2009年03月16日(月)23時32分
宇夫方路版“晴読雨読”
琉球新報から新聞が届きました。
“晴読雨読”で宇夫方路が岡本太郎の「踊る島」について語る!
昨日の日曜日、15日付の琉球新報です。

クリック、よろしくお願いします!

宇夫方さんは
人気があるらしいから
残しておこう……
(あちこちからちょぼちょぼと読んだよという連絡が宇夫方路女史にあったらしい。大城立裕先生からも「忘れていたことを思い出した」というようなメールを頂いたとのこと。有難いことです。高山正樹のグチ。小生が署名した文章が掲載された時にはこんなことなかったのに。つまり、誰が書いたことになっているかが大切。愛されているのは誰なのかということですな、きっと。)
以下に“おきなわおーでぃおぶっく”Official_Brogの記事を若干修正して転載します。
本日付の琉球新報に、「おきなわおーでぃおぶっく」のスタッフ、宇夫方路の文章が掲載されました。夕刊が廃止されて、高山正樹が書いた時に比べると、ずいぶんレイアウトが変わったようです。
送った文章がだいぶ長かったため、ですます調だったのが、「だ」「である」に変更され、箇所箇所短く校正されています。
実際に掲載された文章は添付した記事を読んでいただくこととして、ここでは修正前の文章をご紹介いたします。
(青字は、新聞紙上で削除された主な箇所です。)
※なお、新聞紙上で「沖縄芝居」とある部分は、正しくは「沖縄の芝居」です。「沖縄芝居」では、だいぶニュアンスが違ってしまいます。
“晴読雨読” 宇夫方 路
岡本太郎『沖縄文化論―忘れられた日本』より「踊る島」
“本物だと信じる踊りを”
沖縄の芝居を創りたいから、沖縄の踊りを覚えてほしい、ある人からそう頼まれて、気楽な気持ちで玉城流喜納の会、関りえ子琉球舞踊研究所に入門しました。それからもう15年も経ってしまいました。私はもともと、天才と呼ばれた花柳紀寿郎の内弟子で、最初は琉舞と日舞の両方の稽古に通っていたのですが、結局両立は不可能でした。私は琉球舞踊を選びました。いずれ完成される芝居のために。
ある時、そのいっこうに芝居が書けずにいる人から、岡本太郎氏の『沖縄文化論―忘れられた日本』を読むように薦められました。「岡本太郎は、琉球舞踊にほれ込んでこれを書いたんだって」読んだ私は複雑な心境でした。「踊る島」で、岡本太郎さんはこのように書いています。
「(沖縄の踊りは)キマルことがない。だからこそ鮮やかに、リズミックで、空間的なのだ。日本舞踊など、のべつキマッてばかりいる。いつでも正面に向っての装飾的効果だ。動きで空間を構成するというよりも、紙芝居のように、絵画的イメージを連続させて行くという感じ。いくらきれいでも飾り人形のつまらなさ、平板さだ。動的な美しさがないと同時に、逆に『静』の凄みもうしなっている。」
何も、そこまで言わなくてもいいじゃない。でも、琉舞を始めた頃のビデオを見ると、私の踊りだけ、妙に艶かしく浮いているのです。私は、日本舞踊の「しな」を作っていたのです。同じ日本の踊りだと思っていたのに、体の使い方が全く違うのです。
岡本さんはこのようにも書いています。「(琉球舞踊の古典には)悲しんで見せたり、喜んでみせたり、押しつけがましい表情、そういう卑賎な説明的手段はない。この絶対感こそ舞踊の本質である。ここには充実した感動だけがうごいている。それがたまたま見るものに歓びとして現われ、悲しみとして打ってくるだけだ。その点、能の感動に近いともいえる。」琉舞の顔や目の流れるような使い方は、能の面の動きに通じるものがあります。歩き方は、能の足の運び方に近いのです。
能楽師の方から伺った話です。「バケツに水を一杯張ってこぼさないように振り回すには相当な力が要る。『静』を支えるにはそれだけの力が必要なのだ」琉球舞踊にも、その力が必要なようです。しかし、岡本太郎さんは、先の文章に続けてこう書いています。「だが(能の)あの重さはない。そのなまめかしさは開ききって、能のような殺した色気ではない。」
それは何なのでしょうか、私は、古典とは違うもうひとつの沖縄の踊りを思い浮かべます。「踊る島」の冒頭に出てくる闘牛場で踊るおばさんの踊り。私は沖縄の年配の方が自由に躍るカチャーシーにあこがれます。いくら稽古しても、私には近づけないのです。沖縄では子どもでさえあんなに自由に踊っているのに。もしかすると、カチャーシーだけではなく、私の踊っている古典も、ネーティブな踊りとは違うのかもしれない。絶望的。
現在、東京で沖縄出身者に琉舞を教えています。いいのだろうかとも思うのですが、今の私は開き直っています。私なりの本物だと信じる踊りを踊ればいい。岡本太郎さんのように、自由に。
それにしても、待っている芝居はいつできるのかな。
“晴読雨読”で宇夫方路が岡本太郎の「踊る島」について語る!
昨日の日曜日、15日付の琉球新報です。

クリック、よろしくお願いします!

宇夫方さんは
人気があるらしいから
残しておこう……
(あちこちからちょぼちょぼと読んだよという連絡が宇夫方路女史にあったらしい。大城立裕先生からも「忘れていたことを思い出した」というようなメールを頂いたとのこと。有難いことです。高山正樹のグチ。小生が署名した文章が掲載された時にはこんなことなかったのに。つまり、誰が書いたことになっているかが大切。愛されているのは誰なのかということですな、きっと。)
以下に“おきなわおーでぃおぶっく”Official_Brogの記事を若干修正して転載します。
本日付の琉球新報に、「おきなわおーでぃおぶっく」のスタッフ、宇夫方路の文章が掲載されました。夕刊が廃止されて、高山正樹が書いた時に比べると、ずいぶんレイアウトが変わったようです。
送った文章がだいぶ長かったため、ですます調だったのが、「だ」「である」に変更され、箇所箇所短く校正されています。
実際に掲載された文章は添付した記事を読んでいただくこととして、ここでは修正前の文章をご紹介いたします。
(青字は、新聞紙上で削除された主な箇所です。)
※なお、新聞紙上で「沖縄芝居」とある部分は、正しくは「沖縄の芝居」です。「沖縄芝居」では、だいぶニュアンスが違ってしまいます。
“晴読雨読” 宇夫方 路
岡本太郎『沖縄文化論―忘れられた日本』より「踊る島」
“本物だと信じる踊りを”
沖縄の芝居を創りたいから、沖縄の踊りを覚えてほしい、ある人からそう頼まれて、気楽な気持ちで玉城流喜納の会、関りえ子琉球舞踊研究所に入門しました。それからもう15年も経ってしまいました。私はもともと、天才と呼ばれた花柳紀寿郎の内弟子で、最初は琉舞と日舞の両方の稽古に通っていたのですが、結局両立は不可能でした。私は琉球舞踊を選びました。いずれ完成される芝居のために。
ある時、そのいっこうに芝居が書けずにいる人から、岡本太郎氏の『沖縄文化論―忘れられた日本』を読むように薦められました。「岡本太郎は、琉球舞踊にほれ込んでこれを書いたんだって」読んだ私は複雑な心境でした。「踊る島」で、岡本太郎さんはこのように書いています。
「(沖縄の踊りは)キマルことがない。だからこそ鮮やかに、リズミックで、空間的なのだ。日本舞踊など、のべつキマッてばかりいる。いつでも正面に向っての装飾的効果だ。動きで空間を構成するというよりも、紙芝居のように、絵画的イメージを連続させて行くという感じ。いくらきれいでも飾り人形のつまらなさ、平板さだ。動的な美しさがないと同時に、逆に『静』の凄みもうしなっている。」
何も、そこまで言わなくてもいいじゃない。でも、琉舞を始めた頃のビデオを見ると、私の踊りだけ、妙に艶かしく浮いているのです。私は、日本舞踊の「しな」を作っていたのです。同じ日本の踊りだと思っていたのに、体の使い方が全く違うのです。
岡本さんはこのようにも書いています。「(琉球舞踊の古典には)悲しんで見せたり、喜んでみせたり、押しつけがましい表情、そういう卑賎な説明的手段はない。この絶対感こそ舞踊の本質である。ここには充実した感動だけがうごいている。それがたまたま見るものに歓びとして現われ、悲しみとして打ってくるだけだ。その点、能の感動に近いともいえる。」琉舞の顔や目の流れるような使い方は、能の面の動きに通じるものがあります。歩き方は、能の足の運び方に近いのです。
能楽師の方から伺った話です。「バケツに水を一杯張ってこぼさないように振り回すには相当な力が要る。『静』を支えるにはそれだけの力が必要なのだ」琉球舞踊にも、その力が必要なようです。しかし、岡本太郎さんは、先の文章に続けてこう書いています。「だが(能の)あの重さはない。そのなまめかしさは開ききって、能のような殺した色気ではない。」
それは何なのでしょうか、私は、古典とは違うもうひとつの沖縄の踊りを思い浮かべます。「踊る島」の冒頭に出てくる闘牛場で踊るおばさんの踊り。私は沖縄の年配の方が自由に躍るカチャーシーにあこがれます。いくら稽古しても、私には近づけないのです。沖縄では子どもでさえあんなに自由に踊っているのに。もしかすると、カチャーシーだけではなく、私の踊っている古典も、ネーティブな踊りとは違うのかもしれない。絶望的。
現在、東京で沖縄出身者に琉舞を教えています。いいのだろうかとも思うのですが、今の私は開き直っています。私なりの本物だと信じる踊りを踊ればいい。岡本太郎さんのように、自由に。
それにしても、待っている芝居はいつできるのかな。
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Comment
音楽の世界も同じことが言えると思いました。
自分を振り返ってみる良い機会をいただきました。ありがとうございました。