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芸能花伝舎で“ゴーシュ”試演会

名称:Try Theater“セロ弾きのゴーシュ”(第7回)※高山16回
 ⇒告知記事

試演会の様子は、こちらをご覧ください。
 ⇒山猫合奏団のBlog記事
   新井さん

※以下に転載します。理由は…めんどくさいから今日は言わない。


このイベントは子ども劇場首都圏の「活動交流会」の一環として行われました。
楠氏のスケジュールの関係で、今回は語り手一人というバージョン。
今後しばらくこの構成での演奏会はないかもしれません。

お昼から新井さんが調律。
新井さん調律中
結構、音が下がっていたので重労働。
新井さんに感謝です。

合わせ。
合わせ中
天才調律師、新井吉一氏は、もう口開けて寝てまーす。

この公演は、いわゆる試演会という位置づけ。
だからプレゼンもしたりして。
プレゼン中

お客さんは、各親子劇場子ども劇場の代表の方々。
「おしまい」でたくさんの拍手を頂きました。
演奏中
結構楽しんでいただいたようですが、さて、どうなりますことやら。楽しかったけど、子どもにはどうかなあとか、料金がねえとか、そういう感想もあるのかもしれないし。

いわゆるケツカッチンで、ホームページやCDのことを説明する時間がなくなっちゃいました。前半のコンサート、サービスし過ぎだったかも。ちょっと作戦失敗?



しかし、「セロ弾きのゴーシュ」を一人で語るのは、やっぱり結構ハードですね。

本番中の画像、一枚だけご紹介。
子ども劇場のおばさまたちを悩殺する大島純…
おばさんたちを悩殺する大島純

ところで、芸能花伝舎は、M.A.P.と何かと縁が深いのです。
大島君を始め、東京奏楽舎のメンバーが所属する日本音楽家ユニオン、三笑亭夢丸さんが所属する落語芸術協会は、ここの2階にあります。また演出家のふじたあさや氏は、ここでプロの俳優のための朗読セミナーをやっています。“おきなわおーでぃおぶっく”で「対馬丸」の朗読を担当した菅家ゆかりさんも、ここでよく仕事をされています。

今日は、東京奏楽舎の菅野恵子さんと、菅家ゆかりさんが観に来てくださいました。おっと美女ふたりの写真、撮り忘れました。

そして、先日の立川の朗読会に高山正樹をお誘いくださったお二人も、わざわざ足を運んでくださいました。こちらはちゃんと記念撮影。美男美女(?)。
河崎卓也さんと伊達裕子さん
河崎卓也さんと伊達裕子さんです。(河崎さんは花伝舎のワークショップによく参加されるのだそうです。)
お二人の輝かしき経歴は、お二人が参加する朗読ユニット“ことのは楽団・くぅ”のサイトをご覧ください。
「ことのは楽団・くぅ」のサイトのメンバー紹介のページ
次回の朗読会も、よろしくお願いします。

喜多見の事務所に戻って、魯園菜館にて食事。
魯園菜館での食事の後で
ピースサインしているのはお店の女の子。中国の方です。あ、名前聞いてないや。今度聞かなきゃね。

※山猫合奏団のBlog記事に寄せられたコメントを、以下に転載します。

ジャンヌ さんのコメント
セロ弾きのゴーシュはCDで聴いていましたので、生で聴いてみたいと以前から思っていました。
大島純さんのチェロの音色に魅せられました。素晴らしい・・・
「おばさま方を悩殺」と他のブログに書かれてありましたが、お嬢様?くらいにして下さいね。お願いします。
白石准さんも素敵でした。
語りが高山さんお一人でしたがとっても面白かったです。
これだけレベルの高いものはもっともっと世の中に出ていくべきですよ。
素晴らしい音楽と朗読、沢山の子どもたちに聴いて欲しいです。
山猫合奏団、ライブで感じられて幸せでした。
2009年02月24日 18時05分36秒

カワサキ さんのコメント
楽しませて頂きました。白石さんも大島さんも演奏はもちろんのこと、役としてもハマっていましたね。
これを聞いてしまった後では、よほど画期的な演出を思いつかないかぎり自分ではこの作品は朗読出来ないと思いました。
2009年02月24日 23時34分31秒

高山正樹の返信
ジャンヌさん、カワサキさん。ありがとうございました。
今度は是非、3人バージョンの小道具付にもおいでください。といっても東京近辺での予定がないんですよね。
音楽的に全く違うスタイルの“どんぐりと山猫”の方がより「朗読的」かもしれません。5月の新百合芸術祭の公演へ、もしご都合がおつきになるようでしたら是非お越しください。
朗読のお仲間にも、山猫合奏団の宣伝、よろしくおねがいしまーす!
ほんとにありがとうございました。
2009年02月25日 11時37分36秒

カンノ さんのコメント
先日はどうもありがとうございました。
前々から観てみたかった“ゴーシュ”一人でお邪魔しましたが、とても楽しいひと時を過ごせました。
それぞれの分野を乗り越えたエンターテイナーぶりにとても感激しました!
“どんぐりと山猫”の方も是非見に行きたいです。
2009年02月25日 13時25分39秒

高山正樹の返信
カンノさん、こちらこそありがとうございました。新百合は“どんぐりと山猫”でお待ちしています。でも、忙しい時期かなあ。
そうだ、その前に門天ですね。先日はリハ、お疲れ様でした。
http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-826.html
本番もよろしく!バッハもね!
2009年02月25日 23時06分12秒

高山正樹のコメント
この日の感想が、先日、子ども劇場から届きました。
その中に、こんなのがありました。
「ピアノが主張しすぎている」
我々は、どんな批評に対しても謙虚でありたいと考えています。しかし、表現者にとって、何のプラスにもならない的外れな感想というものも間違いなくあります。
「ピアノが主張しすぎ」という感想を拝読しての我々の第一印象は、「カレーを食べてスパイスが入っているのが気に入らないといっているようなものだ」ということでした。我々としては、「これはカレーです」と説明してからお出ししたはずなのですが。
オペラについて、注釈抜きで「歌は要らない」とだけ書かれた批評を読まされたオペラ歌手がいたとしたら、きっと彼は、その批評の真意を測りかねることでしょう。問題なのは、「ピアノが主張しすぎ」という意見が、例の「カレーの批評」のような傾聴に値しない感想なのかどうか、その区別がつかないということにあるのです。
もし「カレーの批評」ではないとおっしゃるのならば、失礼ながら言葉があまりにも足りません。そのような言葉の足りない感想が、何の添え書きもなく、文書として送られてきたことに、正直少し驚きました。我々の試みを全く理解してくださっていなかったということなのでしょうか。まさかこの感想を機関紙のようなものに掲載して、多くのお母様方に先入観を与えてしまうようなことがないことを願うばかりです。
とても躊躇したのですが、敢えて今後の子ども劇場とのよりよい関係のために、我々の見解を開陳することにしました。
反論、大歓迎です。出来るものならば、大いに議論しましょう。(反論、きっと、来ないだろうなあ)
2009年03月29日 18時32分20秒

白石准のコメント
ピアノが主張しすぎというのは、「音楽が主張しすぎ」なのか「ピアノの演奏が主張しすぎ」なのか考えてみると、微妙に違うかなとも考えたけど、どちらにしても、これは過半数「音楽作品」だと思って僕らは提供しているけど、朗読劇だと期待されてご鑑賞になられたとするなら(つまりオペラやミュージカルはどちらかというと嫌いという前提)びっくりされたのでしょうね。
もっと「賢治の言葉」だけ味わいたかったというかもしれませんが、他の作品と違って「音楽を演奏している」ことの話であるわけで、僕はこの作品は音楽なしに読んでそのおもしろさを本当の意味で味わうことはむつかしいのではないかと思っているのです。
ゴーシュが動物たちとふれあうことで人間的にも音楽的にも成長していくという「話の展開」は言葉からだけども味わえるけど、猫が飛び跳ねたりカッコウが一緒に歌ったり、狸が楽しく共演したり、あまりに激しいので野ねずみの母がそのうち演奏を遮るという「臨場感」は音楽がそこに本当に鳴らないと僕は成立しないと思うわけです。
賢治の言葉だけで、演奏している音楽をも具体的に実感される読解力をお持ちの方だったとしたらそれは脱帽せざるを得ません。
だから、乱暴な言い方をすると、僕が書いた“どんぐりと山猫”や“注文の多い料理店”はある意味音楽が無くても十分に楽しめる素材だけど、この作品に関してだけは僕は実際に自分で音楽を構成してみてこの作品の魅力に気づいたというていたらくです。
ですから、これからも「音楽が主張しすぎる」路線は大事にしたいです。
ただ、存在しているはずのない「伴奏」としてのピアノ「演奏」が他の登場人物をかき消すような感じに見えていたという意味なら反省する点もあるでしょうね。
チェロの音とピアノの音は不可分ではあるけど、実際無伴奏のチェロの音楽で構成された“セロ弾きのゴーシュ”の音楽作品もあるわけだから、ピアノでチェロを包む音楽を書いた前提を批判されたのかもしれませんので、正当な批評でもあるかもしれません。
でも語り自体音楽にすり寄らせる路線で今までの作品も書いている世界観に基づいているのだから、これからの作品も語り手は音符との格闘をしながら言葉と音楽が溶け合う作品を作っていこうと思っています。
2009年03月31日 08時43分19秒

白石准のコメント
思い出した。
http://juninho.blog16.fc2.com/blog-entry-41.html
“注文の多い料理店”の初演の時もかなり音楽についてはネガティブな批評を来場していた児童劇ウォッチャーの方のサイトで頂きました。
その方は芝居に音楽が着いていること自体が趣味に合わないとおっしゃっていましたから、そういう前提に立つと音楽というのは邪魔ものでしかなくなるわけで、実際に音楽の中にストーリーを聴く、のか、ストーリーの中に音楽が付随的に入っているのか、鑑賞のアプローチの仕方、あるいは演じる側、作曲する側のそれこそ根源的な疎通はギャンブルですね。
あと考えなければいけないのは、音楽の設計がいけないのか、演じる人の表現力がそう思わせるのかということですね。
明確に区別できるものではないけど、音楽の設計がものすごく良ければあまり良くない演奏でもすばらしく聞こえるときもあろうけど、音楽がたいしたものでなかった場合、それを演奏するスキルの高い場合は酷い音楽でもすばらしく聞こえるときもあるわけで、両方ともとても大事なことなのでしょう。
ある意味、iTunes Storeで、僕らのこの作品のジャンルについて物議を醸しているらしいけど、(クラシックでいいのかといわれているらしい)、今回の御批評も、そのまま作品を受け止める以前に「これってどこが朗読劇なんだ」というところからにじみ出したのかもしれません。
受け取るには「正体不明」だと困っちゃう人たちがかならずいらっしゃるわけで、今後も好意的に受け止めてくださることも喜びにしたいと思いますが、まったく受け入れられない御批評があればあるほど、その落ち着きのなさがこの作品の一つの自己主張になって魅力になると思うので、僕はそういう主張の中にもこの作品の存在する価値があるような気がしているのです。
べつに、居直っているわけではありませんよ。
ピアノが主張しすぎ、と言われた方が、ピアノが主張しなさすぎ、といわれるよりは嬉しいと思ってしまったからです(爆)
2009年03月31日 09時01分15秒

ちょび さんのコメント
初めてコメントを書かせていただきます。
この日の上演にはお伺いできなかったので、よくわからないのですが。。。
この作品のミーハー的なファンの私としては、お芝居と音楽という別々の要素を単に持ち寄っただけの作品とはおもっていませんでした。
私は、ミュージカルも大好きで劇場によく足を運ぶこともあって、そこで歌われているのを聴くと、歌をきれいに歌として歌い上げられいる場合、歌っているけれど歌としてではなく、セリフとして伝わってくる場合、その違いは何だろうと体験することが何度もあります。
私にとってこの作品に出会えて、語りと音楽というより、語っているけれど音楽をしている、楽器を弾いているけど語っている、、、人の声で語られているけど人という楽器、ピアノ、チェロという楽器を弾いているんだけどドレミという音ではなく語っている、、、だから、音楽はBGMでも効果音でもなく、楽器も時として、語りその2、語りその3という感じで聴いていました。
だから、もちろん演じている側での楽器と人の声という表現の媒体手段の違うものの”化学反応”もこの作品ならではの楽しさだと感じていますし、歌がセリフとして伝わってくる場合、語りが音楽の一員として融合してくる瞬間、楽器の音が語りとして伝わってくる瞬間、そういう現象を生じさせてくれる演じる側と受け止める側の間でのもう一つの”化学反応”でもあると思っています。
演劇も音楽の構成云々の専門的なことも何もわからない素人の感想でした。
ごめんなさい、こんなファンもいるって事で。。。
2009年03月31日 12時27分52秒

宇夫方路のコメント
ちょびさん、コメントありがとうございました。
これからも是非応援してください。こんごもコメントお待ちしています。
今回の試演会を開催してくださった子ども劇場の事務局の方によると、見てくださった方たちは良い印象を持ってくださったと思いますとのことでした。
(ただ、試演会で宣伝してもいいということだったので、いろいろと説明をさせてもらったりしたのですが、それがあったために雰囲気が良くわからなかったと言う意見もあったようです。逆に説明があってよかったという意見もあったようですが。主張しすぎたのはピアノじゃなくて能書き?)
ともかく、試演会に来てくださった方たちが、5月のしんゆりの公演を見てくださるとうれしいんですが。
2009年03月31日 14時46分21秒

ゆーさんのコメント
一つの作品に対して、こんなにも様々なコメントが寄せられ、別の角度で鑑賞されていることが良くわかりました。
前回の上演が、試演的なものだったと知らずに伺った私は、あの会場でピアノとチェロの演奏は大丈夫かなと疑問を感じながら聞き始めました。
確かにPRがまとまり無く時間配分があまり上手くないし、素顔のままステージに立ったような雰囲気で、開始直後は雰囲気に入り込めなかったけど、ピアノが勝ちすぎていたとは感じませんでしたよ。座席の位置も影響していたかもしれませんが、私は、一番後方のピアノから遠い場所だったので、音の広がりや語りも違和感無く聞いていました。元が教室ですから、それほど良い音響を期待してはいけませんが、そこそこ心地よい響きだと感じました。
私も朗読者の立場ですが、声だけよりも音楽があると演奏を聞きながら、自分の声が音楽と同じ色に響かせていけると喋っているというよりも語りが流れるように引き出されると感じます。語りだけが際立つのではなく演奏に溶け込みながら、きちんと言葉が耳に届けられる、そんな作品は、余計な演出意図を考えることなく、読み終えることが出来ると感じます。
次回は、余韻を楽しみながらある程度の環境の整ったホールで聞いてみたいです。みなさんのコメントが盛りっているので遅ればせながら、感想を書かせていただきました。
2009年04月09日 02時12分14秒

高山正樹の返信
ゆーさん。
コメントありがとうございました。
子ども劇場の関係の方でいらっしゃいますか?でいらっしゃいましたならば、当方の重ね重ねの失礼な発言について、まず陳謝いたしたいと思います。
永年、子ども劇場にもお世話になってきたことがある経験から、やはり子ども劇場のお母様がたは、より演劇的な耳と目を持っていらっしゃるようだと感じております。つまり、我々のような作品を聞かれる場合、言葉が際立って聞こえていらっしゃるのだろうと思うのです。音の中の意味を聞き取ろうとしていると言い替えてもいいかもしれません。
これまで山猫合奏団は、基本的には音楽会という場で活動をしてきました。そこでの観客の方々は、むしろ意味よりも音の方により比重の置かれた状態で聴かれているのだと思うのです。
この微妙な違いは、感想に大きく影響します。
ゆーさんは、音楽にも大変ご理解のある方だとお見受けしましたが、やはりどちらかといえば「演劇的」な「場所」で聴いてくださっていたのだろうと思うのです。
どちらが正しいというわけではありません。しかし、例えばピカソの絵は、その背後にある作品のストーリーを知ったとき、僕のような絵画に造詣のないものでも、深く感動を得ることができるようになります。
全ての芸術が、もしかするとそういうものなのではないでしょうか。
どうか、白石准と僕との、“印度の虎狩”についてのやり取りも、是非お読みください。
http://lince.jp/lince/mingl...
ありがとうございました。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
お時間がおありでしたら、川崎しんゆり芸術祭にも、どうかお越しくださいますよう、お待ち申し上げております。
http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-4985.html
2009年04月09日 08時52分59秒
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