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沖縄出張最終日に思ったこと

さてもう一度。前の記事からの繋がり、御幣を恐れず、今僕の頭に去来した色々なことをお話ししたいと思います。気楽なコメントが全く頂けなくなることを覚悟の上で。

今僕は、神奈川県で、川崎市の分譲した土地に住居を構えています。周りには緑が多い。その森が、やはり開発によって少なくなっていきます。僕は、出来ることならその森を残して欲しいと思っています。しかし、今僕が住んでいる土地を、市が分譲のために開発をはじめる時、近隣の人たちはいったいどう思ったのでしょうか。

また…
かつて、首里城が復元される前、首里の丘に首里城建設に反対するたくさんのビラが貼ってあるのを見たことがあります。
その後、沖縄料理を出す東京の居酒屋で、沖縄県人会の会長さんが、首里城はニライカナイの心だと、その復元を大変喜んでおられた。僕はその方に、首里城はオボツカグラではないですかと生意気なことを言ったのです。ニライカナイは海の彼方にある庶民的なあの世、オボツカグラは天上にある権威的な他界のこと。それまでご機嫌麗しかった会長さんの顔はいっぺんに曇り、「お前はなんにもわかっとらん」と、若き僕は叱られました。

地上戦の後の、この一帯の写真などを見ると、建造物はおろか木々すらも全くない焼け野原です。しかし、辛うじてその土地の形だけは残っているように見えます。その地形を、今誰かが変えようとしているわけですが、しかし、あのベトナムは、爆薬のみによって、その国土の全ての地形が、すっかり変えられてしまったのだと聞きました。もしかすると、ベトナムのお年寄りたちの故郷の山並みは、記憶の中にしか残っていないのかもしれません。悲惨さを比べて勝ち負けを競うことに、何の意味もないことは分かっています。ただ、何故か僕は、そのことを思い出してしまったのです。

間違っていたら教えてくださいね。

ヤンバルの森のこと。20年前に聞いたことです。アメリカが実弾軍事演習に使っていた森のこと。緑は弾薬によって傷つけられてはいるが、もしその土地が返還されたら、たちまち本土の資本がやってきて、あの自然は完全に失われるだろうという話。

同じ理由で、北方領土が還ってくれば、瞬く間に貴重な自然が失われていくでしょう。いったい今の日本人のうち、どれだけの者が、真剣にアイヌの人々に、「北方領土」と呼ばれている土地を返す可能性を考えているのでしょうか。

沖縄の旅も、残すところあと僅かです。数時間後には飛行機に乗ります。
もう少しだけ、どうかお付き合いくださいますよう。
(文責:高山正樹)
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tag: 川崎  沖縄の旅_2009年2月  アイヌ  首里城  オボツカグラ  ニライカナイ  ヤンバルの森 

Comment

No:239|
「ヤンバルの森」に関しては、高山さんのおっしゃるとおりだと思います。例え返還されたとしても、あの豊かな自然を保全するための何らかの施策をとらない限り、本土企業どころか地元企業の開発用地となるだけでしょう。
それを踏まえた上で、世界自然遺産に登録しようと活動されている方々がいるのですが、悲しいコトにヤンバル一帯に米軍基地・演習場があるという理由で、日本の候補地としても選定するコトができないようです。
No:240|
ヤンバルの森で、米軍が枯葉剤の実験をしていたという話を聞きました。ベトナム戦争の頃のことです。その影響が、今、出始めているらしい。奇形の蛙などが発見されているらしい。
まだ、水には影響が出ていないが、水に影響が出たときは、もう終わり、間もなく人間にも・・・
もしこの情報がただしいのならば、米軍がいて、森の自然が守られるなどと、なんと能天気なことを僕は言っていたのでしょうか・・・
No:241|
米国在住の元在沖米軍人男性が、1969年に55ガロン(約208リットル)容量のドラム缶数十本に入った猛毒ダイオキシンを含む枯れ葉剤を米軍が北谷町海沿いの返還地に埋めたと証言していることが分かった。在沖米軍基地の枯れ葉剤をめぐっては、60〜70年代に県内の広範囲にわたる施設で散布、貯蔵、運搬された影響で健康被害を受けたとして、100人以上の元軍人らが退役軍人省に因果関係の認定を求める申請をしていることが明らかになっているが、埋却に関する証言は初めてである。琉球新報報道。
No:1352|米軍の自然破壊
こんなツイートを見つけました。
「米軍は訓練で実弾を使い、その廃棄物をまとめて北部のダムに捨てたり、ベトナムで使った枯れ葉剤を沖縄でも使ったり、劣化ウラン弾を無人島に1500発も撃ち込んだり(1年後に漁師が見つけた)と…」

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