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ガマフヤー(沖縄通信no.2)

【沖縄通信 No.2】(担当:金城)

「沖縄と戦争」というハナシをすると、「またか…」と嫌悪される方もいらっしゃるかもしれません。実際、沖縄・ウチナーンチュと関わるとあまりにもその話題に行き着くコトが多い。というコトを考えると理解できないハナシではありません。

四六時中考えてもらいたいとは思わないし、そうするコト自体無理なハナシだと思います。ただどうしても忘れて欲しくないコトは沖縄が、「国内で唯一住民を巻き込んだ地上戦」が行われたという記憶を持つコト。そして、その戦争が生み出した「負の遺産」(もちろん米軍基地も含めて)を未だに背負わされ続けている、という事実です。

そういえばつい最近も、不発弾の爆発事故で作業員の方が重症を負うという痛ましい事故がありました。
そんな沖縄に数多く残る「負の遺産」に関わる活動の中でも、私が以前から関心を持ってみていた活動がありました。それは「ガマフヤー」というグループの活動です。

「ガマ」とは自然の洞窟のコト。沖縄戦当時、各地に点在する自然の洞窟がそのままの状態で、時には手を加えた後で避難壕や防空壕として利用されていました。よく知られるガマとして「アブチラガマ」や「チビチリガマ」などがあります。「フヤー」とは掘るヒト。

つまり「ガマフヤー」とは「壕(ガマ)を掘るヒト」のコト。

「ガマフヤー」の活動は今なお沖縄各地に当時そのままに遺される、沖縄戦の遺骨・遺品を発掘収集するという活動で、元々は具志堅隆松さんという方が個人的に始めたもの。具志堅さんはまったくのボランティアで何十年もこの活動に携わってきました。

2月17日(火)、縁あって友人のご紹介により、「ガマフヤー」の具志堅隆松さんにお会いし、その活動の現場でお話しを伺う機会が持てました。

お会いした場所は、区画整理、開発により記憶から消されるのも時間の問題の那覇市真嘉比。沖縄戦最大とも言われる通称「シュガーローフの戦闘」が行われた場所に連なる地域。
 ⇒シュガーローフの記事を読む

普段は施錠され立ち入り禁止の場所。
立ち入り禁止の看板

沖縄の隠れた偉人、「ガマフヤー」の具志堅隆松さん。
具志堅隆松さん

元々このあたりは昔からの墓地で、関係者の特定されたお墓は別の新しい場所へ移動されています。
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ちなみに私の父方のお墓も以前はこの一帯にありましたが、周りの地形があまりにも変わってしまったため、どの辺りにあったのかわかりませんでした。

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この古いお墓(亀甲墓)の調査のため、記憶が消されるのがかろうじて免れています。調査が終われば一気に消されてしまう場所です。ちなみに現在の那覇市おもろまちはほとんど発掘収集活動が行なわれるコトなく、開発されてしまったとのコトです。
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壕の推定図です。
地図上のピンク色?の線が日本軍が掘ったと思われる坑道を表わしています。
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角ばった青い線の囲みがお墓。亀甲墓の大きさとカタチがわかります。

具志堅さんが発掘された遺品の数々。
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パッと観なんだか分かりませんが、錆びて朽ち果てた砲弾の破片だそうです。この辺りにはそれこそ腐るほど埋まっているモノです。
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具志堅さんが発掘現場の坑道を案内してくれました。土砂で埋まってしまった坑道を具志堅さんが手作業で発掘した場所です。
お墓の裏側からお墓のお骨を収める際に開け閉めされる扉へとつながっています。
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身元不明の遺骨です。
当初、写真を撮ることに躊躇しましたが、身元の判別につながるような遺品の無い遺骨が発見された場合は、できるだけ多くのヒトにこの事実を知ってもらいたいという具志堅さんのお話しを聴き、シャッターを押すコトにしました。そんなモノ観たくないという方もいらっしゃるかもしれませんが、これが沖縄の現実なのです。
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今回は短い時間での参加でしたが、次の機会には是非何かお手伝いができたらと思っています。もし、この問題に関心を持たれた方がいらしたら、私へお声掛けいただけたらと思っています。
(文責&撮影:金城史彦)
【M.A.P.としての見解】
M.A.P.は、沖縄現地からの貴重な報告を、そのまま変更することなく、皆さんお届けしたいと考えています。特に、沖縄では日々間断なく続いている問題であるのに、沖縄から遠く離れている、いわゆる「中央」では殆ど報道されないために、知らずに過ぎていく重要な事例がたくさんあります。そうした情報の「欠落」を、この現地報告が補足してくれることに、我々は期待をしています。
但し、M.A.P.としては、現地からの主張に(特に微妙な言葉のニュアンスにおいて)、全面的に同意した上でご紹介するものではありません。
今回の金城君の報告においても、次の2点において、M.A.P.から、少しばかりの注釈をさせていただきたいと思います。

(その1)
「沖縄・ウチナーンチュと関わるとあまりにもその(戦争の)話題に行き着くコトが多い」

この金城君の意見については、決してそうとばかりはいえないだろう、というのが我々の見解です。
M.A.P.は、たくさんの沖縄の方々とお付き合いをさせていただいておりますが、むしろ戦争の話に行き着かないことのほうが多いという実感も持っています。
このことは極めて細かいことではありますが、あえてこの点について言及したのは、沖縄の方々に対するステレオタイプのイメージが生まれることを、絶対に避けたいという思いからです。しかしながら、戦争に対するこだわりのない方のほうが多いという主張に組みするつもりも全くありません。

(その2)
「ただどうしても忘れて欲しくないコトは沖縄が、国内で唯一住民を巻き込んだ地上戦が行われたという記憶を持つコト。そして、その戦争が生み出した負の遺産を未だに背負わされ続けている、という事実です。」

M.A.P.として、「忘れて欲しくない」という主張は、あえていたしません。どの地方でも、また「中央」においても、多くの方々が、様々な個人的な苦難を抱えている現代の中で、沖縄という「個別」の問題に限って「忘れて欲しくない」との(結果的にそう誤解される可能性のある)主張に、一種の反感を覚える方々もいて、また、それに同意する沖縄の方もいらっしゃるであろうと考えるからです。
ただ、M.A.P.の代表であるわたくし高山は、金城君の考え方に深く同意しています。だからこそ“おきなわおーでぃおぶっく”などの企画を立ち上げたのです。
しかし、「沖縄問題」は全ての日本人が考えなければならない課題であると主張し、それを納得してもらうためには、まずもってその根拠となる歴史的政治的事実を示し、それらに立脚した思想的立場を、予め明確にしておく必要があると考えているのです。その上でどういう考えに至るのかは、個々の方々に委ねられるべきでしょう。
(企画や制作をおこなうM.A.P.としては、忘れ得ぬ作品を創造し続けるしかありません。)

以上の2点において、M.A.P.は金城史彦君の主張とは立場が違う(というより、どの立場も前提にはしない)ということを明らかにしておきたいと思います。

もちろん、金城君の主張について異を唱えるものでもなく、尊重すべき一つの沖縄の声として、最大限の理解をもって受け止めていることをも強調しておきたいと思います。
(文責:高山正樹)
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tag: 金城史彦  具志堅隆松  シュガーローフの戦い  亀甲墓  おもろまち 

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