・・・・
11月15日の続きの報告です。
果たして昼飯を食べたのかどうか、舞香さんに聞いてみたところ、「時間なくて食べなかったような…」というメッセージが来ました。
というワケで、流離の癌マンの食事報告
11月15日の昼食は食べませんでした!です。たぶん😅
読谷。
まずはシヌクガマへ。
村の観光協会のサイトから、説明文を転記します。
「1945年(昭和20)3月、アメリカ軍の空襲は日を追って激しくなり、やがて艦砲射撃も始まるようになると、約1千人の村民がこの洞窟に避難した。
アメリカ軍の沖縄本島上陸の日、激しい砲爆撃の後、シムクガマにアメリカ兵が迫って来た。アメリカ兵が銃を構えて洞窟入口に向かってくると、人々は恐怖で、洞窟内は大混乱に陥る。
その時、ハワイからの帰国者、比嘉平治(当時72歳)と比嘉平三(当時63歳)の2人が、『アメリカーガー、チュォクルサンドー(アメリカ人は人を殺さないよ)』と、騒ぐ避難者たちを説得して投降へと導き、1千人の避難民は助かった」
ガマへ向かう途中、「内地」から来たという若者たちとすれ違いました。シヌクガマの話をひとしきりしたあと、「チビチリガマって知ってる?」と聞くと、「知っています」という返事。
これから行くの?とさらに聞くと…
「いや、次の予定があって、時間が無くて行けないんです、残念だけど」
「そっか…」
残念だけど、でも彼らは、ちゃんと勉強してからここへ来たようです。きっと次に沖縄に来た時は、チビチリガマにも行ってくれるんだろうなあと思いました。
そして金城実さんのアトリエへ。
舞香さんを実さんに紹介すると、話は「アイヌ」の深い話へ。舞香さんの知り合いの多くのアイヌの方々と繋がっている実さんでした。彼女と実さんを繋げることができて、よかったよかった!です。
舞香さん、実さんとの話、コメントしてみてくれたらうれしいなあ。
実さんと12月15日、東京で会う約束をしました。
実さんは第35回多田謡子反権力人権賞を受賞され、その授賞式が16日に神田であるのですが、その受賞を祝う会が、その前日、15日の18時半から、文京区民センターであるのです。
その報告、どうかお楽しみに。
アトリエを出て、チビチリガマを実さんに案内してもらうことにしました。
チビチリガマには、金城実作の野仏があちこちに立てられています。その二枚目の画像は、一番見つけにくいところにある野仏、もし皆さん行かれるようなことがあったら、是非探して見つけてみてくださいね。
読谷村にある二つのガマについて。
村の観光協会のサイトには、こう書かれています。
「1945年4月1日、米軍が沖縄島西海岸に上陸すると、住民はガマ(自然壕)や亀甲墓などに身を隠しました。読谷村波平区の住民の多くは、村内のチビチリガマとシムクガマに分かれて避難しました。チビチリガマでは住民の『集団死』がおこり、もう一方シムクガマではこのような惨事はおこりませんでした。『生』と『死』を分けたものとは何だったのでしょう。」
チビチリガマのことは、8月15日に詳しく書きました。どうかそちらをお読みください👇
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/10031906366882605
それから読谷の福祉センターへ向かいます。
識名さんが、酵素の仲間を集めて、ボクの講演会を企画してくださったのです。今回はその二回目でした。
そのチラシをアップ。でもちょっとね、癌、克服なんてしてないし、医師は終末医療への移行を見据えているワケだし、また、スキルス性の癌ではなさそうだし、「命尽きるまで」なんてそんな大層な題名のラジオ番組をスタートさせてはいないし、チラシに書かれた情報が色々と間違っていますが、まあテーゲーということでOK。
※スキルス性の癌とは、胃の粘膜を這うように周囲に不規則に広がる胃癌の一種のことで、決して進行の速い癌一般をいうワケではありません。
※ボクのラジオの題名は"まんちゃーひんちゃー"、もう始まって4年目になります。
このイベントでのエピソード、お伝えしたいことがいくつかあるのですが、それはあらためて。
でもひとつだけ。
ボクは、農家さんたちや識名さんの酵素に助けられた方々、看護師さんも4人もいらしたとか、そんな方々の前で、癌の話にからめて、沖縄の話もしたのですが、そういうこともあってか、聞いてくださった金城実さん曰く…
「いいイベントじゃった、こういうのがいいんじゃ」
あら、とっても嬉しいお言葉頂き、そして…
「もうワシは基地反対とかのイベントには出たくないんじゃ」
…だって。
ホントかしら、話半分で聞きましたが(笑)
でもね、きっと半分は本音、何故なのか、金城実は闘いの人だとしか見ていない大和の人たち、色々と考えさせられることがあるんじゃないですか、と、ボクは思うのですが。
でも打ち上げは、やっぱり闘う実さんの独壇場でした。それはそれで面白かった。同じウチナーンチュの、ちっと冷めたような、それでも暖かい色々な反応も含めて。 なかなかややこしい話、これについても後日どこかで。
やっとさすらいの癌マンの食事報告。
居酒屋のツマミなので、いつもの通り画像だけですが。
最後はテビチですよ。「内地」の豚足とは全く違う。これが旨いのです。
識名さんと、それから酵素の会で識名さんの片腕として頑張っている花城さんと、実さんと一緒に記念撮影しました。
実さんとはここでお別れ、そしてこの夜ボクは、恩納村の別荘地に一軒丸ごと使っていいという方がいらっしゃって、そこに泊めて頂きました。舞香さんと一緒、…って、ふたりっきりじゃありませんからご安心を。もちろん、識名さんも花城さんも一緒です。
沖縄報告は明日に続く。
明日は特に何もない日、また閑古鳥の資料館なのかな、朝から一日、Facebookの記事を書けるかな、と思っています。
※厚木の公開勉強会と、沖縄の高山正樹講演会、画像がなく、なので動画からいいところを切り取って、明日にでもアップしますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一向におきなわから連絡がないので、今こっちから電話しました。まだ、カミサンと妹は病院にいるらしい。一応、今は落ち着いているけれど…
さて、どうするかな。
関連記事

Comment

コメントの投稿

Comment
管理者にだけ表示を許可する