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2時半、病院の宇夫方さんからメッセージが届きました。
「速報‼️来週26(火)入院、27(水)手術、4月週明けに退院。千葉行けるね❗」
"千葉行けるね"とは、これ👇です。
https://www.facebook.com/events/953681012846071/
千葉県南房総市富浦町のとみうら元気倶楽部で4月6日から5月6日までの一か月にわたり米軍廃棄物のパネル展が開催されます。
その初日4月6日(土)のイベント。
13:30~ ギャラリートーク 中村之菊
14:30~ トークセッション
 高山正樹(狛江の小さな沖縄資料館管理人)
 中村之菊
15:30~ 琉球舞踊
 踊り・宇夫方路(+中真ゆうき、新田そら)
 歌三線・高山正樹(+笛の助っ人・五十嵐志穂)
入場無料
皆様には多大なご心配をおかけしましたが、ともかく、少し安心しました。でもねえ…
今のところ、リンパへの転移は一個だけ、だから手術ができるわけなのですが、リンパ節全摘なのかな。そして術後、抗がん剤投与と放射線治療もあるらしい。
さらなる転移の確率を下げるため、抗がん剤の投与もあるのかなとは思っていましたが、全部取れちゃうのに、なんで放射線治療が必要なんだろう。いったい、どこに放射線を当てるわけ?よくわかりませんが、ともかく手術が終わってから考えましょう。
放射線と言えば、先週の木下さんはゲストの"まんちゃーひんちゃー"で、ホルミシスの話を伺いました。
(※ホルミシスとは、ごくわずかの量がかえって体によい働きをする現象を指す。最近低線量による放射線治療、つまりホルミシス治療は、免疫力改善と強力な抗酸化作用が得られ、 体内の活性酸素を分解する酵素SODのスイッチを入れる遺伝子が働くようになることがわかってきた。ふむ、今ボクが投与しているオプジーボという「免疫チェックポイント阻害薬」に似ている効果があるってことか)
そのアーカイブをアップしました。
https://www.youtube.com/watch?v=OC8_yWN6mQs&t=13s
今夜は、続き、というか、ちょっと思ったことを語ろうと思います。是非とも聞いて頂きたい話です。
宇夫方さんが呟きました。
「抗がん剤や放射線はやめようかな」
でもその理由はお金だという。いくら高額医療の申請しても毎月二人で6万円とか、そうなっては資料館を維持するのは不可能ということらしい。いやいや、そんな理由でやったほうがいい治療を諦めるなんて、そんなこと考えるなよと言いました。どちらかが抗がん剤をやめなければならないのならば、ボクがやめます。
識名さんがボクの抗がん剤について、「もうやめてもいいんじゃないかなあ」と仰っていたしね。
その識名農場から、トマト第二弾が届きました。今回はミニトマトも。
ともかく、今後のこと、じっくり考えようと思います。
宇夫方さんを病院まで迎えに行きました。ちょうど資料館にいらっしゃった隈元きっせいさんと一緒に。戻ってきて、三人で記念撮影しました。
きっせいさん曰く、「なんか企てようよ」
ボクは「是非!」と答えました。
さて先ほどの投稿👇で…
https://www.facebook.com/masaki.takayama.9/posts/pfbid02ULqVkurkxfDJmwfrYfbZasZn6R8VXwUwTy7iNYYgnCitJYocCWd5f13qu3WmPHoul
「40年間がんじがらめで書けなかった沖縄の芝居、何故書けなかったのか、そして今、その課題を解決してくれるかもしれない」について、ちゃんと話さなかったことを、あらためてお話ししたいと思います。
40年前、沖縄についての芝居を書こうと思いました。しかし、書こうとすればするほど書けなくなりました。
当初、芝居の中で琉球舞踊も使いたいと思ったので、当時小さな劇団の看板女優で、日舞をやっていた宇夫方さんに、ちょっと琉球舞踊を習ってくれないと頼んだのです。
宇夫方さんも、芝居のために、ちょっと手のさばきを覚えるくらいでいいかなと習い始めてくれました。
ところが肝心の脚本が一向に出来ない。
なんとそれから40年、そのうちに宇夫方さんは日舞と琉球舞踊の両立は不可能だと、日舞をやめ、小劇団もやめ、とうとう琉球舞踊の師範にまでなってしまいました。
何故、芝居が書けなかったのか、それには色々と理由があるのですが、そのうちのひとつ、ヤマトゥンチュのボクに、ウチナーンチュを書くことが出来ないのではないか、ということでした。
先日の15日の金曜日、下北沢の劇場でやっていた「カタブイ、1995」のゲネプロを見させてもらいました。脚本・演出を担当された内藤裕子さんは、その脚本を書くために、何度もウチの資料館に通って来られました。
その辺の事情を、渡瀬夏彦さんが書いてくださっています。
https://www.facebook.com/natsuhiko.watase/posts/7367810419967038
プログラムに、内藤さんも少し書いています。
大変いい芝居に仕上がっていたと思います。沖縄から参加された二人の役者さん、劇団創造の花城清長さんと、2017年の本部ナークニー大会で最年少13歳で最優秀賞に輝いた宮城はるのさん(今回初めての役者に挑戦)に負うところ大。まさに沖縄の空気。
久しぶりにACOの下山さんにも会いました。下山さんには、劇団青芸に客演で出た「出発はついに訪れず」という芝居で、またキジムナーフェスタでは山猫合奏団で二回と「チョンダラーの歌」でお世話になっています。
「はるのちゃん、連れて帰りたい」
そう言ったら、下山さんたら、「連れて帰ってどうするんですか」だって。
「ウチのイベントに出てもらうんですよ。きっとお客さん、いっぱい集まるから」
でもね、沖縄でこのお芝居を見た方のこんな感想を見つけました。
「最初は大和の役者さんの沖縄方言の違和感に慣れるのに苦労したが、やがて気にならなくなった」
いやいや、ボクが思うに、皆さん大変よくこなしていた。1995年頃はどうだったかということはありますが、今、2024年なら、このくらいしか訛っていないウチナーンチュもたくさんいるし。
しかし、沖縄の人がどうしても意見したくなる、それにはやはり歴史が関わっているのだと思うのです。
ボクが書けないと思ったのも、まさにこのことも一つの理由でした。決して乗り越えられない、乗り越えてはいけない「何か」です。
今から10年以上前、東京と沖縄で「私(わん)の村から戦争が始まる」というリーディングの公演で、ウチナーンチュの役をやったことがあります。
あの厳しい津嘉山正種さんも参加されていて、ウチナーグチの指導もされていた。でも使われたのは言語としてウチナーグチではなく、いわゆるウチナーヤマトグチでしたが、津嘉山さんに「完璧です」と言われ、安堵しました。
その時の写真を一枚アップ、北谷公演の時の集合写真です。
それでも、つまりいくら沖縄訛りのウチナーヤマトグチが完璧でも、芝居を書くとなればそうはいかない。
「いったいいつになったらお芝居できるの」と、ことあるごとに、40年間宇夫方さんに言われてきたのです。
で、です。
今回の「ジュゴンを想うスピンオフ実験劇場」は、意図したわけではないのですが、大和の人間しか出てきません。考えてみると、今まで、沖縄関係のことを扱った数多い舞台で、沖縄の人が出て来ない芝居を見たことがありません。
(※渡瀬さんが撮影してくださった「ジュゴンを想うスピンオフ実験劇場」の画像を、いくつかアップします。)
あ、もしかすると、これを膨らませて、最後まで沖縄の人が出て来ない沖縄を扱った芝居、それならば書けるかもしれない、ふと、そう思いついたのです。
その時に宇夫方さんの転移発覚、ボクは切実に、彼女のために芝居を書かなければならないと、あらためて真剣に考え始めました。宇夫方さんの病気も含めて、ボクの癌から始まり、資料館の解説、そしてそこにやって来るたくさんの方たちとの出会い、どれもこれも、芝居を書くことに必要だったこと、そんな色々なことが重なって、ボクらに残された時間は少ないかもしれなけれど、いやだからこそ、40年越しの芝居への道筋が見えてきたということなのではないか。
たぶん、あと何度か、ジュゴンを想うを重ねて、このまだ見ぬ芝居を形創っていこうと思っています。
茜さんにも、絶対に、役者として出演してもらうつもりです。
以上、今一番ボクにとって重要な近況報告でありました。
あ、それから茜さんの販売用手ぬぐいが資料館に届きました。500円です。欲しい方、早い者勝ちですよ。
さすらいの癌マンの食事報告は、また稿を改めて。
その他のイベントのご案内も、やはり別稿で。
間もなく、コマラジのスタジオに行かなければなりませんから。
・・・・・・・・
ここまで書いて、コマラジへ。
なかなか面白かった。アーカイブをアップしたらお知らせします。
戻ってきて、飯を食って、続きを書き始めました。
でも、もう明日にしよう。
これから画像を添付して、早めに寝ます。自宅へ帰ればいいのだけれど、昨日一睡もせず、今日は昼寝もせず(居眠りはしたけれど)、なので眠いのです。
きっと今夜はゆっくり眠れる違いありません。
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