2009年05月11日(月)12時47分
5月のおきなわ、だい6ぽう《西岡美幸さんと【シーサー】のこと》
(※6月6日に第一稿をアップ)
(※6月12日、シーサーの歴史についての記述に誤りがあったことが分かりました。あたかも単体のシーサーが、もともとの沖縄土着の信仰であるかのような説明をしてしまったのですが、それは間違いであることが分かったので、本記事を修正しました。)
西岡美幸さんの制作中だったシーサーが完成しました。

まだ試作品とのことですが、いえいえどうしてこのままで結構です。M.A.P.だけのために作ってくださった、新しいデザインのシーサー。
2種類のシーサーを作ってくださいました。

左は、壷屋の伝統的なうわぐすりを使って伝統的な配色を施しました。右は、一部分に新しいうわぐすりを使って新しい色を付け加えてみました。
この画像ではちょっとわかりにくいのですが、右のシーサーの頭に乗った青い鳥と、膝のところの緑の四つ葉のクローバーがそれです。
どちらも幸せを呼ぶアイテム。
「どちらのシーサーがいいかしら」と西岡さん。
どちらもOKということでいかがでしょう。むしろ二つあって、古き伝統と新しい試みを比べることができるのですから。
ところで…。
内地の人は、シーサーって狛犬と同じで二匹で対になっているものと思い込んでいる方も多いようです。確かに首里城をはじめ、琉球の宮殿や陵墓にあるシーサーの多くは“対”になっていますから、その印象が強いのかもしれません。
でも、例えば沖縄の民家の屋根の上にいるシーサーや、路傍に置かれたシーサーには単体のものがたくさんあります。この違いは何なのでしょうか。
もともとシーサーは、中国の魔除けの獅子がその直接の起源だと言われています。中国の獅子にも、単体と対の両方のスタイルがあります。だから、沖縄のシーサーに両方の形体があって何の不思議もありません。その意味では、同じルーツを持つ内地の狛犬に、対の形体しか存在しないことのほうが、むしろ不思議と言えるのかもしれませんね。
ただ、ちょっとした印象なのですが、なぜか「権威」の近くには対のシーサーがいて、庶民の身近には単体のシーサーがいるような気がする、皆さんはいかがでしょう。例えば、仏像とお地蔵さんの違いのような……。
(金城君の見解は、シーサーは風水(フンシー)の思想が影響しているので、権威とは直接結びつけにくいというけれど。このことは宿題にさせてください。いろいろと調べてみたいと思います。)
ともかく、西岡さんのシーサーは単体がよく似合うのだ、これって私たちの勝手な思い込みでしょうか。
それからもうひとつ…。
対のシーサーは、一方が口を開け、もう一方が口を閉ざしている、いわゆる「あうん」だと思いこんでいる方もいらっしゃるようです。実はそれも間違いかも。例えば首里城の対のシーサーも「あうん」ではありません。どちらの口も半開き。近頃の沖縄のシーサーが「あうん」なのは、大和の影響らしいのです。
それよりもなによりも、ただ「あうん」のコンビを作るためだけに片方のシーサーの口を閉ざして、その結果西岡さんのシーサーから素敵な笑顔が消えてしまうのだとしたら、それは絶対に困ります。
というわけで、西岡さんのシーサーは単体でのご提供。
これで今回の沖縄報告は終了。いったん東京へ戻ります。
※なお、本記事をお読みの方は、是非ともコメントも合わせてお読みくださいますようお願い申し上げます。
⇒旅の最初の記事(第1報)から読む
(※6月12日、シーサーの歴史についての記述に誤りがあったことが分かりました。あたかも単体のシーサーが、もともとの沖縄土着の信仰であるかのような説明をしてしまったのですが、それは間違いであることが分かったので、本記事を修正しました。)
西岡美幸さんの制作中だったシーサーが完成しました。
まだ試作品とのことですが、いえいえどうしてこのままで結構です。M.A.P.だけのために作ってくださった、新しいデザインのシーサー。
2種類のシーサーを作ってくださいました。
左は、壷屋の伝統的なうわぐすりを使って伝統的な配色を施しました。右は、一部分に新しいうわぐすりを使って新しい色を付け加えてみました。
この画像ではちょっとわかりにくいのですが、右のシーサーの頭に乗った青い鳥と、膝のところの緑の四つ葉のクローバーがそれです。
どちらも幸せを呼ぶアイテム。
「どちらのシーサーがいいかしら」と西岡さん。
どちらもOKということでいかがでしょう。むしろ二つあって、古き伝統と新しい試みを比べることができるのですから。
ところで…。
内地の人は、シーサーって狛犬と同じで二匹で対になっているものと思い込んでいる方も多いようです。確かに首里城をはじめ、琉球の宮殿や陵墓にあるシーサーの多くは“対”になっていますから、その印象が強いのかもしれません。
でも、例えば沖縄の民家の屋根の上にいるシーサーや、路傍に置かれたシーサーには単体のものがたくさんあります。この違いは何なのでしょうか。
もともとシーサーは、中国の魔除けの獅子がその直接の起源だと言われています。中国の獅子にも、単体と対の両方のスタイルがあります。だから、沖縄のシーサーに両方の形体があって何の不思議もありません。その意味では、同じルーツを持つ内地の狛犬に、対の形体しか存在しないことのほうが、むしろ不思議と言えるのかもしれませんね。
ただ、ちょっとした印象なのですが、なぜか「権威」の近くには対のシーサーがいて、庶民の身近には単体のシーサーがいるような気がする、皆さんはいかがでしょう。例えば、仏像とお地蔵さんの違いのような……。
(金城君の見解は、シーサーは風水(フンシー)の思想が影響しているので、権威とは直接結びつけにくいというけれど。このことは宿題にさせてください。いろいろと調べてみたいと思います。)
ともかく、西岡さんのシーサーは単体がよく似合うのだ、これって私たちの勝手な思い込みでしょうか。
それからもうひとつ…。
対のシーサーは、一方が口を開け、もう一方が口を閉ざしている、いわゆる「あうん」だと思いこんでいる方もいらっしゃるようです。実はそれも間違いかも。例えば首里城の対のシーサーも「あうん」ではありません。どちらの口も半開き。近頃の沖縄のシーサーが「あうん」なのは、大和の影響らしいのです。
それよりもなによりも、ただ「あうん」のコンビを作るためだけに片方のシーサーの口を閉ざして、その結果西岡さんのシーサーから素敵な笑顔が消えてしまうのだとしたら、それは絶対に困ります。
というわけで、西岡さんのシーサーは単体でのご提供。
これで今回の沖縄報告は終了。いったん東京へ戻ります。
(文責:高山正樹、宇夫方路の報告を基にして大幅に加筆訂正しました。)
※なお、本記事をお読みの方は、是非ともコメントも合わせてお読みくださいますようお願い申し上げます。
⇒旅の最初の記事(第1報)から読む
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Comment
http://lince.jp/hito/saburo...
しかし、調べれば調べるほどに異論が出てきます。沖縄の歴史の糸は、短いものが何本もあって、それらが時に現れたり消えたり、また離れたり絡み合ったりしているようです。
考えてみればそれが当然なのであって、むしろ一本しかないように見える大和の歴史の方を疑ってみるべきなのだと、今さらのようにしみじみ思っています。
金城君の指摘に感謝です。
「シーサーは守護神であるとともに福を呼ぶ物として昔から沖縄では親しまれている」
「シーサーは、魔物 (マジムン)を排除するのではなく、浄化するのだといわれている」
(注:出自が明記していないので、学術的信頼性を保障するものではありません。)
http://www.wonder-okinawa.j...
そこで、シーサーを解説する動画が見れます。
http://www.wonder-okinawa.j...
テキスト版はこちらへ
http://www.wonder-okinawa.j...
県の見解が常に正しいわけではありませんが、責任ある署名された情報であることは間違いありません。
やはり、シーサーのもととなる「獅子」が初めて中国から沖縄に渡ってきたのは14世紀頃で、それが現存しているのは、殆どが浦添や首里周辺のようです。またその多くが「対」であり、さらにまたその内の多くが「あうん」であるようです。つまり、この段階のシーサーには、仏教の影響も強くあったと思われます。
しかし、このことをもって「対のシーサー」が「権威」に近いなどと短絡するとしたら、文化をその表層でしか捉えていないとの謗りを受けても致し方ありません。
あらためて僕は、なぜそう感じたのかという自らの原因を探したくて、若い頃に作った自作の10数冊の「沖縄ノート」を読み返してみました。
そこには本件に関係するような、たくさんの書物からの引用文が書き連ねてありました。そのうちの一つを、さらに抜粋してご紹介したいと思います。
「仏教は王家を中心とする支配階級のあいだに知られただけで、一般民衆のあいだには浸透しなかった。(中略)『首里森上て行けば、夜の明けて、てだ(太陽)の照りよるやに』とうたわれた繁栄のかげには、地下(ちげ・地方)と離(島)の人びとのみじめで遅れた生活があったことを指摘せねばなるまい」
(『沖縄』比嘉春潮・霜多正次・新里恵二)
しかしながらこれをもって「対のシーサー」たちを「権威の下僕」と規定するとしたら、あまりに幼稚であり、また、心を込めてシーサーを作った作者たちに対する、またシーサーそのものに対する冒涜であろうと思います。
シーサーは、右往左往する人間の歴史を越えて、未来に向けて生きているのでしょう。
もしも、僕の見解に傷ついた方がいらっしゃったなら、ここに深くお詫びを申し上げたいと思います。
(なお、本記事の文章は、元のママ残すことに意味があると考え、修正しないことにしました。修正に代るものとして、本コメントがあります。ご理解いただければ幸いです。)
シルクロードを通って、世界中に広まった「獅子」の文化ですが、その多くは、やはり支配階級の権威を守るものとなっていきました。その中にあって、沖縄ほど民衆に受け入れられ広まっているというのは、他では例のない稀有なことだといってもよいようです。
それについて、興味深いこともいくつか見つけたのですが、それは、あらためてどこかでご紹介したいと思っています。
ちょっと気になったので申し添えます。
二つ前のコメントで、『沖縄』(比嘉春潮・霜多正次・新里恵二)から一文を引用しましたが、それに類する「歴史的事例」を、いわゆる「琉球処分」が一種の民衆解放であったとする考え方の根拠として利用するような場合があります。それは比較的大和に好意的である沖縄の学識者に、かつてよく見られる傾向でした。
我々は、決してそうした考え方に同意するものではありません。
確かに、物事には様々な側面があるとは考えますが、ある現象の表層だけを強調して、それによって他のもっと重要な本質を隠してしまうやり方(それが意識的操作であろうが恣意的なものであろうが)は、立場がどうであれ、あってはならないことだと考えています。
まず一つ。
シーサーの持つ「権威」の後ろに何を見るか?です。初期のシーサーはおそらく仏教思想や中国の建築様式を参考にして、勧請されたモノだと思われます。なので、シーサーの持つ「権威」の背後には仏教であり中国文化だお思うのです。決して王家ではない。
それと、びん型の衣裳に顕著にみられる王家の象徴として「鳳凰」と「龍」があります。これらは王家の人間をのぞく人々には使用するコトが許されないモチーフです。また衣裳だけでなく、ノロの扇や各種碑文にもこれらのモチーフが使用されています。
二つ目。
首里城や玉陵(タマウドゥン)のモノは「シーサー」ではなく「獅子」ではないのか?です。
「シーサー」はあくまで沖縄独自の文化です。勧請されてきた中国の「獅子」はあくまで「獅子」であって「シーサー」ではないと思うのです。
以上、あくまで私見でした。
結局シーサーのことを離れて、別のことをずっと考えていました。
「社長とは呼ばないで」という僕のブログは、ひとつの作品だと思っているので、その日付は大嘘ですが、それにこんな記事を書きました。
<オボツカグラ>のこと
http://lince.jp/mugon/obotu...
オボツカグラについては、こんなこともありました。
http://lince.jp/hito/sugarl...
なんだか「かにかまぼこ」みたいな気がする。金城君はそいつを輪切りにして食べようとしている。僕は、縦に裂いて喰う。
ふん、つまらないイメージだな。意味なし。
縦でも横でも、物事をカテゴライズするのは、ほんとうは好きじゃないのに、そうしないと話しがおもしろくならない。というか始まらない。対流が起きない。
こんなことも書いてみた…
http://lince.jp/mugon/okuba...
エントロピーの問題です。それについては、もうすぐ「社長とは〜」に書く予定なのですが、いつになることやら。
動き揺れることがいいのか悪いのか、一度分裂したものは元に戻らない(復水盆に帰らず・非可逆的)というのが記号論の結論。
何も始めないで停滞し続けるのが、正しい生き方であるような気もするのですが、それが出来るほど若くはないし、また枯れてもいない。
もうすぐ、もうすぐ…
琉球新報記事
http://ryukyushimpo.jp/news...
その結果の記事
http://ryukyushimpo.jp/news...
その画像
http://www.okinawabbtv.com/...
もう、ここまでかな。
比屋根照夫氏「琉球王国再評価の契機」より抜粋してご紹介します。
「沖縄学の先駆者・伊波普猷は島津支配下の琉球王国史を倦むことなく説いた。この結果、伊波は『琉球処分は奴隷解放なり」と喝破し、明治政府の『琉球処分』を肯定した。それはまた、明治沖縄の薩摩閥支配下の植民地的状況に直面した先駆的な知識人の苦渋の決断であった。」
「今日の研究者は、伊波の近世史観を批判的に検証し、琉球王国史の見直しを通じて王国の主体性、力量を積極的に評価しようとの試みを続けている。」
「『琉球処分』に抵抗した琉球士族層に高い評価が与えられ、彼らの『社稷護持』の戦いを評価することが漢文学者・上里賢一らによってアジア的スケールで推し進められている。それは琉球王国の再評価となり、ダイナミックな研究の展開はやがて『琉球処分』という公認の歴史的用語を『死語』へと導くはずである。」
かなり省略しました。できれば全文を、どこかでお読みください。
僕は98%同意しています。後の2%は、いずれどこかで…。
西岡さんの愛すべきシーサーの記事が、とんでもない展開になってしまいました。西岡さん、ごめんなさいね。でも、これも「あり」だと思っています。
ここまで読んでくださった方へ、心より感謝申し上げます。
口の開いたシーサーが福を招き入れ、口を閉じたシーサーが災難を家に入れないという言い方もある。
「阿」の口は悪しきものを吐き出し、「吽」の口は福なるものを閉じこめるなんてのもある。
要するの開いた口は入れたり出したりして、閉じてるほうは入れないし出さないしってことなんですかねえ。
「阿」が雄で「吽」が雌だとか、またその逆だとか。
ともかく、いまだこれらの説の出典を示したものを知りません。それを断定的に語るサイトや宣伝のいかに多いことか。
出所は何なのだろう。知りたい。