2009年01月26日(月)20時36分
“晴読雨読”「沖縄」に出会った一冊
25日付け琉球新報が届きました。
さて、高山正樹の執筆記事は載ったかな……
あった。

おほ、五木寛之の「親鸞」の上だぜい!
原稿料は、まあ数時間で書いたから、マクドナルドのアルバイトよりはだいぶマシかな。でも、五木寛之先生の、ずーっと下ですね。
マクドナルドと言えば、しばらく、マックのハンバーガーは控えようかな。痩せなきゃいけないし、イスラエル支援企業だし。
しかしイスラエル支援企業ということならマイクロソフトも同じ、ということは、ブログやめなきゃいけないのでしょうか。WindowsからMacに切替えてみても、最近Macにもintel入ってるし……
マックとMac、ややこしいなあ。
しかし、マクドナルドにお勤めの方々もたくさんいらっしゃるわけで。不買運動というものは、どこかヒステリックで、ちょっと危ない感じもあります。風評被害とまでは言いませんが。
ともかく、自動車乗ってるから温暖化問題について語る資格はないのだというような、幼稚な論理に陥らないことは大切ですね。じゃないと、世の中変わらない。自分のことを棚に上げて主張すべきこともあるということです。
いけないいけない、最近少し太り過ぎ、じゃない、語り過ぎです。反省。
話を元に戻して。
琉球新報の「晴読雨読」、高山正樹が大城立裕「カクテル・パーティー」について書いた記事の全文を、Officialのブログに掲載しました。
⇒http://ameblo.jp/okinawaaudiobook…
いくら画像でご紹介しても、目の不自由な方にはお伝えできませんので、テキストデータで掲載すれば、音声変換ソフトで聞いていただけますから。
(そうだ、だから画像にきちんと名前つけることも重要なんだよね。記事を書く時のひと手間が面倒で、殆ど「null」になっていますこと、陳謝いたします。時間を見て、順次画像に名前をつけていく所存です。「弱者」の方々に対する想像力が足りない。それこそ反省しなければ。)
ところで、音声変換ソフトってWindowsとMacと、共通なのかな。
さて、高山正樹の執筆記事は載ったかな……
あった。

おほ、五木寛之の「親鸞」の上だぜい!
原稿料は、まあ数時間で書いたから、マクドナルドのアルバイトよりはだいぶマシかな。でも、五木寛之先生の、ずーっと下ですね。
マクドナルドと言えば、しばらく、マックのハンバーガーは控えようかな。痩せなきゃいけないし、イスラエル支援企業だし。
しかしイスラエル支援企業ということならマイクロソフトも同じ、ということは、ブログやめなきゃいけないのでしょうか。WindowsからMacに切替えてみても、最近Macにもintel入ってるし……
マックとMac、ややこしいなあ。
しかし、マクドナルドにお勤めの方々もたくさんいらっしゃるわけで。不買運動というものは、どこかヒステリックで、ちょっと危ない感じもあります。風評被害とまでは言いませんが。
ともかく、自動車乗ってるから温暖化問題について語る資格はないのだというような、幼稚な論理に陥らないことは大切ですね。じゃないと、世の中変わらない。自分のことを棚に上げて主張すべきこともあるということです。
いけないいけない、最近少し太り過ぎ、じゃない、語り過ぎです。反省。
話を元に戻して。
琉球新報の「晴読雨読」、高山正樹が大城立裕「カクテル・パーティー」について書いた記事の全文を、Officialのブログに掲載しました。
⇒http://ameblo.jp/okinawaaudiobook…
いくら画像でご紹介しても、目の不自由な方にはお伝えできませんので、テキストデータで掲載すれば、音声変換ソフトで聞いていただけますから。
(そうだ、だから画像にきちんと名前つけることも重要なんだよね。記事を書く時のひと手間が面倒で、殆ど「null」になっていますこと、陳謝いたします。時間を見て、順次画像に名前をつけていく所存です。「弱者」の方々に対する想像力が足りない。それこそ反省しなければ。)
ところで、音声変換ソフトってWindowsとMacと、共通なのかな。
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【2012年10月1日に追記】
新ブログに移行するにあたって、“おきなわおーでぃおぶっく”のオフィシャルブログに掲載した「晴読雨読」の文章を、こちらにも転記することにしました。新しい読者の皆様、是非一度お読みください。
「沖縄」に出会った一冊 ~大城立裕「カクテル・パーティー」~
1978年、知念正真の「人類館」が岸田戯曲賞を受賞、沖縄初の快挙であった。劇団「創造」によって「内地」で上演された舞台は、当時、強烈な事件であったに違いない。
最後の数十分、舞台上で語られる言葉はウチナーグチのみだ。それまでもウチナーグチは使われているが、それでも観客たちは、何とか前後の脈絡でその意味を理解し、そこで告発される大和の罪を受け止めていく。ところが、それまで大和の男だと思われていた日本兵が、「カマー」と「女」に呼びかけられた瞬間から、一切のヤマトグチは消える。論理的な理解の糸口を閉ざされた観客は、意味の分からぬ言葉の恐怖に、本当に告発されているのは、今この瞬間なのだと思わされるのである。
その劇団創造による「人類館」公演が、去年の12月、東京早稲田の大隈講堂にて行われた。千人近い観客が、伝説的な舞台を観るために集まった。果たして、「事件」は再現されたのか。
大城立裕の「カクテル・パーティー」が、芥川賞を受賞したのは、それより一昔前の1967年のことである。「事件」であった。しかし、10年の時を隔てた二つの「作品」は対照的である。
小説「カクテル・パーティー」に登場する沖縄の主人公はウチナーグチを使わない。米軍基地内で開かれる「カクテル・パーティー」の場面、パーティーを主催するアメリカ人と、中国人弁護士、「本土」の新聞記者、そして「私」は、中国語で和やかに語り合い、作者大城立裕は、それをいわゆる「標準語」で書き取っていく。その同じ時間、「私」の娘は、顔見知りの親しい米兵に犯されていたのだ。
「前章」から「後章」へ、「私」は「お前」となり、「後章」は珍しい二人称小説の形態で進行する。「神の視線」の導入とでも言うべきか。そして、復帰前の(実は今も本質的には変わらないのだが)沖縄の問題がえぐり出される。
この複雑な構造を持つ小説は、しかし極めて論理的で、理知的で、大城立裕の優れた沖縄論でもある。「人類館」が、沖縄と大和の間に横たわる断絶を、理解不能なウチナーグチを武器に、情念へ直截的に突きつけてきたのに対し、「カクテル・パーティー」は神の普遍性を遠景に置きながら、徹底的に「沖縄を理解せよ」と迫ってくるのだ。
「あなたたちの言葉で話しているのです。だから、あなたたちに理解不能という逃げ道はありません。」
舞台なら「事件」であっていい。「事件」は、理解不能であればあるほど、想像力は掻き立てられていく。だが小説は「事件」であっていいのか。小説とは、作者と読者との間に交わされる完全な理解へ向けての会話ではないか。
しかし、沖縄から発信される小説は、常に「事件」として「内地」では扱われた。大城立裕はその象徴的な存在として、「沖縄という事件」を常に宿命的に背負わされてきた。それは不幸なことであったに違いない。
大城立裕自身が「カクテル・パーティー」を当時の自作の中で一番出来が悪かったと回顧するのは、あまりに理知が勝ち過ぎていたからなのかもしれない。だが、だからこそ当時の中央文壇という怪物の目にとまり、芥川賞という「事件」のおかげで、僕も「カクテル・パーティー」を通じて「沖縄」と出会えたのだろうと思うし、その読書体験に支えられて、それ以後の沖縄からの拒絶に対しても、目をそらさずに対峙し受容してこられたのだと思うのである。僕と同じように沖縄と出会った「大和の人間」も、きっと多くいるに違いない。
僕は、大城立裕氏の「カクテル・パーティー」に、深い感謝の念を抱いている。
おきなわおーでぃおぶっく「カクテル・パーティー」のページ
⇒www.ownmap.jp/cocktail_party.htm
【2012年10月1日に追記】
新ブログに移行するにあたって、“おきなわおーでぃおぶっく”のオフィシャルブログに掲載した「晴読雨読」の文章を、こちらにも転記することにしました。新しい読者の皆様、是非一度お読みください。
「沖縄」に出会った一冊 ~大城立裕「カクテル・パーティー」~
高山正樹/たかやま・まさき 俳優。M.A.P.代表
1978年、知念正真の「人類館」が岸田戯曲賞を受賞、沖縄初の快挙であった。劇団「創造」によって「内地」で上演された舞台は、当時、強烈な事件であったに違いない。
最後の数十分、舞台上で語られる言葉はウチナーグチのみだ。それまでもウチナーグチは使われているが、それでも観客たちは、何とか前後の脈絡でその意味を理解し、そこで告発される大和の罪を受け止めていく。ところが、それまで大和の男だと思われていた日本兵が、「カマー」と「女」に呼びかけられた瞬間から、一切のヤマトグチは消える。論理的な理解の糸口を閉ざされた観客は、意味の分からぬ言葉の恐怖に、本当に告発されているのは、今この瞬間なのだと思わされるのである。
その劇団創造による「人類館」公演が、去年の12月、東京早稲田の大隈講堂にて行われた。千人近い観客が、伝説的な舞台を観るために集まった。果たして、「事件」は再現されたのか。
大城立裕の「カクテル・パーティー」が、芥川賞を受賞したのは、それより一昔前の1967年のことである。「事件」であった。しかし、10年の時を隔てた二つの「作品」は対照的である。
小説「カクテル・パーティー」に登場する沖縄の主人公はウチナーグチを使わない。米軍基地内で開かれる「カクテル・パーティー」の場面、パーティーを主催するアメリカ人と、中国人弁護士、「本土」の新聞記者、そして「私」は、中国語で和やかに語り合い、作者大城立裕は、それをいわゆる「標準語」で書き取っていく。その同じ時間、「私」の娘は、顔見知りの親しい米兵に犯されていたのだ。
「前章」から「後章」へ、「私」は「お前」となり、「後章」は珍しい二人称小説の形態で進行する。「神の視線」の導入とでも言うべきか。そして、復帰前の(実は今も本質的には変わらないのだが)沖縄の問題がえぐり出される。
この複雑な構造を持つ小説は、しかし極めて論理的で、理知的で、大城立裕の優れた沖縄論でもある。「人類館」が、沖縄と大和の間に横たわる断絶を、理解不能なウチナーグチを武器に、情念へ直截的に突きつけてきたのに対し、「カクテル・パーティー」は神の普遍性を遠景に置きながら、徹底的に「沖縄を理解せよ」と迫ってくるのだ。
「あなたたちの言葉で話しているのです。だから、あなたたちに理解不能という逃げ道はありません。」
舞台なら「事件」であっていい。「事件」は、理解不能であればあるほど、想像力は掻き立てられていく。だが小説は「事件」であっていいのか。小説とは、作者と読者との間に交わされる完全な理解へ向けての会話ではないか。
しかし、沖縄から発信される小説は、常に「事件」として「内地」では扱われた。大城立裕はその象徴的な存在として、「沖縄という事件」を常に宿命的に背負わされてきた。それは不幸なことであったに違いない。
大城立裕自身が「カクテル・パーティー」を当時の自作の中で一番出来が悪かったと回顧するのは、あまりに理知が勝ち過ぎていたからなのかもしれない。だが、だからこそ当時の中央文壇という怪物の目にとまり、芥川賞という「事件」のおかげで、僕も「カクテル・パーティー」を通じて「沖縄」と出会えたのだろうと思うし、その読書体験に支えられて、それ以後の沖縄からの拒絶に対しても、目をそらさずに対峙し受容してこられたのだと思うのである。僕と同じように沖縄と出会った「大和の人間」も、きっと多くいるに違いない。
僕は、大城立裕氏の「カクテル・パーティー」に、深い感謝の念を抱いている。
(2009年1月25日琉球新報)
おきなわおーでぃおぶっく「カクテル・パーティー」のページ
⇒www.ownmap.jp/cocktail_party.htm
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スターバックスやマクドナルドなら食わずにもいられるが、さてPCなしでやっていけるか。インテルやIBMがダメならMacも使えないわけだから。せめて今となっては新品を買わないことか。