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朝帰り、というか…「人類館」のページをアップ

桜新町から事務所のある喜多見まで、一時間半、高山正樹、ひとりトボトボと歩く。
朝帰り? いえいえ、出勤するのだから帰りではありませんな。
いったい、何日帰ってないのだろうか。

世田谷通り。
こんなところにもタリーズが。
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そういえば連絡ないなあ。
それって、どうなんだろう……

タリーズは永遠のミステリー?
ということで、ふじわらさんの「イーナちゃん」はお蔵入りです。

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こういうややこしい歩道橋は調査員泣かせだなあ、などと、今やってる地図の仕事を思い出したりして……
さあ、早く帰って(事務所に帰るのさ)仕事しなきゃね。


※おきなわおーでいおぶっくOfficial_Siteの更新記録⑨
 2008/12/28 「人類館」のページをアップしました。
  ⇒http://www.ownmap.jp/jinruikan.htm


「人類館」

戯曲「人類館」の伝説が、今ここに蘇る。

null1976年、知念正真は「人類館事件」(1903年)を題材に、戯曲「人類館」を書き上げました。 沖縄の劇団「創造」によって「人類館」は上演され、台本が1976年『新沖縄文学』33号に掲載、 翌1977年には全国誌である『テアトロ』に転載され、そして1978年、戯曲の芥川賞ともいえる「岸田戯曲賞」を受賞することになります。
「創造」による「人類館」は、観る者に衝撃を与え、以来、伝説の舞台として語り継がれてきました。
沖縄出身の名優、津嘉山正種は、劇団「創造」のメンバーでしたが、当時、既に上京して青年座の一員となっていたので、その伝説的な舞台を観てはいません。 しかし、津嘉山正種の「人類館」に対する思いは強く、2008年の夏、その思いは、ついに津嘉山正種ひとり語りの朗読劇という形で結実し、青年座劇場などで上演されました。
ここに、新たな伝説が始まったのです。
“おきなわおーでぃおぶっく”では、その津嘉山正種の「人類館」を、全国のたくさんの方々に体験して頂きたく、CD化を決定しました。 津嘉山正種氏ご本人は勿論、知念正真氏、青年座「人類館」の演出を担当された菊地一浩氏、青年座の制作部の方々などの全面的なご協力のもと、 加えて劇団創造の幸喜良秀さんにも大変に暖かいご理解を頂きながら、ついにこのCDを完成させることができました。
この機会に、津嘉山正種、渾身の朗読を、是非お聞きください!

「人類館事件」について
(『沖縄大百科事典』「人類館事件」の項より抜粋)
1903年(明治36)3月から7月まで大阪の天王寺今宮で政府主催第5回勧業博覧会が開かれたとき、会場周辺には営利目的の見世物小屋が立ち並んだ。 その中に〈学術人類館〉と称する茅葺き小屋があって、学術研究資料の名目で朝鮮人・北海道アイヌ・台湾高山族・インドキリン族・ジャワ人・トルコ人・ アフリカ人などといっしょに、甘言にのせられて沖縄から連れてこられたジュリ(遊女)二人を〈琉球の貴婦人〉と銘打って見世物にした。
(太田良博氏による)

知念正真プロフィール
1941年沖縄市生まれ。ゴザ高校卒。 演劇集団「創造」所属。1976年、戯曲「人類館」を「創造」で初演。(劇作・演出) 以来「人類館」は、幸喜良秀演出で県内外で再演、今日に至る。 他の作品に「コザ版どん底」(1986)「コザ版ゴドー」(1988)「幻のX調査隊」(1997)などがある。

津嘉山正種プロフィール
1944年生まれ。沖縄県出身。1964年に上京し、翌年劇団青年座へ研究生として入団。1987年、「NINAGAWAマクベス」の主演で英国ロンドン公演に参加、注目を浴びる。 第30回紀伊國屋演劇賞受賞(1995)、第4回読売演劇対象最優秀男優賞受賞(1997)。

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